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Dead or a来舞 その2

 ──これは、来舞(らいぶ)音愛(おとめ)と婚約する五年前の話。

 彼が大学卒業後に入社したIT関連企業で奮闘すること半年が経った、秋の終わり。


『だーかーらー! 何回言わせんだよ。うちのシステムは優秀なんだ。売れなかったのはお前が魅力を伝えきれなかったからじゃないのか!』

「いやでも課長、先方は既に別の管理システムを構築済みで……」

『馬鹿野郎、だとしてももっと強く売り込めよ!』


 電話越しに怒鳴(どな)り散らす、酒焼けの酷い男性の声。

 来舞は必死に耐えながら、相手が言いたいことを言い終わるのをひたすら待つのだった。

 こういう手合いは満足するまで文句を吐き出させないと、後からもっと酷い言い掛かりを付けてくる。

 だから今は辛抱の時だ。


(けど、こっちもやべーんだよな)


 来舞の目の前では、電話口とは別の上司が腕を組んで仁王立ちしていた。

 眉間(みけん)に深い(しわ)を刻む、黒髪の麗人。

 不機嫌がスーツを(まと)って形を()したような氷の女王、来舞の直属の上司でエリアマネージャーの帯刀(たてわき)音愛(おとめ)である。


 彼女は自分の腕時計をリズミカルに指差しながら、徐々(じょじょ)に眉の角度を吊り上げていく。

 来舞の電話の時間を一秒ごとにカウントしているのだ。


(お、俺何かしたぁぁ!?)


 全く身に覚えの無い来舞だったが、彼女がお怒りモードであるのは明らかだ。

 まさに前門の虎、後門の狼である。


 数分経って、来舞がようやく電話を終えた時、音愛は言った。


「おっそい! いつまで電話してんのッ!」

「だって帯刀さん、課長が……」

「外回りのフリしてサボりまくってる課長の嫌味よりこれから会うお客様の方が大事でしょッ!? ほら、さっさと準備して! 行くわよッ!」


 しまった、と来舞は思い出す。

 今日は音愛と共にクライアントへの直接営業をする予定だった。

 リモート営業が当たり前となった時代に、あえて対面を重視するのが音愛のポリシーだ。


 慌てて資料を()き集め、カバンに詰め込む来舞。

 背後に立つ般若(はんにゃ)が舌打ちをする。

 まだ準備してなかったの、と。


「すみません、お待たせしました!」


 来舞が謝ると、音愛はいきなり彼の腕を掴んで走り出した。


「ああもうホントにおっそい……! 今日は貴方(あなた)にも話振るから、車の中で資料ちゃんと読み込んどいてよねッ!」

「は、はいぃぃ!」


 駆け足でオフィスを抜け、エレベーターを待つのも惜しく、非常階段で三階から地下一階の駐車場へ駆ける。

 社用車に乗り込むと、来舞は酔いそうになりつつも必死で資料の内容を頭に叩き込んだ。


「つーか帯刀さん、なんで対面なんですか。課長はリモートで効率よく営業掛けろって言ってましたよ」


 半べそをかきながら来舞は問う。

 音愛は前を向いたまま眉根をピクリと動かし小さく舌打ちをした。


「一つ。相手先の担当者が結構なご年輩。二つ。他者と同じ営業を仕掛けたところで効果は薄い。三つ。現場を見ることでお客様が真に求めているニーズがわかる。それから、四つ目。うちのシステムはそんなに優秀じゃないから機能性だけでは売れない。購入後のサポートもします、って(じか)にアピールできなきゃまず無理」

「へ、へぇー、そーなんすね」


(課長と言ってること真逆じゃねーか!)


 せめて主力商材である顧客管理システムについては見解を揃えてほしかった、と来舞は心の中で溜息を()いた。


 入社して半年、主に上司陣の意見の食い違いが来舞の悩みの種になっている。


 システムの機能性を売り込め。

 リモートを活用して効率的に営業を掛けろ。

 時には大袈裟(おおげさ)に数値を盛ってでも売ってこい……が課長の口癖。


 機能性より信頼を売り込め。

 仕事は足で稼げ。

 お客様のニーズを汲み取って最適な提案を心掛けろ……が音愛の口癖だった。


 課長の方が立場が上なのだが、直接関わることが多いのは音愛の方。

 音愛からガミガミと指導されて実践していた内容を、後からふらっと現れた課長が全否定し、上役の言うことだからそちらに従おうとすると、今度は音愛に見つかってお説教が始まるのである。

 最悪の無限ループだった。


 音愛自身は営業成績も良いため文句は言われない。

 課長からの風当たりの全ては新入社員たちが(こうむ)ることになるのである。

 営業部に来舞の同期は四人いたが、既に三人が退職し、残るは来舞一人だけだ。


(うちの会社、ブラックだよなー)


 来舞はそう思うも、ここで辞めたら負けた気がするので最低一年は頑張ろうと決めていた。


「──くん、坂東(ばんどう)くん。聞いてるのッ?」

「へ? は、はい。何でしたっけ」


 考え事をしていたせいで、来舞は音愛が話しかけてきていることにも全く気が付いていなかった。

 慌てて聞き返すが、帰ってきたのは大きな舌打ちと仏頂面(ぶっちょうづら)、そして。


「……使えないわね」


 とどめを刺すような、音愛の毒だった。




 結局、来舞は会社を一年を待たずして退職することになる。

 音愛と課長の言葉の棘が段々ときつくなっていき、ついに我慢の限界を超えたのである。


 ところが、二年後。

 来舞にとって転機が訪れる。



 ***


 地元に帰り、実家近くのアパートで独り暮らしをしながらトラックのドライバーをしていた来舞は、金曜の夜、仕事終わりに何気なく散策していた商店街の片隅で一軒のバーを見つけた。


「お、ここってレミさんがバイトしてた店じゃん」


 高校の先輩が以前バイトしていた小さなバー。

 普段は個人の店など敷居が高くて入りづらいと思う来舞なのだが、その日は中に入ってみたくなった。


 アンティーク調の木製扉を開けると、琥珀色の照明の、落ち着きのある空間が広がっていた。

 木製のバーカウンターの内側では、いかにもバーテンダーという身なりの男性が、奥にいる客の女性と会話をしていた。

 彼は来舞の方を見やると、にこやかな笑顔で会釈(えしゃく)をした。


「いらっしゃい。カウンターで良ければそちらにどうぞ」

「どうも」


 案内されるがまま、入口に近いカウンター席に腰を掛ける。

 手渡されたおしぼりで手を拭いながら、来舞はバーテンダーに尋ねた。


「あの、俺こういう店初めてなんですけど、何を注文したらいいすか」

「おや。初めてにうちを選んでくれたのは嬉しいね」


 バーテンダーはチャージ料など店のシステムの説明をし、メニュー表を渡してくれた。


「食事もあるんすね」

「簡単なものだけどね。ウチは(ゆる)い感じでやってる店だから、あまり身構えなくていいよ。お酒は強い方?」

「──まあ、それなりに。昔いた職場で、上司に飲み屋で散々飲まされましたから」


 バーテンは来舞に味の好みなど色々とヒアリングをして、少し考える素振りをした。


「辛いのがいけるなら、マティーニなんてどうだろうか。爽やかさの中にほろ苦さもあって、なんていうか、ちょっと大人の仲間入りした気分になれるよ」

「良いっすね! じゃあ、それで」


 注文をした来舞は、頬杖(ほおづえ)を付きながら店の内装をぐるりと見回した。

 コンクリートの打ちっぱなしに木目調の什器(じゅうき)

 シンプルなデザインの(しつら)えだが、小物や観葉植物が非常に良いバランスで配置されている。

 昼間はカフェになっているようで、コーヒーなどのメニューボードも見える。

 いつか女の子と一緒に来たい、と来舞は密かに考えた。


(しっかし、店は良い雰囲気だけど、妙な客が一人いるな)


 カウンターの、奥の方。

 若干薄暗くなっているその席に、一人の女性客がいた。

 来舞が店に入ってくる前に店員バーテンダーと話をしていた人物だ。


 今はカウンターに突っ伏して、細かく肩を震わせている。

 何をしているのか、来舞は少し気になった。

 あまり物怖(ものお)じしない性格の彼は、ちょうどカクテルを作り終えたばかりのバーテンダーに尋ねる。


「あの、すいません。席って移っても良いですか?」


 良いよ、というので来舞は奥の女性のすぐ隣へ。


 新しいおしぼりとカクテルを来舞の前に差し出したバーテンダーは、気を(つか)ってか少しだけ遠くに下がった。

 ナンパだと思われたのだろうか。

 来舞は特に気にもせず、相変わらず伏せたままの黒髪の女性に声を掛けた。


「お姉さん、こんばんはー。震えていらっしゃいますけど、お体でも悪いんですか?」

「……だいじょうぶだから、ほっといて」


 と、姿勢は変えずに、彼女。


「そう、すか。……あの、良かったら一緒に飲みません? 俺、一人なんで会話の相手になってくださいよ」


 来舞が軽い調子で誘うと、彼女はうつ伏せたまま、やや声を荒げた。


「ほっといてよッ! もう、わたしなんて……ううッ、ひどりに゛、してよぉお……」

「あらら」


 女性はどうも、泣いているらしい。

 顔は全く見せないが、何度もしゃくりあげるように鼻を(すす)っているようだった。

 肩を震わせていたのも、声を押し殺して泣いていたからだった。


「じゃあせめて、隣で飲ませてください。一人だと寂しいんで」


 そう言って、来舞はマティーニに口を付けた。

 ハーブのような独特の芳香(ほうこう)鼻腔(びくう)をくすぐり、爽やかな酸味と(ほの)かな甘み、そしてほろ苦さが口内に広がる。

 度数の高さからか、スッと心地よく喉が焼ける感覚がした。


「うん、割とイケるな、これ」


 来舞はちびちびとカクテルを口へ運び、無言のまま、過ぎ行く時間を楽しんだ。

 これが大人になるという感覚なのだろうか。

 落ち着いた時間が、どうしようもなく心地よい。


「……私ね」


 不意に、隣の女性から声が掛かった。


 ある程度落ち着いたのか、ゆっくりと顔を持ち上げた彼女。

 その横顔は乱れた髪の向こうに透かし見える程度で、ハッキリと確認できないが、歳の頃はおそらく自分より二、三個上だろう。


「きいてる?」

「はい、聞いてますよ」

「そう」


 彼女は静かに語りだした。


「私ね、今の会社に居場所が無いの。同じ部署の子たちがどんどん辞めていっちゃって、それは全部私のせいらしくて、残ってる人たちからも無視されるようになっちゃった。任されていた取引先の担当も全部外されて……上司からは体の関係を迫られるし、本当に最悪」

「そりゃ確かに泣きたくもなりますよね」


 職場の人間関係によるストレスの大きさを、来舞は知っている。

 お調子者の来舞でさえ、あと少しで鬱になっていたかもしれなかった。


「私、仕事に妙にこだわりがあるせいで、人にきつく当たっちゃうのよ。いけないことだってわかってるんだけど、どうしても曲げたくないスタイルっていうのかな、信念みたいなのが邪魔をして、きつい言い方をしちゃう。だからみんな辞めていくんだって、お前のせいだって、そう言われたんだ」

「ひょっとして、自分の理想とズレると、我慢できなくなるタイプですか」


 女性は大きく頷いた。

 乱れた前髪で顔が見えなくなるくらい、大きく。


「そうかもしれない。理想が高すぎるのかな、私。もっと心に余裕を持たないとって、いつも思ってるはずなのに」

「ああ、自分の直さなきゃいけないところって、わかってるのに直せないんですよねー。仕事に追われてるときなんか、特に」

「でもッ、そのせいで色々な人を傷つけた。私の、せいで……ッ」


 彼女は再び涙を流し始めた。

 (したた)り落ちる感情の(しずく)(ぬぐ)おうともせず、ただ、(うつむ)いたままカウンターを濡らしていく。


「二年前だってそう。凄く頑張っている男の子がいたのに、私が上司と違う指示ばかりしたせいで、板挟みになった彼を追い詰めた。凄く気さくな子で、私も気に入ってたのに。彼の苦労を(ねぎら)うことすらせずに、私の理想を押し付けた。……だからッ、あの子はいなくなってしまったの」


 瞬間、来舞は心臓に杭を打ち込まれたような気分になった。

 彼女の言葉に出てきた男の子は、二年前の自分と通ずるものがありすぎて。


 トラウマを刺激される。

 脂汗が出てきた。

 思い返せばわかる。

 上司二人の板挟み、顧客からのクレーム、開発部との確執(かくしつ)

 あの日々は、地獄だった。


「だから、今の私の状況って、もしかしたらその(むく)いなのかもしれないわね。嫌われて当然、恨まれるのが必然なことばかりしてきたわ。……本当、反吐(へど)が出る。使えない女ね、私は」


 彼女はさっと髪を掻き上げ、腕で涙を拭い始める。

 来舞は極力彼女の方は見ないようにして、先ほど貰った新しいおしぼりを彼女に手渡した。


「これ、使ってください」

「ありがとう。君、優しいね」


 来舞はこの時、薄々感じ取っていた。

 隣にいる女性の正体に。

 彼女の語る境遇も、何よりその綺麗な声も、全てが来舞の記憶の中の女性に合致していく。


(でも、どうして。会社からここまで、いくらか離れているはずなのに)


 掌に汗をかきながら、来舞は握り拳を作った。

 力を込めていないと、震えてしまいそうだった。


「今日はね、私、本当は死んでしまおうと思ってたの。全てが嫌になって、川沿いをフラフラと歩いてね。でも、気が付いたらここにいた。ここに来て、お酒を少し飲んだら、いつの間にか君がいてさ。なんだか、夢の中にいるみたい」

「ええ、そうですね」


 彼女は死に場所を探していた。

 来舞がその事実を知った瞬間、手の震えはピタリと止まる。

 まさかそれほどまでに彼女が追い詰められていたなんて、考えもしなかった。


 ──冷静に考えてみれば、当然なのだ。

 すぐに環境から逃げ出せた自分とは違って、彼女は役職持ち。

 責任が伴う立場(ゆえ)に簡単に仕事を放棄することもできず、あの劣悪な環境の中で何年も戦い続けていたはずなのだから。

 もしかすると、部下にきつく当たっていたのだって、爆発寸前の心を少しでも抑えるための無意識の行動だったのかもしれない。


「ここに来て、良かったですか? 生きようって気には、なれましたか」


 恐る恐る、来舞は尋ねる。

 彼女は答えた。


「ええ。君に話を聞いて貰ったら、少しスッキリしたわ。なんだか不思議。君とは初めて会った気がしないのよ」


 来舞は隣からの視線を感じ、慌てて顔を背けた。

 もしかしたら、自分が思っている人物とは別人なのかもしれない。

 しかし、万が一、そうだったとしたら。

 彼女自身がが口にした二年前の男の子、その当人が目の前にいると知ったら、余計に彼女を傷つけてしまわないだろうか。


「……ねえ、どうしてこっちを見てくれないの。折角(せっかく)だから、一緒に飲まない? ──って、元々は君が誘ってきたんでしょ」

「ええ、まあ。でも」

「何よ、歯切れが悪いわね。そんな態度じゃ女の子に嫌われ──って、……ッ!?」


 瞬間、彼女が息を()んだのがわかった。

 十中八九、彼女もこちらの正体に気が付いたはずだ。

 もう隠しきれない。


 来舞はゆっくりと彼女の方へ振り返った。


「あの、お久しぶりです。帯刀(たてわき)さん」

「ば……坂東(ばんどう)、くん……?」


 互いを認識して数秒。

 二人は呼吸も忘れるくらいにフリーズしていた。

 二年前、パワハラまがいな言動で傷つけられた相手と、傷つけた相手がこんな形で再会するなんて。

 思考が帰ってくるまでに何時間も固まっていたような錯覚を覚えるほど、長い時間を二人は黙りこくっていた。


「あの、帯刀さん」


 耐え切れなくなった来舞がもう一度彼女の名前を呼んだ瞬間。

 いきなり、音愛は来舞の肩に腕を回し、組み付いてきた。

 あらん限りの力で、来舞の身体にしがみつく音愛。

 さっきようやく泣き止んだというのに、再びの大号泣をかましながら、彼女は叫んでいた。


「坂東ぐんッ、坂東、くん! 会いだがったッ! 会って、ちゃんと謝りたがったッ!! うわぁぁああああッ!」


 子供のように泣きじゃくる彼女を抱き留めながら、来舞もどうしてか、瞳から一筋の雫を落とすのだった。

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