Scene3-5 川底の異変
昼食が終わり、自由時間。川辺のキャンプ場において自由と言われてやることは一つ。すなわち川遊びである。
水遊びともなれば、特に男子部員たちのテンションの上がりようは凄まじく、まるで小学生時代に戻ったかのように大騒ぎを始めた。
「おっしゃ、みんな行くぜぇ!」
「うぇぇぇい!」
あまりに男子がはしゃぐものだから、顧問の先生が注意するほどだった。いくら小さな川とはいえ、飛び込みなどすれば危険極まりないからだ。
そんな男子たちの中で、一人冷静さを保っている男がいた。彼の者の名を樫野璃玖という。
彼は腕組みをしながら男子たちの狂乱、そして怒られる様を生暖かい目で見守っていた。彼は非日常的なワクワク感を前にしても、一時の感情で行動したりはしない性格なのだ。
「ふっ……まったくあいつらときたら」
璃玖はそう呟きながら、羽織っていたポロシャツを脱ぎ捨てた。
「子供でもあるまいし、そんな大袈裟にはしゃぎやがって」
ついで身に付けていたTシャツをも脱ぎ去り上半身を露出させると、深く深く息を吐いた。刹那。カッと目を見開いた彼は、あらん限りの大声で叫んだ。
「おっしゃあああ!! 遊ぶぞぉぉおお!!」
璃玖は周りよりもむしろ数段階上のハイテンションで川に向かって走り出した。が、すぐに顧問の先生に捕まって大目玉を喰らうのだった。
女子たちは皆、こう思っていたに違いない。
「「(これだから男子って……)」」
その頃、茉莉は川遊びに備えて、眼鏡を普段使っているものから以前使っていた古いものへ交換していた。汚れたり壊れても良いように、である。一応無くさないように眼鏡にバンドを取り付けたところで、彼女ははたと気付く。
「あれ、そういえばソラくんは?」
茉莉が他の女子部員に尋ねると、彼女らは黙ってテントの方を指差した。そこにはソラが自分の荷物の中をごそごそと漁っている姿が。
何をしているのだろうとテントを覗き込む茉莉。すると、ソラはザックから驚きのグッズを取り出して見せた。
「そ、それは!」
ソラは自慢げにそのブツを茉莉に見せつける。
四角い筒の端に透明なアクリル板が取り付けられた、おそらくソラお手製の道具。
「じゃーん、『水中スコープ』です。これで潜らなくても水中の生き物観察が簡単にできますよ!」
キラキラした笑顔でスコープを抱えるソラを見て、女子たちは思った。
「「(一人だけ遊びの方向性が違う!)」」
***
さて、一口に川遊びと言っても、楽しみ方は色々だ。
川には入らず、水に触れて涼を感じるのも良し。水中にある石をひっくり返して水生昆虫を探すも良し。川原の平たい小石を拾って投げ、水面を跳ねる回数を競うも良し。もちろん遊泳可能な場所であれば水に完全に浸かってしまうのもアリだろう。
しかしひとたび水かけ遊びが始まったらば、それは年齢に関わらず無我夢中になるものだ。
「やったな、この野郎!」
「わっ、センパイ、冷たいですよぉ!?」
「樫野ぉお、さっきはよくも水浸しにしてくれたなぁ……!」
「うげっ、茉莉。顔が怖いぞ!?」
茉莉は水中から水を掬い上げるようにして足で蹴り上げ、大量の飛沫を璃玖やソラに浴びせかけた。
たまらず璃玖も反撃せんと手で水を掻こうとする。しかし屈んだ瞬間に再び茉莉の水蹴り攻撃が炸裂。今度は顔面にモロに水塊を受けた。
「うわッ、耳に水が入った!」
「ぎゃはははは、ばーかばーか!」
璃玖を指差し、腹を抱えて笑う茉莉。……そんな彼女の隙を突いたのはソラだった。ソラは濡れたシャツの裾を持ってバケツがわりにし、一度に大量の水を浴びせかけにかかる。
ところが。
「って、わきゃあッ!」
変な声を上げたのはソラの方だった。水を汲もうとしゃがんだところで足が滑り、そのまま身体ごと茉莉に飛び込んでしまったのだ。
ソラは咄嗟に何かに捕まろうとして、腕を伸ばした。瞬間、ふくよかな感触。気が付けば、ソラは茉莉の胸を鷲掴みにしてしまっていた。
「────ッ!?」
「わ、わ、わ!?」
慌てて飛び退くソラ。茉莉は腕で胸を抱くようにして、紅潮した顔でソラを睨んだ。
「……。そ~ら~くぅぅうん?」
「ひぃッ、ふ、不可抗力なんです! ごめんなさい!」
ソラは平謝りだった。いくら今は女の子だと言っても元々は男の子。他人の胸を触って許されるものではないのである。
「まあまあ、ソラも悪気はなかったんだし、許してやれよ」
璃玖が言うと、茉莉は口を尖らせてそっぽを向いた。
「わかってるけどさ。やっぱり男の子に触られるのは恥ずかしいよ」
「そんな、女の子みたいな反応しなくても」
「うっさいナミダボクロ! 私は女だろうが!」
茉莉という少女は黙っていれば委員長然とした風貌で大人しい印象になるのだが、ひとたび口を開けば結構がさつだ。そのあたり、璃玖は友達として割と気に入っている部分でもある。見た目通りの性格だったならば、色々と気を使ってしまってここまで親密とはいかなかっただろう。
「(それにしても……)」
璃玖には少しばかり気掛かりな点があった。
実はソラが今履いている靴は、ウォーターシューズといって、軽量で水はけがよく、かつ靴底が滑りにくい材質のものだ。これがあると割と安心して水の中に足を突っ込めるという代物なのだが、問題は、その装備があってもソラは足を取られたということだ。
試しに、璃玖は少し足を動かして、岩肌の表面を靴底で探ってみた。すると思った通り、例年よりも藻類が繁茂して滑りやすくなっているみたいだった。
「なあ茉莉、今年の川って裸足とかサンダルの奴は気を付けないと──」
副部長である茉莉に危険性を相談しようと璃玖が声を掛けた、その時だった。
「きゃあッ!?」
璃玖の目の前で、茉莉の身体が大きくブレた。一瞬、視界から彼女の身体が消えたかと錯覚するくらいの勢いで、彼女は転倒し、大きな飛沫を上げて水の中に尻もちをつく。
「いたたた……」
茉莉は近くの岩に手を置いて、支えにしながら立ち上がろうとした。が、腕に力が入らない。それどころか、今度は腕の方がぬめりに負けて、再び茉莉は転倒する。
「おいッ!」
「茉莉先輩!」
璃玖が慌てて手を伸ばす。ソラが急いで追いかける。
しかし時すでに遅し。茉莉の身体は、水の勢いに押されてどんどんと下流へ押し流されていくのだった。




