表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/126

Scene3-7 仮面

 翌朝。璃玖(りく)はソラを連れて橋戸(はしど)家に(おもむ)いた。

 ソラにとっては一週間ぶりの帰宅であるが、その表情にはいまだに緊張の色が(にじ)んでいる。きっと家を飛び出したあの日の惨状が脳裏を過ぎるからだろう。


「ただいまー」


 玄関を開け、中に入るとすぐにソラとレミの母親が飛んできて、我が子を抱きしめた。勝手に出て行ったことは(とが)められなかった。ただただ心配だったのだろう。


「璃玖くんも久しぶりね。前の時はごめんなさいね、私も取り乱してしまって」

「気にしないでください。大変な事件だったんですから。……レミ先輩の様子は?」


 レミの母は少し困った表情をした。ただ、その困り具合というのは悲しみや苦しさなどの要素の含まれない、純粋な『困惑』だった。少なくとも璃玖にはそう感じられる。はて、と心に引っ掛かりを覚えつつも、璃玖は案内されるがままに家の中へと上がり込んだ。


 レミが暴れたと聞いていたが、リビングの様子は以前と変わらない。椅子に腰掛けていたレミの父親と目が合ったため、会釈(えしゃく)をしてから璃玖は二階へと上がって行った。

 レミの部屋の扉の前に立つ。緊張感から、璃玖は唾を飲み込んだ。


「レミ先輩、おはようございます。璃玖です。開けても大丈夫ですか」


 三回のノックのあと、そう声を掛けた。どうぞ、と聞こえたため、璃玖とソラは目配(めくば)せをして、そっと扉を開放した。

 南向きの窓から朝の日差しが燦々(さんさん)と降り注ぐ明るい室内。勉強机の椅子に腰掛けて、彼女はいた。


「おおーっ久しぶりだね、ソラと璃玖くん! 元気してたぁ?」

「「……は?」」

「は、じゃないよ。元気だったか聞いてるのにぃ! て、そっか。私のせいか。ごめんねぇ~心配かけて!」


 予想以上にハツラツとした姿のレミがいた。


 先日の落ち込みようはどこへやら、むしろ以前よりもパワーアップしているようであった。

 一周回って感情のリミッターが外れてしまったのか、はたまた悲しみを隠そうと必死で演技をしているのか。これはこれでかなり不安な状態だ。母親が困り果てるわけである。


「璃玖くん。そこ、ベッドのとこ座ってよ。あ、お母さんとソラは一旦たいさーん」

「え、俺だけ、ですか」


 璃玖はソラたちに視線を送った。本当にこの状況下でレミと二人きりになって良いものか、璃玖一人では判断がつかない。

 レミの母親は苦笑混じりに頷いた。レミをお願い、ということらしい。

 ソラはレミと母親の顔を交互に見やり、眉根を寄せている。璃玖以上に戸惑っている様子だったが、やがて母親に連れられてリビングへと降りて行った。


「さ。入った入った」

「お、お邪魔します」


 璃玖は恐縮しつつ、レミの部屋に足を踏み入れた。

 橋戸家に来る時はリビングルームで過ごすことがほとんどであるから、レミの部屋の中というのが璃玖にはなんとも新鮮だった。

 それと同時に『ここは自分の居場所じゃない』という強烈な感覚が襲ってくる。なんだか地に足がつかないふわふわとした感じだ。一歩でも足を踏み外せば奈落の底へ吸い込まれそうな気すらしていた。


「さて、と。まずは謝らなきゃ。ごめんね璃玖くん。心配をかけて」

「そんなの……良いんですよ。気にしてないですから」


 璃玖は思い出す。事件当日の(すす)り泣くようなレミの声を。あの時の雰囲気と今の彼女とが何故だか結びつかない。妙な感覚だった。違和感、と言っても良い。


「璃玖くんはどこまで聞いているのかな?」

「どこまで、とは」

「私のクラスメイトが死んじゃったこととか」


 レミは四季島(しきしま)拓人(たくと)のことを、『友達』でも『親友』でも『好きな人』でもなく、『クラスメイト』と呼称した。


「大事件でしたから、ある程度は聞いてますよ。大変、でしたね」


 璃玖は慎重に言葉を選びながら、なるべく固有名詞や事件の概要に触れないよう細心の注意を払う。今のレミは何がトリガーになって取り乱してしまうのかわかったものではないからだ。


 しかし当のレミ本人はケロリとしたもので、


「うん、まあでも死んじゃったものは仕方ないしねぇ」


 そんなことを言ってのけたのだ。それも、笑顔で。


 これには璃玖も背すじが凍る思いがした。大切な人を亡くしてたった数週間。それなのに、こんなにも吹っ切れるものなのか、と。いや、これは吹っ切れるなんてレベルではない。命の重みをまるで感じていないような……。

 璃玖は確信した。レミは精神的に持ち直したのではない。逆なのだ。



 レミの心は、あの日、あの瞬間に死んでしまったのだ。



「私もそれなりに仲良くしてたやつだからさ、いなくなっちゃったのは寂しいよ。でもね、そうやって過去に縛られてたら駄目だと思うの。前を向かないと、でしょ!」


 レミの言葉の表面だけを聞けば、過去を乗り越えて前向きに生きていこうという素晴らしくポジティブな宣言に聞こえる。しかし、重みが無い。レミの言葉には魂が乗っていない。

 魂の質量は二十一グラムだと誰かが言った。そのたった二十一グラムの差が、こんなにも重い。


「『前を向かないと』、たしかにそうですね」


 璃玖はレミの言葉をリピートする。そうすることで彼女の言葉を咀嚼(そしゃく)し、少しでも人間味を感じ取れるのではないかと淡く期待してのことだった。


 結局、得られたのは無味。(むな)しさだけが後味に残る。


「それに、今は璃玖くんがいるもんねぇ♡ キミが側にいてくれるなら、私は寂しくなんてない!」

「はい、俺が付いてますから。先輩……レミ先輩……ッ!」


 璃玖は情けなさに泣けてくる想いだった。何とか涙を流すのだけは(こら)えていたけれど、その時の彼はレミの目から見ても相当に酷い顔をしていたらしい。

 レミは項垂(うなだ)れる璃玖の横に立って、彼の頭を腕で包み込み、そっと自分の胸元へと引き寄せた。


「んもう、しょうがないなぁ璃玖くんは。どうしてキミがそんなに苦しそうな顔をするのさ」

「だって、レミ先輩が」

「んふふ。いーこいーこ。もっと甘えて良いんだよぉ。これから二人で生きていこうね、璃玖くん♪」


 そのままの姿勢で動く事もできず、自分の感情すらまともに整理できず。一時間後にソラが様子を見に来るまで、璃玖はレミの胸の中で泣くのを堪え続けるのだった。


 ***


 その日以降のレミは、事件前とさほど変わらない様子を見せた。周りが引いてしまうほどに、彼女は『普通』であった。


 少しだけ変化があったことと言えば、男子からの告白を断らなくなったという点だろう。

 彼女は誰かに告白されるたびに了承して交際をし、また別の誰かから告白を受ければ、前の彼氏をさっさと切り捨てて次の男性に乗り換えるようなことを繰り返した。

 その行為を璃玖たちが(とが)めても、まるで効果は無かった。


「ねえねえ聞いてよ璃玖くん。私また彼氏ができたんだよぉ。今度はねぇ、前の彼氏のお兄さんで大学生の人なんだけどぉ」


 その日もまた、部室の整理を行っている時にレミの恋愛事情の話になった。


「あの、レミ先輩」

「ん? どしたのー?」

「……やめませんか、そういうの。男の人をとっかえひっかえなんて、レミ先輩らしくないです」

「んー、そうかなぁ?」


 レミは唇に人差し指を当て、首を(かし)げた。何が良くないのかが本気で分からないといった素振りだった。

 レミ曰く『性的な事や金銭的な事、肉体的精神的倫理的にきつい事は何も無いからセーフ』らしい。


「ただ一緒にお出かけしたり、たまに手を繋いだりするだけの付き合い方だし、大丈夫っしょ!……そーれーとーもー……」


 レミは璃玖に(ささや)き声で耳打ちする。


「璃玖くんが私を貰って、守ってくれるのかな♡」


 璃玖は全身の毛が逆立つような錯覚に襲われて、レミを振りほどいて距離を取った。

 彼女に背を向けて、部室の扉に手を掛ける。そのまま、レミの方へは振り返らずに、足元だけを見つめて璃玖は言う。


「守りますよ、レミ先輩を。だけどそれは、一番の後輩として。第二の弟分として。それから、友人としてです。俺はレミ先輩が好きです。でも、あなたが俺を、俺自身を認めてくれないなら……付き合うだとかは考えられないんです」


 レミが色々な男を乗り換えているのは、四季島拓人に変わる()り所を探しているからに違いない。


 彼はなりたくなかった。四季島拓人の代替品(だいたいひん)には、絶対に。

 だからいつの日かレミが璃玖自身のことを心から好きになってくれるまで、その日が来ることを信じて、待ち続けると決めたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 璃玖くんはレミさんが壊れていく様を近くで見ていたんですね……好きな人がこんなふうに変わっていくのを見ているのは辛かっただろうな……。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ