二人の知らない馴れ初め話 その2
「樫野? ……ああ、妹のクラスの委員長だろお前。そのボサ頭見覚えがあるぜ」
「どうも」
不良中学生の一人、黒髪長髪の男がガムを噛みながら肩を揺らして歩いてくる。
ソラたちを守るように腕を広げる璃玖。
その肩をがっしりと掴んだ彼は、璃玖に顔を近づけニコリと微笑んだ。
「おいボサ頭。コレやるよ」
瞬間。
長髪は璃玖の顔面に向かって噛んでいたガムを思いっきり吐き飛ばした。
「──!」
驚く璃玖。
右目の下あたりに生暖かく、ヌルヌルした気持ちの悪い感触。
ガムは璃玖の顔の表面を滑り、足元に落下した。
一瞬だけ身じろいだ璃玖だったが、しかし冷静さは失っていない。
嫌がらせを受けてなお、真顔で相手を凝視し続けている。
「チッ、なんだよお前」
舌打ちする長髪に、璃玖は僅かに口角を上げ、言った。
「そこの髪染めてる子、自転車で通りかかっただけの女の子に暴力振るうなんて最低ですよ。先輩はそんなヤツの味方するんですか」
初めに少女を蹴り飛ばしたプリン頭を顎で示し、璃玖は問う。
長髪は何も言い返さない。
そこで璃玖は付け加えて言った。
「何があったか知らないですけど、女の子に寄って集って、ダサくないですか?」
その台詞が癇に障ったのか、長髪は璃玖の顔面に拳を叩きつけた。
反射的に顔を引いた璃玖は大ダメージこそ避けられたが、その隙を突かれ、鳩尾の近くに前蹴りを喰らってしまう。
身体の真ん中を掻き回されるような不快感と激しい痛みに、璃玖はその場に膝を付く。
後になって段々と顔の方も痛みだし、一滴二滴と、鼻から赤い液体が地面に落ちていった。
「ハッ……! しゃしゃり出てきた割にヨワッチィー! だっせぇなクソカスが!」
先刻ダサいと言われたのを、長髪はそのまま璃玖へと返す。
「くっ」
璃玖は苦々しく顔を顰めた。
だが、彼はまもなく立ち上がる。
やや内股で、前かがみになりつつも、再び両腕を広げてソラたちを守る姿勢を見せた。
「ぐ……ッ。一方的に暴力を振るうなんて、最低なんだよ、あんたらは」
「あン?」
痛みを堪えながらも必死で訴える璃玖に、長髪は片眉を上げる。
どうやら先程よりも苛立ち度合いが増してしまったようで、彼は青筋を立てていた。
周りの不良たちも息巻いた。
璃玖の言い草に腹を立て、続々と璃玖へと詰め寄ってくる。
もう、彼らの視界にソラたちは映っていないみたいだった。
「いったい何様だよ、テメェはよォ!」
真っ先に食ってかかったのは、プリン頭の不良小学生。
先程璃玖に名指しで非難されたことを根に持っているようだった。
彼にとって璃玖は年上だ。
普通はいくらムカついたとて、小学生が身体の大きな中学生相手にイキりちらすなどそうそう無いはずだ。
だが長髪が璃玖のことを『弱っちい』と罵ったことで、プリン頭の中でも璃玖は弱いと認定されてしまったらしい。
相手に反撃されるとも思っていないのか、少年は隙だらけの大振りモーションで、璃玖の顔に向けて拳を振り上げた。
が、その後の璃玖の行動は、周りの予想を遥かに超えていた。
璃玖は呟く。
「……いちど攻撃を喰らったんだから、これは正当防衛ってやつだよなぁ?」
不敵な笑みを浮かべながら、小学生男子の突き出された拳を璃玖は片手で受け止める。
掌へ拳が打ちつけられて、パシィン!!と乾いた音を周囲に響かせた。
そして──。
「んぶぁっ!?」
謎の叫び声を上げながら、璃玖は、地面に打ち倒されたのだった。
「……は? なに、今の」
璃玖の真後ろでその瞬間を間近に見ていたソラは、今起きた現象を思い返す。
プリン頭のストレートパンチ、余裕綽々と片手で受け止める寝癖男。
しかしそれを受け止めたはずの彼の右手はパンチの勢いを止めきれず、なんとガードのはずの右手ごと顔面に押し込まれたのである。
その情けない光景に、不良グループの少年たちも一瞬唖然とし、言葉を失った。
数秒のタイムラグの後、その場を包みこんだのは。
「だァああっハッハッハ! なんだコイツ、自分の腕に殴られてやんの!」
「だッ──せええ! 小学生のパンチも防げねーのかよ! ひょろひょろガードすぎんだろ!」
格好のつかない璃玖を嘲笑う、不良たちの大爆笑だった。
しばらく大笑いを続けた不良たちは、やがてある遊びを思いつく。
金髪の男は不良グループの中の小学生だけを呼び集め、璃玖を指差し、こう告げた。
「今からさ、コイツ一発ずつ殴って、先に泣かせたやつの勝ちなー」
璃玖に抵抗する力が無いと見て、サンドバッグにしようというのである。
「蹴りでも良いの? 手ぇ痛いのやなんだけど」
「おーん? まあ、良いんじゃね?」
金髪は璃玖を引きずって樹の幹の近くまで移動させ、抵抗する彼に一発拳を入れるて黙らせると、その身体を幹に寄り掛からせた。
不良グループも皆ぞろぞろと長髪に付いていく。
始めに絡んだはずのソラたちには既に興味が無いようで、「君たちは帰っていいよ〜」なんて言いながら、璃玖に集り出す。
その場に放置されたソラは、呆然と成り行きを見守るしかない。
正直なところ、一体何が起きているのかすら理解できていなかった。
寝癖男がわざと不良たちを挑発し、自分たちから注意を逸らしてくれたのだと気付く頃にはもう、一発目の蹴りが彼の顔面にヒットしているところであった。
「ねえ橋戸くん、今のうちに逃げようよぅ」
「そーだよ、早く行こっ!」
女子二人がソラのシャツの袖を引く。
早急に立ち去るべきだと、彼女らは必死で訴える。
しかしソラは身動きができなかった。
相反する二つの思いに、心を束縛されていたからだ。
ソラは理不尽が許せない。
今、自分を守ろうとしてくれた男の子が、自分の代わりにリンチになっている。
これを黙って見過ごすことは、ソラの魂が許さない。
一方で、自分の力では状況が好転しないことも理解していた。
かといって尻尾を巻いて逃げるなんて真似は、ソラのプライドが許さない。
「……ねえってば! 橋戸くん、橋戸くん!」
女子がソラの腕を掴む。
一緒にこの場から立ち去ろうと強く引っ張る。
ソラは。
「うっせぇな! 黙ってろよ! 逃げたかったら勝手に逃げろ! おれは、おれはぁぁ!」
叫んだ。
自分を鼓舞するように叫んだ。
自らの叫び声に背を押され、彼はすっくと立ち上がる。
拳を握った。
大きく息を吸った。
こうなればヤケクソ、どうにでもなってしまえ。
「こんの、クソどもがァァァ!!」
ソラは、あらん限りの力を振り絞り、大声を上げながら不良たちのいる樹の下まで駆け込んだ。
が、次の瞬間。
「──ねえ君たち。面白そうなことしてるねえ」
「!?」
突然、よく通る綺麗な声が聞こえた。
大人の男性の、低い声。
だけど、妙に耳の中で心地よく響く、不思議な声。
ソラの叫びよりも、その声の主に反応を見せた不良たちは、一斉に振り返る。
ソラも同時に、後ろを見た。
自分たちの自転車が倒れているところから更に向こう、公道から公園内に歩いてくる『黒い男』の姿がそこにはあった。




