第三章 努力と孤高の魔法使い①
今度はどこかのバッティングセンターのベンチに腰を掛けていた。そろそろ一平もこれが死に間際の夢なのであろうことは理解できていた。いや、そうでもなければ今の状況が説明できないのだ。あちらからこちらへ飛び周っている。不安や戸惑いよりも面白くなりかけていた。
バッティングセンターのバッターボックスには、少年と呼ぶにも小柄な少年が打席に立っていた。小学校も三年生くらいだろうか。その打席の入り口には『100㎞/h』と書かれている。あのくらいの年齢の子なら、少年野球のいい投手でもせいぜい80キロくらいなものだろう。100キロの球なんて、小学生にはまだ早いと感じた。
「おお、大したもんだ。」
一平は思わず感嘆の声を漏らした。すでに完成されているかと言えるほど、少年のバッティング技術は見事なものだったからだ。明らかに格上挑戦と思えたが、幾度となくヒット性の当たりを飛ばしていく。これには一平も驚いた。天才とはいるものだ。打席の外でアドバイスを送っているのは父親だろうか。少年は父親のアドバイスを受けては修正してまた打ち始める。
ただ、一平が気になったのは何でもかんでも打ちに行くことだった。あそこまで速い球を次々と打てる技術があるのなら動体視力はいいはずだ。選球眼も身に着けさせた方がいいのではないかと考えたのだ。
「上手いお子さんですなぁ。」
一平は立ち上がると、父親に歩み寄って声をかけてみた。
「こんにちは。ありがとうございます。」
「見たところ、小学三、四年生くらいですよね。」
「ええ、今は三年生です。」
「この歳で100キロを打てるのはすごい。」
そんな話に気にもかけず、少年は黙々と打ち続けた。ただ、やはり来た球をすべて振っているので、ボール球は上手くミートできないこともあるようだ。
「差し出がましいようですが、ボール球は見逃してもいいのでは? これだけ上手な子だったら、打ち分けができればもっとすごい選手になれますよ。」
突然現れた老人の言葉に、父親は少し困惑したような顔をしたが、しかし、思うところがあったのだろう。父親は少年にボール球を見逃してストライクだけを打つように指示した。
「ボール球見逃したら球数もったいないじゃん。」
「イチ、お金のことは気にしなくていいからやってみろ。」
「・・・わかった。」
イチと呼ばれた少年はしばらくやっていると、どうやらやはり選球眼もいいらしい。ボールになる球には手を出さず、ストライクコースに来た球だけ見事に打ち抜いた。
30分くらいして、休憩の為に少年がボックスから戻ってきた。
「最後、7球しか打てなかった。」
「いやいや。キチンと選別できたのはすごいことだよ。」
一平は少年に向かってほほ笑んだ。
「ヒットを打ってもフォアボールで出ても、出塁は出塁だよ。塁にランナーが出るかどうか、投手にしてみたこれほど嫌なことはないと思うよ?」
「そうかなぁ。」
「それに、ヒットだって何も外野にクリーンヒットを飛ばすだけがヒットじゃない。ボテボテの内野ゴロだって、一塁に到達してしまえばヒットはヒットだ。」
「それはそうかもしれないけど。やっぱり外野を抜いてホームランにしたいよ。」
「まぁな。でも、たくさんホームランを打つことももちろん素敵だけど。選球眼が良くて内野ゴロでもヒットにしてしまう。そういう選手がいたら、絶対チームは強くなるし、ピッチャーは嫌がるよ。」
「そりゃ、アウトだと思ってたらヒットになっちゃうんだから、がっかりしちゃうよね。」
そんなことを話していると、父親が飲み物を買ってきてくれたようだ。一平にコーヒーを差し入れてくれた。
「お、これは申し訳ないね。」
「いえいえ。いいアドバイスをありがとうございます。私の希望でもあるんですが、この子には野球三昧の毎日を送らせてしまって、暇があれば連れてきているんです。」
「いやいや。それでも投げ出さずに続けているのは、お子様の努力のたまものだと思いますよ? イチ君はいずれはプロ野球、あるいはアメリカで活躍できるようになるかもしれませんね。」
コーヒーをすすりながらそう言うと、炭酸飲料を片手に少年は高らかに笑った。
「それはさすがに無理だよ。大リーグなんて日本人が活躍できる場所じゃないって。」
「そうかな? いつか、世界最高のアメリカ大リーグで、日本人が安打製造機となって、世界で一番ヒットを打ったり、殿堂入りしたりするかもしれないよ。」
「ないない。100年たってもそれは無理だよ。」
そう言ってひとしきり笑うと、少年は再び小銭をもらってボックスへ入っていった。
「すみません。生意気盛りなもので。。。」
「いやいや、お子様はきっと素晴らしい選手になれますよ。お父さんが背中を押して差し上げてください。」
一平はコーヒーのお礼を言うと、その日は日が暮れるまで少年のバッティングを眺めるのだった。すっかり仲良くなった一平は、イチのバッティングを見ては褒め、褒められたイチは嬉しくてまた打ちまくった。
「おじいさん。今日は長時間付き合ってくれてありがとうございました。」
帰りがけにイチが声をかけてくれると、
「君はすごくセンスもいいし努力ができる。コーチや監督の言うことに耳を傾けて柔軟にフォームを見直し、これからも頑張って。きっといい選手になるはずだよ。」
「うん。ありがとう!」
父親と一緒に家路につくイチは、なんだかとてもうれしそうな顔をしていた。