二人の知らない馴れ初め話 その1
ソラと璃玖のラストエピソードにして、時間的に一番古い話。
全3話です。
「あん? なんだてめー。調子のってんじゃねーぞコラ!」
「ひぃ、ごめん、ごめんって!」
昼休みの教室。
一人の男子児童が、別の男の子に胸ぐらを掴まれていた。
掴みかかっている側は茶髪で気の強そうな顔つきで、いかにも不良少年といった風貌だ。
彼は片眉を上げながら目を見開き、機嫌の悪さを露わにしていた。
掴まれている方の男子は黒髪で、お調子者っぽい容姿。
今は相手の子の灰色の瞳に竦んでしまい、既に涙目である。
茶髪の少年が言った。
「誰の頭がうんこ色だって? あァ?」
「でもさ、そんな色にするのが悪くない?」
「これは地毛だって何度言わせんだよ! ぶん殴られてぇのかテメェごるァ!」
「ヒぃッ!?」
喧嘩の発端は、お調子者が相手の子の髪の色をいじったことのようだった。
茶髪の彼は奥歯をギリギリと軋ませながら、腕にいっそうの力を込めた。
「ちょっと、何をしてるの! 橋戸くん、やめなさい! 手を離しなさい!」
教室に中年の女性が慌ただしく入ってきた。
彼女はこの五年一組の担任教師。
掃除の時間に起きた騒動に、誰に呼ばれたのか、職員室から大急ぎで飛んできたようだ。
彼女は現状を確認すると、耳がきんきんする声で叫んだ。
「橋戸くん、どうして暴力を振るうの! 手を離して謝りなさい!」
担任に名指しで叱られた少年──橋戸ソラは周りの全員に聞こえるくらいに大きく舌打ちをした。
相手の子を突き飛ばす勢いで手を離し、灰色の双眸に怒りを込めて教師を睨む。
猛獣の如き心の内を、不条理にぶち撒けるように彼は叫んだ。
「この学校の教師はよォ、暴言吐いたヤツよりも暴言に立ち向かったヤツを攻めんのかよ、あァ!?」
吐き捨て、彼は教室を飛び出した。
そのまま土間を抜け、校門を潜り、町の中に飛び込む。
──この頃の彼は、気に入らないことがあるとすぐに学校を抜け出すような素行の悪い小学生だった。
とはいえ彼は自らが間違ったことをしているとは微塵も考えていない。
彼の行動の根底にあるもの、それは、理不尽への反骨心であった。
***
夏のある日。
ソラはクラスメイトの女子二人に連れられて、学区外にある喫茶店に来ていた。
大きな公園のすぐそばにあるチェーン店。
冷房の効いた涼しい店内で、ソラたち三人はアイスクリームを食べている。
仏頂面を浮かべながら、ソラが聞いた。
「なあ、これってマジで奢ってくれるの? おれフツーに自分の分払うけど」
すると女の子のうち一人が言う。
「だめだよぅ、こないだ庇ってくれた分のお礼なんだから」
「うちらが怒られてる時、先生に言い返してくれたじゃん。だから遠慮せず食べなよ。あ、ほらクロブランシュも追加で頼んじゃう?」
「……なんか餌付けされてる感がすげーんだけど」
ソラはあまり良い気分ではないのか、表情らしい表情を見せずに黙々とアイスを口に運んでいる。
そんな彼の様子を、女子二人がニコニコと眺めている構図だ。
ソラは非常にモテる。
女子連中は常に肉食獣のようなギラついた目で彼を追い、何かあるたびに礼と称して映画や遊びに誘うのだ。
ソラとしては男子といる方が気が楽なのだが、今回はアイスにまんまと釣られてしまったというわけである。
「つーかさ、おれは当たり前のこと言っただけなんだぜ。お前らは学区の端っこに家があるわけじゃん?だから学区外に買い物行くのもしょうがないことじゃんか。なーにが『子供だけで学区外に出るのはダメ』だっての。あほらし」
「でも、先生に言い返せるのはやっぱりすごいよぅ。たぶんあの時女の子全員心の中で拍手してたと思うよぅ」
「……ふぅん」
ソラは女子からの評価に興味がない。
というより、下心が透けて見える言葉を信用していないのだ。
だからこの日もデザートを食べ終わったらさっさと家に帰る腹づもりでいる。
試しにソラは二人に問うてみた。
「あのさ、この後銀河山行かね? ハイキングコースは小学生でもいけるらしいぜ。上からの景色が絶景なんだってさ!」
すると女子二人は引き攣った笑顔でこう返す。
「や、山登りはちょっと……」
「それなら銀河山のそばで川遊びした方がマシかもぅ」
案の定、である。
結局女子たちは自分のテリトリーにソラを引き込みたいだけで、彼の興味関心ごとに付いてくる気はないのだ。
彼女らの話す内容も、ファッションだとか推しの芸能人だとか、色恋の話だとか、ソラの関心からは外れたものばかり。
一応うんうんと頷いてあげるだけでも大人な対応をしてあげているとソラは思っている。
女子たちには悟られないよう、ソラは静かに溜息を吐いた。
「なあ。そろそろいこーぜ。おれ帰って宿題やんねーと」
「はいうそー。橋戸くんが勉強なんてするはずないじゃん」
「ちッ、バレたか」
理由付けには失敗したが、しかしソラの『帰りたいオーラ』は女子たちに伝わったらしい。
彼女らは帰り支度をすると伝票を持ってレジへ向かい、本当にソラの分まで会計を済ませてしまった。
そうしてソラへ振り返った彼女らは、ニコニコ顔でこう言った。
「じゃ、うちらがソラくんの家まで送っていってあげるね♡」
「ねー♡」
ひょっとしてヤツら、家に上がり込もうという考えなのではないか。
ソラは早く解放されたいという思いからガックリと肩を落とした。
────
──
ソラの家へ向かうには、喫茶店横の公園内を進んだ方が近道だ。
ソラは女の子二人を従える形で、自転車に跨がり園内を走っていた。
これが近所の公園だったら一人くらいは見覚えのある子がいてもおかしくはないが、ここは学区外なだけあって、すれ違う子供たちは全て見知らぬ人。
栗色の髪が目立つためか、公園内の人たちは大人も子供もみんなソラの顔を凝視してくる。
まるで異物を見るような視線に、ソラはいい加減うんざりしてくるのだった。
「なんかすっげぇジロジロ見られんだけど」
「それはきっと橋戸くんがカッコいいからだよぅ。見た目アイドル級だもん」
「うちはカッコいいというより可愛いと思ってるけどね。そうだ、橋戸くん、今度女の子っぽい恰好してみてよ! 絶対似合うと思うの!」
「あほか。誰が着るかよそんなもん」
こんな感じで話しつつ、三人が自転車で並走しながら公園の出口付近までやって来た時、事件は起きる。
「キャッ!?」
「うわっ、なになに!」
ソラのすぐ横にいた女の子が急にふらつき、ソラの側へと倒れ込んできたのである。
咄嗟の判断で彼女の身体を腕で支えようとしたソラだったが、いきなりハンドルを手放したせいで、今度はソラの車体がバランスを崩す。
結局ドミノ倒しのように二人共が転倒してしまった。
「ちょっと、二人とも大丈夫!?」
残る一人の女子が自転車を置いて駆け寄ってくる。
しかし、ソラは彼女の方を気にしてはいられなかった。
彼は今、自分たちが通って来たばかりの道を振り返り、そこにいた人物を鋭く睨みつけているのだ。
倒れてしまった女の子のズボンには、はっきりとした靴底の跡。
つまるところ、彼女は道にいた人物によって、走行中に蹴られたのである。
「おいテメェ、何してんだよゴルァ!!」
ソラは立ち上がると同時に、蹴った犯人に向かって歩き始めた。
怒りに肩を震わせながら、大股で。
犯人はソラと同じくらいの年齢の男の子。
おそらく隣の小学校に通う児童だろう。
茶色に染めた髪の毛は、つむじの部分だけが黒っぽくなっている。
派手な柄入りのシャツを身に付けていて、ヤンキーっぽい外見だった。
「あン? なにガン飛ばしてやがんだコラ。ぶっ殺すぞ」
「テメェが蹴っ飛ばしてきたからだろうが!!」
ソラは相手に掴みかかろうと手を伸ばし──そして横から伸びてきた別の腕に阻まれた。
強い力で掴まれて、身動きが取れなくなる。
「なッ!?」
ソラが隣を見上げると、そこにいたのはどう見ても中学生くらいの少年。
金髪に、ピアスを開けた、いかにもという風貌。
加えて、少し離れた場所からぞろぞろと不良グループの小中学生たちが歩いてくるのが見えた。
彼らは皆、染色や整髪料により派手な頭髪をしている。
恰好からして同一グループなのだろう。
ソラの頭は急速に冷えていくようだった。
反対に、心の底からふつふつと熱い感情も沸き上がってくる。
ソラは自分の腕を掴む金髪中学生を睨みつけた。
すると相手は低い声で言う。
「おいお前、人の弟に何しようとしてんだ。ああ?」
ソラも負けじと言い返した。
「あいつが先に女を蹴ったんだ。自転車を蹴り倒されて、見ろよ、怪我までしてる。謝らせないと気が済まねぇんだよ!」
すると。
「てめー誰に向かってタメ口きいてんだオラ!」
「──か、はッ……!?」
ソラの言葉にカチンときたようで、金髪は空いていた方の腕でソラの腹へと思いっきり拳を叩き込んだ。
鈍く、重い痛みに、ソラは呼吸もままならなくなる。
白黒する視界に涙が滲む。
そこへ追撃とばかりに膝蹴りも加えられ、いよいよソラは下腹部の痛みで立っていられなくなってしまった。
「ああ゛ッ……、く、くそォ!」
よろめき、地面に膝を付きながらも、ソラは相手を睨むのをやめなかった。
視界の端に、最初に蹴りを入れてきた少年がこちらを指差し笑っているのが見える。
少年は言った。
「お前、なんかムカつくんだよ。髪なんか染めて、女連れてヘラヘラしやがってよ!」
「ヘラヘラしてねぇし、おれのは地毛だ! テメェみたいなプリンヘッドと一緒にすんなや!」
ソラが叫ぶ。
すると、
「……ッ、んだとゴラ!」
今度はプリンの少年が、膝をついていたソラに向かって脚を繰り出した。
これをソラは冷静に腕で蹴りを受け止める。
金髪の攻撃に比べると、全く痛くない。
が、むかつくことには変わりがなく、ソラは反射的に反撃をしてしまった。
少年の脚を取って地面に引き倒したのである。
「……! お前、また弟を!」
金髪がブチ切れた様子でソラに迫ってきた。
同時に、彼の仲間であろう不良グループの何人かがやや離れた所から尋ねる。
「おい、なんかあったんか?」
「誰そいつ。女みてぇな顔だな、オイ!」
「くそ生意気な目ェしやがって。俺らに文句あんのか? あ?」
続々と集う不良たち。
ここまでくると、流石のソラも震え上がるしかない。
気の強さだけではどうにもならない事態に、半ばパニックになりかける。
(くそっ、悪いのはコイツらなんだ。なのに一方的にやられるのは違うだろ……! ああ、でも女の子たちが……くそ、どうすれば良い? どうすればっ)
チラリと横目で女の子二人の様子を伺うと、既に二人共涙を流して震えていた。
自転車を蹴り倒された子にいたっては、明らかに失禁してしまっている。
恐怖から、逃げることも叫ぶ事もできず、奥歯をカタカタと鳴らすことしか出来ていなかった。
彼女達を置いて逃げるわけにもいかない。
かといって助けを呼ぼうにも、周りにいるのは不良相手に竦み上がるだけの子供たちか、見て見ぬふりをする散歩中の老人くらい。
遠くでこちらを眺めているおばさんの集団も、ひそひそと何かを話す素振りを見せるだけで、人を呼ぶだとか警察に電話をするだとかのアクションはまるで見せない。
(ああもう。大人なんて、大嫌いだッ! 子供がピンチなんだぞ、助けろよボケがぁ!!)
心の中で激しく毒を吐くソラ。
何もできない自分にも嫌気が差し、ついに悔し涙を流した。
ソラが泣き始めたのを見て、不良たちは嘲笑う。
情けない、ださい、カッコ悪い、そんな罵声が周囲から飛び交った。
「だははは、怖くて泣くなんて、弱っちいなお前!」
違う。
そうじゃない。
怖くて泣いているのではないのだ。
ソラがいくら心の中でそう思っても、彼らには何も響かない。
その想いを口にしたところで、結果は同じだろう。
(くそ、どうしたら良いんだ。おれは……。誰か、誰か──)
ソラが助けを希ったその時。
彼は見た。
公園の外から何かを叫び、駆け寄ってくる人影を。
不良たちとソラとの間に割って入り、まるでドラマのヒーローみたいに両腕を広げ、立ち塞がる少年の姿を。
少年は短い黒髪で、ところどころ寝癖のように跳ねている部分があった。
ソラの視点からは少年の顔は見えない。
ただ、彼の背中だけがソラの瞳に眩しく映った。
中学生の一人、黒髪で長髪の少年が寝癖の彼に近づき、声を掛ける。
「お前、うちの一年だよな。確か……」
少年は答えた。
「────樫野。樫野璃玖です、先輩」




