第20話 すべてがこいつのせい
ベッドの下で俺はじっと息を殺す。
しかしテーブルの上には、つけっぱなしのロウソクと食べ切れなかった食事が片付けられずに置いたままだ。
失敗した。突然のことで、それらを隠す暇が無かったのだ。
もし、官吏や騎士団が俺を捕らえに来たのなら、このテーブルの様子を見て俺が隠れているベッドの下を当然疑ってかかるだろう。灯ったままのロウソクと食べかけの食事を見つければ、そこに人がいないことのほうが不自然なのだ。
今さらそれを後悔しても始まらないが、俺はもっと用心をしておくべきだったのだ。
石造りの階段をゆっくりと誰かが降りてくる。
足音の様子から、部屋に入ってきたのはおそらく一人。
俺は、ベッドの下に潜り込む際、咄嗟に手に取った一振りの剣を静かに鞘から引き抜いた。
もし侵入者が一人なら、自らベッドをひっくり返し相手が怯んだ瞬間をついて一気に畳み掛ける。それは、ひとまずこの場を切り抜けるには悪くない作戦だ。
問題は、どのタイミングで飛び出すか――それだけである。
できれば侵入者がベッドの側へと近づいた時が良い。ベッドを相手にぶつけるつもりで飛び出すのだ。
逸る気持ちを必死に抑えながら、俺は侵入者の出方をじっと待った。
ベッドの下から覗く狭い視界には、騎士でもなく官吏でもなく……黒いローブを着た男の足下だけが見えた。
これは不幸中の幸いだった。ローブを着込んでいるなら少なくとも剣士の類では無いからだ。
「これなら行ける!」
心中ほくそ笑む俺は、静かにその時を待った。
しかしである。
何故か、その男は一向に俺が身を隠しているベッドに近付こうとはしない。。それどころか、男はロウソクが灯されたままのテーブルの前に立つと、椅子にドカリと腰を降ろしたのである。
そして男は、あろう事か俺が食べきれなかった食事に手をつけ始めたのだ。
こいつは……いったいどう言うつもりなんだ? もしかして、物乞いか何かがたまたまこの場所に迷い込んだのか?
俺は、警戒を維持しつつも「そうであってくれ」と、心の中で願った。
だがその甘い願いをよそに、事態は俺の予想のはるか上を行く形で裏切ってくるのである。
「逃亡者のくせに、なかなか良い物を食っているではないか――。ほれ。もう心配せんでもええから、早うベッドの下から出てこんか」
突然――
男が、そう言ったのである。
それは、なんとも緊張感の無い飄々とした声だった。
そして……あまりにも聞き馴染みのある、そのしわがれ声。
俺はその声の主を良く知っていた。
「なんだよ、ロウの爺さんじゃないか……」
不覚にも、俺はその時――その声の懐かしさに、そう声を出してしまっていた。
この薄暗い隠し部屋に閉じこもってはや一月。俺は誰とも口を聞くことなくずっと一人で耐えてきた。そして今、ようやく言葉を交わす機会を得た相手は……人を転ばすことしか出来ない、あのへなちょこ魔法使いだったのだ。
正直、懐かしかった。まだそれほどの月日も経ってはいないというのに、それも人恋しさのなせる技なのだろうか。
この気の良い爺さんと最後に会ったのは――そう……
白猫に俺達がやっている悪戯がバレて――俺と爺さん、そしてワイズの三人が再会を誓ってバラバラになったあの日以来だ。
その後。俺とワイズは再会を果たしたけれど、爺さんはとうとう姿を現さなくて――。その代わり爺さんは俺達に一通の手紙と下手くそな地図だけを寄越してきて……。
「ん?」
その時、突然俺の頭に特大の疑問符が浮かび上がった。
どうして今までその事に思い至らなかったのだろうか。
それは不思議としか言いようが無い。
そう――。
この爺さんさえ……。このへなちょこ魔法使さえ……俺をあの理由のわからない場所に呼び出さなければ……。
今も俺は、お天道様の下で自由気ままな異世界ライフを送れていたはずなのだ。
もちろんそれは偶然なんかじゃない。この爺さんはわざと俺達をあの場所に誘導したのだ。あの地図に施されていた『呪』とやらがその確固たる証拠である。
今更だが――
あのクソ騎士団長が誰彼構わず恨みを買っていようがもちろん俺の知ったこっちゃない。おそらくこの爺さんもあのクソ親父に恨みを持っていたのだろう。
だが、それこそ俺にとってはどうでも良い話なのだ。
問題なのは、この爺さんが俺を捨て駒の様にして利用したことなのである。
気が付けば、俺は足でベッドを思いっきり蹴り上げていた。そして、その勢のまま飛び起きると、俺をこんな目に会わせた張本人の胸ぐらを掴み思いっきりねじ上げた。
「おい!このクソジジイ!よくもまぁノコノコと俺の前に現れやがったな。」
そう――
すべてがこいつのせい。
このクソジジイのせいなのだ。