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Dead or a来舞 その3

 土曜日。

 朝に寝ぼけながら回した洗濯物をアパートのベランダに干しながら、来舞(らいぶ)は昨日の夜を思い出していた。

 自分を退職に追い込んだ原因の一人であった女性と、まさかこんなことになろうとは。


 最後のTシャツを干し終わり部屋の中へ戻ったちょうどその時、彼はベッドの上でもぞもぞと動き始める可愛らしい生き物を見た。

 長い黒髪の、綺麗な顔立ち。

 幸せそうに丸まって惰眠(だみん)(むさぼ)るその様は、まさに小動物。


「にゃむにゃむ……まぶちいよぉ……あとごふんねかせてよぉ」


 そう呟きながら寝返りを打つ、大人の女性。

 かつての鬼上司・帯刀(たてわき)音愛(おとめ)である。

 彼女は(まぶた)を閉じたまま口をぱくぱくと動かし、また小さく(ささや)いた。


「もう、たべられにゃいよぉ」


「──いやギャップ可愛わっ!」


 クールでドライな彼女の、完全にスイッチの切れた姿。

 ギャップ萌えに心臓を撃ち抜かれた来舞は胸を押さえて()()った。


「んん……うるしゃいなぁ、もぉしゅこしゆっくぃ」


 舌足らずに寝言を言う音愛だったが。


「……ハッ!!」


 突然、勢いをつけて飛び起きた。

 彼女はベッドから転がり落ちるように床に降り立ち、部屋の中を駆けて、来舞のいる窓際とは反対側の壁面に背を付けた。

 猫が外敵に威嚇(いかく)するように(うな)りながら、細い身体をガッチガチに強張(こわば)らせる。

 そうして上目で来舞を(にら)みながら、彼女は(わず)かに目を泳がせていた。


「うう~、ここどこよッ! ど、どうして坂東(ばんどう)くんがいるのよッ!?」


 どうやら昨夜の記憶が無いらしい。

 号泣するほどに酔っていたのだから無理もない。


 来舞は尻をぼりぼり()きながら言った。


「ここは俺の家っすよ、帯刀さん。昨日の夜のこと、覚えてないんですか」

「昨日……?」


 空中に視線を走らせる音愛。

 眉間(みけん)に峡谷を刻みながら懸命に思案した彼女が、次に放った一言は。


「……お腹の子の名前、どうする?」

「なんでだよ!」


 来舞がツッコミを入れたくなるほど、頓珍漢(とんちんかん)な問いかけだった。


「え、だって、ヤッたんでしょ?」

「帯刀さんって、意外と下品な言い回しをするんですね」


 半目で(あき)れ顔を浮かべる来舞。

 音愛は顔を真っ赤にしながら、おほん、と咳払(せきばら)いをした。


「では、言い直すわ。 お せ っ せ を、したんでしょう?」

「いや言い回し!?」


 再びのツッコミが炸裂(さくれつ)


 先程から見せる音愛の姿は、どうも来舞の記憶の中にある冷酷な上司のイメージとは全く異なる。

 ネジが数本緩んでしまったのではないかと心配になるほど、今の彼女は間が抜けていた。


 「だが、それが良い」と来舞は思わず顔がにやけそうになる。

 今の彼は旧敵であった音愛のことを、どういうわけか割と気に入ってしまっているのだ。

 しかし、彼女の勘違いは訂正しておかなければ。

 このままだと妙な話になりかねない。


「つーか帯刀さん。俺、何にもしてねーっすよ。昨日はバーで酔いつぶれたあんたを(かつ)いでここに運んで、ゲロ(まみ)れの服を着替えさせて寝かしつけただけですから」

「本当……?」

「本当っす。まあ、脱がすときにおっぱいとか色々見えちゃいましたけど、緊急避難ってことでノーカンでお願いします」

「うん、ありがとう、坂東くん」

「そこは怒らないんですね」


 ふうと溜息を()らしつつ、来舞はベッドに腰掛けた。

 昨日は床で寝たからか、節々が痛くて仕方がない。

 来舞は首を鳴らし、肩を大きく回しながら今世紀最大の大欠伸(あくび)をした。


「それで、坂東くん。その、バーのお金とかは」

「払っときました」

「わ、私の服は」

「夜のうちにシャワーで軽く流して、さっき洗濯回して、今は干してるとこです。スーツ、洗えるタイプで良かったっすね」


 来舞は窓の外を指差した。

 音愛が視線を窓に向けると、そこには男物に混じって物干し竿に吊られている、女物のワイシャツや黒いレースのブラとショーツが──。


「えッ!? 下も脱がしたのッ!?」

「だって汚れてたし、あんたが朦朧(もうろう)としながら『脱がして』って頼んできたんですもん。俺悪くないですからねー」

「うう……ッ、穴があったら入りたい……ッ」


 音愛は顔を掌で覆って悶えていた。

 そんな彼女の姿に、来舞は少し愛らしさを感じてしまう。


「で、どうします? この天気なら二、三時間で乾くと思いますけど。うちは何も無いですし、どこかで時間潰します?」


 来舞がぶっきらぼうな口調で尋ねると、音愛は慌ててぶんぶんと首を横に振る。


「そんな、付き合わせちゃ悪いわよ。貴方(あなた)だって予定があるだろうし、洗濯物も濡れたまま持って帰るわ」

「なーんか、すげー拒否ってきますね」


 来舞はまた大きな欠伸をして目を(こす)りつつ、言った。


「俺は特に予定ないんで良いっすよ。……それに、色々溜まってるんじゃないすか、会社の愚痴(ぐち)

「う、私そこまで話したの」


 音愛は気まずさに下を向く。


「俺で良かったら話相手になりますよ。なんつーか、俺、あんたに興味出てきたし」

「えッ」


 来舞はベッドから立ち上がり、腰に手を当てて満面の笑みを作った。

 かつては苦手意識を抱いていたその相手に、親愛すら感じさせるような優しい顔を向けて、彼は続ける。


「ぶっちゃけ俺、年上の美人なおねーさん好きなんすよ。まあ、折角(せっかく)なんでお近づきになりたいっつーか? まあ、ナンパみたいなもんだと思ってくれて構わないっす」

「年上の、おねーさん……?」

「あーもう、何で伝わらないかな」


 呆然(ぼうぜん)とした音愛の腑抜(ふぬ)け具合に、来舞は唇を尖らせながら髪の毛を掻いた。

 遠回しでなく、割とストレートに誘っているつもりなのだが、何故だか彼女には伝わらない。

 そこで彼は言い方を変えてみることにした。


「昨日、あんたに久々に出会って、なんていうか本音みたいなのを聞けて……それで、なんか良いなって。俺、この人だったら本気で好きになれるかもって、そう思ったんですよ」


 ここまでくると、最早ただの愛の告白である。

 無論、愛(仮)の告白なのだけれど。


「だから、女性として気になってるから、まずはお友達として始めたいってことです。どぅーゆーあんだすたん?」


 来舞は頬を赤らめながら、プイッとそっぽを向く。

 ツンデレというか、強がっている子供のような反応だが、これが今の彼の精いっぱいだった。


「……ふふッ。なんか、おかしなの」


 怯えたような表情からいきなり笑顔に変わった彼女に来舞は戸惑い、目を何度か(しばた)かせる。


「何がですか」

「だって、なんだか板東くん、必死なんだもの」

「必死にもなりますって。綺麗な女の人の前ではカッコつけたいじゃないですか」

「それ、本気で言ってる?」

「もちろんです」


 来舞は大きく(うなず)いた。


 実のところ、彼は心の内全てを明かしたわけではない。

 本当は、昨夜のボロボロになった音愛を見て、『守ってあげたい』という気持ちが強く出てしまったのだ。

 庇護欲(ひごよく)とでも言うのだろうか。

 だからこそ彼女に寄り添いたいと思うのである。


 しかし来舞は素直ではない。

 だから軽い感じを(よそお)って、音愛の外見だけを()めた。


「俺、あの会社に就職して最初の研修のとき、帯刀さんが挨拶するのを見てすげーテンション上がっちゃったんですよ。なんか凄く大人っぽくて美人だなーって」

「そう。それで、お友達から始めたい、と」


 音愛は呟いた。

 天井を見上げ、何かを思い返すように目を細める。

 そうして──「よし」と小さく気合を入れた彼女はふらりと来舞の方へ近寄ると、目を伏せ、そっと彼の二の腕に触れた。


「ねえ坂東くん。私、貴方に散々キツイことを言ったわ。恨んでないの?」

「全然。当時はきつかったですけど、帯刀さんの言うことは基本正論だし」

「正論しか言えない堅物(かたぶつ)だけど、それでも良いの?」

「じゃあ、その堅物を柔らかくすんのが俺の夢ってことで!」

「ほんと、調子良いなぁ」


 音愛は苦笑しつつ、来舞の瞳を真っ直ぐに見つめる。

 (うる)んだ目頭を指で押さえてから、彼女は姿勢を正した。


「坂東来舞さん」

「はいっ!」


 そして告げる。


「お友達からなんて、そんな遠回りじゃなくて良いわ」

「え、ということは」

「貴方さえ良ければ、今すぐ恋人になりましょう? だって私──」


 彼女は頬を掻き、申し訳無さそうなぎこちない笑顔を見せた。


「──貴方が入社してきたときからずっと一目惚れだったんだもの」

「え、えええぇぇぇぇぇええっ!?」


 衝撃。


 この大暴露には来舞も驚きを隠せなかった。

 当時の鬼のように辛辣(しんらつ)な発言や態度のどこに、一目惚れた男に対する恋慕(れんぼ)があろうか。

 勘の良い人間でも彼女の本意に気付くことなどなかなかできまい。


「いやぁ、あれはなんていうかね、照れ隠し? みたいな」

「あんな毒塗れの照れ隠しがあってたまりますか! 俺、マジ胃に穴が開く寸前だったんですからね!?」


 当時を思い出したのか、はたまた現在の状況に適応しきれていないのか、来舞は背中に妙な冷や汗をかく。

 実際、退職後に病院に行ったら医者に『あと少しで要入院だった』と言われていたのである。

 労災で訴えてやろうかと考えていたほどだった。


「っていうかね、来舞くん」

「早速名前呼びだし……」


 展開の速さに目が回りそうだった。

 そんな来舞の様子などお構いなしに音愛は続ける。


「胃に穴が開きそうと言ったら、今の私がまさにそうなんだけど」

「会社のストレスですか?」

「違うわ。貴方の、思い違いについてよッ」

「……? ……??」


 音愛が何に腹を痛めているのか皆目見当もつかない来舞は、頭に疑問符を浮かべる他ない。

 首を傾げて『訳が分からないよ』のポーズ。

 そんな彼に、音愛は呆れた顔で告げた。


「貴方さっき、年上のお姉さんが好みって言ったわよねッ!」

「はい、言いました……けど?」


 音愛はすーっと大きく息を吸い込み、半べそをかきつつ叫んだ。



「私、 同 い 年 なんですけどッ!? なんなら誕生日の順で言ったら 年 下 なんですけどッ!?」



 口をぽかんと開けた来舞。

 数秒のタイムラグを挟んだ後、彼は今世紀最大の絶叫を近所中にこだまさせた。


「ええええぇぇぇええええっ!?」

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