遥か未来の頂で
春。
ツブラジイの黄金の花が咲き乱れる登山道を、一組の少年少女が歩いている。
年の頃は、十代の後半に足を踏み入れたくらい。
先を進む黒髪の少年を追うように、栗色の髪の少女が懸命に足を動かしていた。
「ハァ……ねえ、まだ、着かないの!? そもそも、こんな、ハァ……山道登らなくても、エレベーター、あるじゃん!」
息を切らせながら少女は言う。
足を止め、長い髪を掻き上げて額の汗を拭った彼女は、碧い瞳をジト目にし、少年の背中へと視線を突き刺し不満を訴えた。
切り歯の目立つ口元から舌を出し、彼女は短く息をする。
日に焼けた肌も相まって、彼女はどこか狼っぽい雰囲気だった。
少女の視線に気が付いたのか、はたまた足音が聞こえないことが気になったのか、少年は坂の上で振り返る。
巻き癖の強い黒髪に白い肌、灰色の瞳。
口元にホクロのある、整った顔立ちの少年だ。
彼は困ったように頬を掻きながら、自分を睨んでくる少女に言った。
「さっきも言ったけどさ、二人の最後の登山なんだから、エレベーターじゃやっぱり味気ないよ」
「ううー、でもこんなにキツいなんて知らなかったもん」
「頑張ろう。ほら、こんなに登ってきたんだから、きっとあと少しだ」
少年が眼下に広がる街並みを指差す。
木々の間から覗くその景色は思っていたよりもずっと遠くに感じられて、随分と高いところまで来てしまったな、と少年はしみじみ思う。
遥か遠方に霞んで見える隣県の高層ビル群はこの山よりも高い五百メートルクラスのはずだが、自分たちの方が高みにいる気さえするのだ。
「うわ、すごい景色」
「でしょ? 山頂に着いたら、きっともっと凄いよ」
そう言って、少年はピシャリと両頬を叩いた。
気合いを入れ直し、再び登山道を登り始める。
間も無く最後の階段を抜けると、そこにはおよそ六十年前に再建された山城や、よく整備された山頂広場が広がっていた。
多くの観光客で賑わうそこは、市のシンボル・銀河山の頂上だ。
しかし少年たちの目的地は本当の山頂ではなく、少し坂を下った先にある展望テラス。
いよいよその時が近づいてきたとあって、少年はバッグのショルダー紐をぎゅっと握りしめた。
広場の道を歩いて数分、古びた飲食店が見えてくる。
その屋上部分が目指す展望テラスだ。
コンクリート造りの建物は随分と年季が入っており、近々取り壊して山頂広場ごと再整備する予定らしい。
少年は、取り壊し前に来れて良かったと思う反面、彼らには取り壊しまで生きていて欲しかったと悔やむ気持ちもあった。
「おおー、絶景だねぇ♪ 頑張って登って良かったかも!」
「ね。苦労した甲斐があったでしょ」
満面の笑みで喜ぶ栗色の髪の少女。
それを見て、彼女を連れてきて正解だったと少年も嬉しくなる。
少年にとって、彼女の笑顔が何よりの活力なのだ。
「さて、と」
彼はバッグのファスナーを開けて、中から小さな瓶を二つ取り出した。
白い粉のようなものが入った、大きめの乾電池ほどの小瓶。
少年は二つを手に取ると、切なげにそれらを見つめた。
「それが、ネイロのおじいちゃんとおばあちゃん?」
「そう。僕の、大切な人たち」
それは、少年の祖父母の遺骨を細かく砕いて粉にしたものだった。
彼が御守代わりにしばらく持ち歩いていたものだ。
「あんたはおばあちゃんっ子だったもんね」
「うちの親、海外を飛び回ってたから。僕はずっとおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしてた」
「ネイロのおばあちゃんって、女優さんなんだっけ」
「違う違う。それはおじいちゃんの方。性別変えれる能力者だったから、女優……っていうかモデルとして活躍してたって」
少女はああ、と手を打った。
「そっか、芸能人だったのはうちの婆ちゃんの弟って聞いたことあるわ」
「うん。ソナタと同じ髪の色のね。昔の写真見たらすごく綺麗だったよ」
「ふふ……私みたいに?」
「──何を言わせようとしてるんだか」
少年は少し頬を赤らめてそっぽをむいた。
してやったり、と少女が悪戯に笑う。
少年の頬をつっつきながら、にやにやと楽しそうだ。
「こないだのお葬式の時に思ったけど、ネイロはおばあちゃんに似てるよね」
「そう? まあ、母さんがおばあちゃん似だったからかも」
黒髪で、癖毛なところは完全に遺伝だな、と少年は思う。
確かな血の繋がりを感じて嬉しく思う反面、ちょっぴりむず痒い。
すると、少女は少し寂しそうな目をして言った。
「いくらおばあちゃんに似てるからってさ……あんたは男の子のままでいてよ?」
「どうして?」
少女はやや目を伏せた。
「どうしてって、そりゃあ、その……あれだよ。あんたが女の子だと、温泉旅行とか一緒に行きずらいじゃん! プールとか、更衣室が一緒になると気まずいでしょ!」
「あー、そういうもんなのかなぁ」
少年は山からの遠景をぼうと眺めながら素っ気ない返事をした。
彼女の言わんとしていることがよくわからない。
別に性別がどうなったって仲良く遊べば良いのに、と彼はそう考えていた。
「でもまあ、大丈夫じゃない? 今のところは能力覚醒と身体変異は同時に起こらないのが定説らしいし」
そう言って、少年は人差し指を立てる。
彼の指を中心に、風が渦を巻いて周囲に吹きつけた。
その風がくすぐったくて、少女は顔の前を手で払う。
一生懸命風に抵抗する姿が可愛らしくて、少年は笑った。
「ちょっとちょっと、ストーップ! 風を止めなさいって!」
「あはは、ごめんごめん。だけど性転換を心配することはないってわかったでしょ」
「はいはいわかりましたよー。──って、ちょっと待って。だったら私が男になる可能性はまだあるってことだよね」
「きっとイケメンになるね」
「いやー! 私は女の子のままがいいー!」
地団駄を踏んで拒否をアピールする少女を、少年は微笑ましく見守る。
少年もまた、彼女が男の子になる未来はなんだか嫌だった。
できることなら、このまま彼女の愛らしい姿をずっと見ていたい、そう思う。
そして、生涯を寄り添って生きてきた祖父母のように、彼女を支えて生きていきたい。
これが少年の、密かな願いだった。
「さて、そろそろやらないと」
少年は小瓶の蓋を開けた。
『もしも自分がこの世を去った時。四十九日が明けたら、その時には自分とあの人の遺灰を銀河山に連れて行ってほしい。そして山頂で自分たちを眠らせてほしい』
銀河山からの散骨。
それが祖母が少年に託した最後の頼みごとである。
少年は展望台のアルミ柵に近寄ると、掌から風を起こす。
遥か上空へ立ち昇るような空気の流れが出来上がると、彼は瓶の中身を風の中に託した。
白い遺灰は青空の彼方へ散っていき、やがて何も見えなくなった。
「行っちゃったね」
「うん」
「もしかして、泣いてる?」
「ううん。幸せな旅立ちを見送れて、なんだか誇らしい気分だよ」
雲ひとつない空の向こうに、彼は祖父母の面影を見た。
いつも優しく、時に厳しく自分を導いてくれた彼ら。
思い出される記憶全てに彼らからの愛を感じられる、少年はそんな気がしていた。
「ねえソナタ。知ってる? おばあちゃんたち、この場所で結婚の約束をしたんだって」
「こんな綺麗な場所で。なんか素敵」
「だよね」
最期まで仲睦まじい様子を見せていた彼らのように、最愛の人と添い遂げられたらどんなに素晴らしいことだろう。
(僕も、いつかは────)
少年は遠い未来を夢に見る。
すると、隣にいた少女が後ろで手を組みながら、上目がちに聞いてきた。
「ねえ。ネイロにはそういう相手、いないの?」
「何を突然。……っていうか誰のせいでモテないと思ってるのさ」
「えー、私のせいだって言いたいの? 私はただ、ネイロに悪い虫がつかないように見張ってるだけですよー♡」
少女はくすくすと笑う。
そういうところだぞ、と少年は内心うんざりする反面、そういうところに惹かれるのだと、心のどこかで思うのだった。
────
──
しばらく展望テラスで会話をしていた二人だが、そのうち少女が少年の腕を引っ張った。
お城の方を指差しながら、彼女は満面の笑みで誘う。
「ねね、用事が済んだなら向こうの方見に行かない? リス園もリニューアルしたんだって。行ってみようよ!」
少年も優しく微笑み返し、大きく頷いた。
「──ここからは、二人っきりの山頂デートだね♡」
「デートって、親戚同士だろ、僕らは」
すると、栗色の髪を風に揺らした彼女は、くるりとターンをした。
少年と真正面で向き合うと、その長い髪をさっと耳まで掻き上げ、口元に人差し指を当てながら小首を傾げる動作をする。
やや上目遣いに小悪魔な笑みを浮かべた少女は、囁くような声で少年に告げた。
「知ってる? はとこ同士って結婚できるんだよ?」
「なッ────」
顔を真っ赤に染めて言葉を失う少年を尻目に、当の少女はケラケラと笑った。
彼女もまた若干頬を紅潮させて、目を細め、少年に向かって手を差し出す。
少年は彼女の手を取って。
二人はそっと指を絡めた。
「いこ? 未来の旦那様?」
「……まだ確定じゃないからね」
「ふふっ、はいはい♪」
眩しい日差しの中、二人はテラスを後にする。
手を引かれつつ階段を下りる少年は、目の前で楽し気に振舞う少女を眺めながら、こう思った。
────僕の憧れるはとこが、あざとくてつらい。
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