第16話 これはもはや私怨ではない
「その紙には呪がかかっている!」
しかし。その言葉がかけられた時には、もう男の手がその紙切れを手にした後であった。
それは――
俺達にとってあまりにも突然すぎる出来事だった。
俺やワイズが手にしていた時――それはなんの変哲も無い下手くそな地図が描かれたただの紙切れだった。
しかし男が手にした途端。
その紙切れは、突如として赤く眩い光を解き放ったのだ。
あまりの眩さに俺は思わず目をそらす。
そして再び俺が視線を戻した時には、その赤い光が幾重にも重なる幾何学模様に姿を変えて紙切れの上に明るく浮かび上がっていた。
これはもしかして魔法陣?
この世界ではまだ見たことがないその模様に、俺は他の世界の知識を使ってそう当たりをつけた。
しかし。俺がそう思った瞬間――
今度はその魔法陣から瞬く間に赤黒い炎が湧き上がり、それがまるで意志を持っているかのように男の身体に襲いかかっていく。
「まずい。焔殺の呪だ!」
突然、後方で控えていたはずの無気味な男が大声でで叫ぶ。それと同時にもう片方の男が何やら聞き慣れない短い言葉を呟くと、炎に包まれかけた男に向けてその両手を大きくかざした。
次の瞬間。今度は炎に包まれかけた男の身体を、無気味な男の手から放たれた青白い光が包み込む。
「早く!対呪の法が炎を抑え込んでいる内に。その紙切れから手を離すのだ!」
手から青白い光を放った男が叫ぶ。
しかし……その男の言葉とは裏腹に、青い光の中で紙切れを握りしめた左手だけが赤黒い光を燻らせて、その紙切れは一向に手から離れる気配を見せない。
「駄目だ。こいつ、手に張り付いたまま全く離れん。」
手のひらを広げ、男はそれを振り落とそうと何度も手を振った。
「くそっ。相手の呪者の方が一枚上手か……。ただの鼻垂れ小僧だと思って気を抜いていたが虚を突かれた。このままでは再び炎がオーデンを包み込むぞ!」
「せめて、呪者の居場所でもわかれば良いのだが。しかし、小僧を脅してそれを聞き出したところで……。」
「ああ、このような手の込んだ事をする奴だ。おそらく近くにはおるまい。」
先ほどまで、ただ静かに状況を伺っていたはずだった無気味な男二人は――
この時。明らかに動揺している様子だった。
俺に剣を突きつけていた義理の父親も、そしてこの得体のしれない二人の男も、今その視線に俺を捉えてはいない。
だったらこれは、千載一遇の好機である。
今。俺の目の前でいったい何が起こっているのかなんて、そんなものは今ここで知る必要は無い。今の俺に必要なことは、このまたとないチャンスを活かして一刻も早くこの場所から立ち去ること――それに尽きるのだ。
「おい。ワイズ! 今のうちにこの場所からサッサと逃げるぞ。」
俺はそうと決まるやいなや、尻もちをついたままだったワイズの体を無理矢理に引っ張りあげる。そして、一目散にさっきくぐった黒門を目指して駆け出した。
今。あいつ等が手間取っているうちになるべく遠く離れた場所ヘ……。たとえそれが地の果てだろうが何処だってかまわない。今はただ逃げ延びることだけを考えるのだ。
だが。そう簡単に、問屋は卸さなかった。
「おい。こいつを手から離せば良いのだな?」
そう叫ぶ声が聞こえたかと思うと、その刹那。ひたすら黒門を目指して駆ける俺の頭上を、何か黒い影が飛び越えるのを感じた。
そして、その黒い影は、前にも増して恐ろしい闘気を放ち俺の目の前に立ちはだかった。
「お、お前……。さっきの炎からどうやって………。」
男はつい今まで手に纏った炎の呪いを振り払えず、俺を追いかけるどころでは無かったはずだ。
それをどうやって……
だが、そんな答えなど、わざわざ聞くまでもなく分かっていた。男の左手からボタボタと止めどなく流れる赤い血。この、王国最強の剣士は、俺の様な見習い騎士が想像も出来ない豪胆さでその呪縛から逃れたのである。
「て、手首を自分で切り落としたのか……。」
「当たり前だ。どうしてもお前を逃がすわけにはいかないからな。お前があの呪の込められた紙を持っていた……。それはつまり、お前に聞かなければならんことが出来たということだ。これはもはや私怨ではない。今度は簡単に死ねるとは思わないことだ。」
男の声は、さっきまでの上ずった声では無く、いかにも騎士団の団長らしい落ち着き払った声だった。間違っても自ら利き手を斬り落とすような狂気を帯びた声では無かった。
だが、相手は手負い。しかも利き手を失っている。
これがもし、その辺のごろつき共ならば俺にも幾らかの勝機はあったかもしれない。
しかし今、目の前にいるのは王国……いや、大陸一の剣士と名高いオーデン騎士団長なのだ。たかだか利き腕の一本で何が変わるわけがない。それどころか男は、自らの利き手を切り落としてまで全力で俺のことを殺すつもりなのである。
俺はやむを得ず、腰に下げた剣を引き抜き正面に構える。
そして――
利き手を失った男は、それに合わせるようにして残された右手一本で両手持ちの剣をいともたやすく鞘から引き抜いた。
ここまで読んでくれて、どうもありがとうございます。
今日はまとまった時間があったので、久々の連続投稿をしてみましたw
そして次話では、また新たな展開が……
では。次の話も、よろしくお願いいたしますw