Dead or a来舞 その4
「──っていうのが私と来舞の馴れ初めなんだけどね」
ファミレスの席にて来舞と音愛の話を聞いていた璃々花は驚きが隠せなかった。
驚いたのは彼女の年齢に、である。
「何ですかッ。鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして」
「あ、いや」
まさか三十前半だと思っていた女性が自分と同い年だとは思わなかった、などと言えるはずがない。
璃々花は苦笑いをしつつティーカップに口を付けた。
言われてみれば、雰囲気こそ大人びているし化粧も流行りからは少しずれてはいるけれども、肌のハリ艶には若さも感じられる。
来舞の浮気を疑ったせいか、疲れて見えたのも年齢をわかりづらくしている要因だろう。
どうも彼女は疲労が目元に出るタイプのようだった。
元々ストレスをためやすい性格でもあるのだろう。
「来舞の元上司って聞いてたし、役職も付いているみたいだったので年上の方かと思ってました」
結局、年齢を勘違いしていたことを理由をぼかして伝える。
「私は短大卒ですから」
「だとしても二年でエリアマネージャーは凄いのでは」
「人がどんどん辞めていくから残っているだけで位が上がるのよ。名前は変わってもやってることはただの営業。責任と仕事の量だけ増やされるって寸法ね」
そう言って音愛は残っていたカップの紅茶を飲み干した。
まだ物足りなさそうな音愛の表情を見た来舞が、スッと席を立ち上がる。
「俺ドリンクバーでおかわり入れてくるわ。ダージリンで良い?」
「うん。ありがとう」
気が効くというか、阿吽の呼吸というか、彼女が飲み物を欲しがるタイミングをよく分かっているような動きだった。
あの、若干空気が読めないところがあった男が。
よほど音愛に仕込まれたらしい。
「なんていうか、お似合いですね。二人は」
「……そう、ですか」
「はい。お互いの足りないところを埋め合っているような、そんな印象を受けました。実際、今みたいに息も合ってますしね。良い夫婦になれるんじゃないですか?」
来舞は音愛のような尻に敷くタイプの女性でないと、軽いノリで動いてしまい、制御できたものではないだろう。
一方で音愛は来舞のような気分屋が一緒じゃないと、気を張りすぎていつか壊れてしまうだろう。
璃々花の言う通り、互いが互いの欠点を補い合う存在になっているのだ。
「来舞は時々言葉足らずだし、たまにテンションよくわかんないですけど、音愛さんとなら上手くやっていけそうな気がします。……ただ、やっぱり今回みたいに音愛さんを怒らせてしまったり、勘違いさせてしまう所はあると思います。でも、来舞はこああ見えて真っ直ぐな奴なんで、どうか今後も信じてやってください。お願いします」
軽く頭を下げる璃々花。
そんな彼女の様子を見て、音愛はくすりと笑った。
「なんか璃々花さんって来舞の保護者みたいね」
「……たまに、言われます」
「ふふ、やっぱりそうなんだ。……わかった。貴女の言う通り、今度からは早とちりせずに、まずは来舞を信じてみることにするわ。『保護者さん』が、保証してくださったものね」
「音愛さん」
良かった、と璃々花は胸をなでおろす。
はじめ、浮気を疑われて呼び出しを食らった時はどうなるかと思ったのだ。
あらかじめ気性の激しい人だとは聞いていたから、振り上げた拳を下ろしてくれるかは正直不安だったのである。
──ここで璃々花はふと思いつく。
今度から、音愛を定期女子会に誘ってみるのはどうだろうか、と。
音愛はなんとなく、馴染みの面子とも打ち解けてくれそうな気がしたのだ。
音愛が来舞と結婚したら茉莉とは親戚同士になるわけで、親戚のいる女子会に誘っても違和感は無いはずだ。
これは良い考えだぞ、と、璃々花は意気揚々と声を掛ける。
「音愛さん、あのですね。良かったら今度、私の友人たちと────」
……その時だった。
「あれれー! 来舞くんじゃん! こんなところで偶然!」
聞き覚えのある明るい声が、ファミレスの店内に響いた。
ぎょっとした璃々花が首を横に向けると、そこにいたのは栗色の髪を肩まで伸ばした美しい女性。
化粧をバッチリ決めて、灰色の瞳をギラギラさせて、興奮気味の笑顔を見せる彼女は。
「あーっ、レミさんお久しぶり! どうしたんすか、こんなところにおひとりで」
璃々花の義理の姉、橋戸レミだった。
今しがた音愛を誘おうと思っていた定期女子会のメンバーである。
「いやぁ、ちょっと甘味が恋しくなってさぁ」
璃々花は知っている。
レミが時々子供を実家に預け、一人でファミレスのパフェを食べに来ることを。
これは旦那にも秘密にしているストレス解消手段なのだということも。
だから、レミは一人だ。
後から旦那が合流することも、子供たちが来ることもない。
既婚者の証である左手の指輪も、璃々花たちのいる席からはよく見えない。
嫌な予感がした。
女子会で会うならまだしも、このタイミングで遭遇してはいけない人物な気がしたのだ。
男を惑わせ、女を凍り付かせるレミの不思議な空気感は、齢三十を超えた今でも健在。
そして来舞はそのビッチオーラに影響を受けやすい人物の一人でもある。
現時点で既に、目の前にいる音愛の眉間には深い峡谷が形成され始めていた。
遠目からでもわかるほど、彼氏が鼻の下を伸ばしていたからである。
「あの、音愛さん。あの人は私の義理の──」
言いかけた璃々花は、口を閉ざす。
自分の目の前に、悪夢が体現していたからだ。
「としうえの……きれいな……おねえさん……へぇ」
「……ッ!?」
気が付けば、音愛の周囲を漆黒の闇が覆っていた。
青筋を立てながら頬をヒクつかせる彼女からは、殺意にも似た怒りの感情が迸る。
張り詰めた空気にあてられて、璃々花は声を詰まらせた。
当の来舞本人は自身に最大のピンチが迫っていることにも気付かずに、レミを前にしてにへらと笑っている。
しかもあろうことか、彼は大きな声でレミにこう言ったのだ。
「レミさん、良かったらまた(みんなで)遊びましょうよ! それとも今から(璃玖たちと)一緒に甘いの頂いちゃいます?」
「ふふふ、人妻相手に(相席を)誘っちゃうなんて、来舞くんったら大胆♡」
レミは来舞の手を取ると小悪魔スマイルを浮かべた。
その瞬間、璃々花は悟る。
あ、これあかんやつだ、と。
二人共色々と言葉が足りない上に、レミが悪ノリで持ち前のあざとさを出してしまった。
来舞が照れてしまっているのも良くない。
非常に良くない。
彼が璃々花の目の前にあった核地雷をいとも容易く踏み抜いたのは言うまでもない。
「つーかレミさん、俺だけじゃないっすよ。ほら、そこにちょうど璃────」
来舞は窓際の席を手で示しながら笑顔で振り返った。
が、彼は途端に凍り付く。
振り返った先で、ゆらりと揺れる漆黒の意思を見た。
ソレは、般若のような形相でひたひたと迫り、来舞へと距離を詰めていく。
「……ら い ぶ ぅ ぅ ぅ」
「な、どうしたの、音愛……さん?」
音愛は来舞の腕をがっしりと掴むと、万力の如き力でそれを締め上げた。
あまりの痛みに言葉を失う来舞。
血走った眼を大きく見開き、音愛は言った。
「こんの……うわきものぉぉおおおおお!!」
「ぎゃああああああッ!?」
腕の関節を逆側に捩じる音。
今世紀最大の大絶叫(記録更新)。
何が起きたのかを瞬時に理解したレミの、抱腹絶倒の大笑い。
混沌とした状況の中、璃々花は彼らからそっと目を逸らし、カップのお茶に口を付けた。
こうなったらもう、他人のふりをしてやり過ごすほかない。
背中に冷や汗を滝のように流しながら、窓ガラスに映るカオスな光景を眺めていた。
(頑張れよ、来舞。お前の結婚生活はきっと波乱万丈そのものだろうさ)
彼の人生はデッド・オア・アライブ。
生きるか死ぬかの実にスリリングなものになるに違いない。
額を地面に擦り付け、号泣しながら弁明をする親友の声を聴きながら、璃々花は彼のことを少々気の毒に思うのだった。
──来舞の後日談でした。
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ちなみに番外編は、もうちっとだけ続くんじゃ。




