Scene3-8 憧れとの再会
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「なんでキミから、あいつの名前が出るのかなぁ。私と拓人の関係なんて、璃玖くんに話したことあったっけ?」
二人用ベッドの上で、レミは璃玖に組み敷かれるように上半身を投げ出していた。
ホテルに備え付けられた白いローブは大きくはだけ、彼女の柔肌はオレンジ色の照明の中に影を落とす。熱を帯びた彼女の身体に、ひとしずく。ちょうど乳房の膨らみの上から流れ落ちたそれは、谷を下るように滑り落ち、やがて鎖骨の間に収まった。
璃玖の腕は細かく震えていた。今目の前にいる存在が、たまらないほどに愛おしく、たまらないほどに美しく、そしてどうしようもなく怖かった。
璃玖の額に滲む汗は、彼の頬伝いに滑り落ち、やがて彼女の身体をゆっくりと濡らしていく。
「事件より前から、四季島先輩のことは意識していました。レミ先輩、昔から彼のことが好きだったんですよね」
「……知ってたんだ。じゃあ、隠しておくこともなかったな」
レミは自嘲するように顔を歪めた。
「確かに私は拓人のことが好きだった。ううん、今でも大好きだよ。だけどさ、それってキミには関係ないよね。キミが拓人の代わり? ちょっと自惚れすぎなんじゃないかな」
シーツを握る璃玖の指に力がこもる。自惚れすぎ、確かにそうなのかもしれない。
しかし、事件以降のレミの男性遍歴が異常なのは確かなのだ。四季島拓人の死が彼女の価値観を大きく狂わせたと考えるのが自然だ。
「じゃあなんで立て続けに色々な男性と関係を持つんですか。昔自分で言ってたじゃないですか。私は一途なんだって」
「一途だよぉ? 今だって拓人のこと好きなんだもん。でも、死んだ人間をいくら愛したって、向こうが私を愛してくれることは二度とないんだ。だったら、次の恋を探すのが賢明な判断ってやつじゃないの?」
「それは……」
半分は正解だと思った。故人が今を生きる者に与えるのは思い出と教訓だ。そこに情や愛が宿るとすれば、それはきっと生前に託された物の残り香。死者からは新たな感情は生まれない。
だけど、次の恋を探す行為は賢明と言えるのか。恋に恋する者にとってはそれが正解なのだろうが、璃玖はレミがそういうタイプだとは到底思えなかった。だって結局彼女は死から始まる鎖に囚われ続けているのだから。簡単に断ち切れる因果ではないことは明白だった。
「俺は、レミ先輩が自暴自棄になっているようにしか見えないです。じゃなきゃ、俺なんかを誘惑する意味がない。それに新しい恋というのなら、ふさわしい人が現れるのを待つって選択肢もあったわけじゃないですか。どうしてそうしなかったんですか。どうして、俺なんかを……」
レミは顔を背け、口を真一文字に結んだ。彼女は僅かに目を伏せて、しかしすぐに遠くを見つめるような目つきになり、呟いた。
「……そうやって小難しく考えるとこ、ほんっとあいつにそっくり」
レミは苦々しく吐き捨てる。大きく息を吐いた彼女は璃玖の首に手を回し、彼の顔を額と額が振れるまでに近づけた。
「先輩」
レミは目を見開いたまま口角を持ち上げる。眼前数センチに迫るレミの表情に、璃玖は総毛立つ思いだった。彼の人生において出会ったことのない顔、狂気を孕んだ歪な笑顔。
「話は単純だよ、璃玖くん。シンプルに、私はセックスが好きなんだ。璃玖くんには言ってなかったけど、私、最初の彼氏に秒で抱かれたんだよね。乱暴にヤラれたから死ぬほど痛かったけど、中でいくのを覚えてからはハマっちゃった」
レミの目が細くなる。
「気持ちいんだよ。夢中で繋がってる時だけは、全部忘れられる。いってる最中は、頭が真っ白になって」
レミの眉が八を描く。
「全部、全部が溶けていく感覚がするの。……だから、だからさ」
レミは璃玖のシャツを両手で掴み、力を込めた。その際にネイルの先で胸を掻かれるも、璃玖はじっと耐えた。きっと、胸の痛みはレミの方が上だから。出なければ、彼女が今泣いている理由に説明が付かない。
レミは顔をくしゃくしゃにして璃玖のシャツを引き、彼の体を揺さぶった。
「抱いてよ璃玖くん……何も聞かずに抱いて……! お願い、だよ……ッ。過去も真っ白になるくらいに、いかせてよ……!!」
だんだんと、レミの心を覆うシェルターが壊れていく。彼女が笑顔の仮面を被り、二年もの間隠し続けていた魂からの悲鳴。二年前は踏み込むことができなかったレミの奥底に、璃玖は辿り着こうとしていた。
レミがセックスに依存する理由、それは過去を忘れるため。悲しみから逃れる手段だった。交際相手を次々に変えるのも、拓人に変わる存在を見つけるためではなく、単に性に溺れることで過去を塗りつぶしたかったのだろう。
しかし、璃玖は疑念を抱く。最愛の人が殺されたという事実のみでここまで自暴自棄になるものだろうか。悲しみを紛らわせるための逃避にしては、レミの行為はあまりに自傷的すぎる。それに────。
「先輩。どうして、今日なんですか。偶然ソラの迎えを頼まれたから……それだけなんですか」
「……ッ! なんの、こと」
レミの眉間に皺が刻まれていく。キリキリと眉を上げていく彼女に明確な怒りの感情が灯る。
「だって今日は……八月の十一日は」
「やめて!!」
璃玖の言わんとしていることを理解した瞬間、レミあらん限りの力で叫んだ。璃玖を掴んでいた彼女の両手は、小刻みに震えながら彼女の頬へと下ろされる。細い指がレミの顔の表面をなぞるようにして、やがてレミは両目を覆い隠した。
「やめて、やめてよ。変なふうにこじつけないで。お願いだから、やめて」
レミの掌の内側から次から次へと染み出してくる涙を、璃玖は親指で拭ってやった。そして尋ねる。
「……じゃあ、今日の相手に俺を選んだのもたまたまってことですか」
「……」
「どうして今日という大事な時に、俺を選んだんですか。それだけ聞かせてください」
「……ッ! だから、それは────」
レミは目を覆っていた掌を解くと、空気を食み、そのまま口をつぐんだ。何か言いたげな眼差しを向けたまま、力なく腕をベッドに投げ出した。
璃玖も上体を起こす。彼はレミのはだけたローブを元に戻すと、ベッドの端、彼女の隣に腰を下ろした。
「今日って、四季島先輩たちの命日ですよね」
ちょうど今から二年前。高速バスジャック事件が起きた。
「……うん」
「二年前のあの日、俺は先輩からの電話を受けました。後で知ったんですが、あの日、先輩が連絡したのは俺だけだったんですよね。どうして俺だったんですか」
「……さっき『それだけ聞かせて』って言ったのに、二個も質問してる」
「それは、いえ、すいません」
レミは体を起こした。先程璃玖が適当に戻しただけのローブの留め紐を一旦解き、乱れをきちんと直してから前を閉じた。指の腹で目頭を軽く押さえてから、レミは璃玖へと向き直る。
「全部は話せないけど、良い?」
璃玖は驚いた。なんだかレミから憑き物が落ちたように感じたからだ。やや髪を乱しつつも凛と構えたその仕草に、表情に、璃玖は過去のレミの姿を重ね合わせる。
────ああ、レミ先輩だ。
璃玖は実に二年ぶりに、憧れの先輩と再会を果たした。




