Dead or a来舞 その1
本編のエピローグより少し後の出来事です。
「夢見る茉莉」→「エピローグ」→この話、という時系列。
全4話。
ある年の夏。
昨年末に完成した新居のリビングにて、璃々花がソファでくつろいでいると、突然、端末の通話着信が鳴った。
ディスプレイに表示された名前を見て、彼女の表情は明るくなる。
相手が高校入学以来の親友・板東来舞だったからだ。
来舞とは今でも仲が良いのだが、半年ほど前に璃々花の妊娠が発覚して以降は会う機会がなかなか無かったのである。
璃々花は嬉々として応答のボタンをタップした。
「おっすー、来舞久しぶり! どした?」
彼と会話する時だけは、男口調に戻る。
それだけ気の置けない間柄であるということなのだが、電話越しの来舞の声は酷く沈んでいた。
『久しぶり。あのさぁ璃玖、今時間あるか? お前ん家の割と近くまで来てるんだけど、良かったら飯でも行かね?』
「……なんかあったん?」
『まあ、少しな。この辺ファミレスとか無かったっけ』
「あるけど、良かったらウチ来るか? ソラが昼飯の用意し始めてるからさ」
妊娠発覚以降、ソラは率先して家事をしてくれる。
元々花嫁修業をしていた彼だから、手際はかなり良い。
璃々花がカウンターキッチンの方へ振り返ると、視線に気付いたソラがニコリと微笑んだ。
今日もまた、ソラは一段とカッコいい。
一瞬女心がくすぐられ、脳内がお花畑になりかける璃々花だったが、両頬を叩いて気を取り直す。
「ねぇソラ。もしかすると来舞が遊びに来るかも。おかずって量ありそう?」
「あと一品増やせばたぶん大丈夫ー」
「ありがとう」
念のため三人分のご飯が用意できるか確認し、璃々花は来舞に告げた。
「大丈夫だって。久しぶりにゆっくり話そうぜ」
『おう。サンキューな。十五分以内には着くと思うから』
そうしてきっかり十五分後に、家のチャイムが鳴るのだった。
***
その日の夜。
璃々花は内心ガクブルしながら、一人で家を出た。
面倒なことになったと溜息を吐くも、親友のためだと気合を入れ直す。
きっかけは、昼間の来舞の訪問だった。
「璃玖ぅぅ聞いてくれよー! ピンチだよピンチぃい!」
そう言って家に飛び込んできた来舞が言うには、彼は現在、恋人から婚約破棄を突き付けられている状況らしい。
それもこれも、璃々花のことを浮気相手だと疑われたのが原因なのだとか。
来舞が去年辺りの飲み会の写真を見せながら璃々花を指差し、「こいつと一緒に風呂に入った時に云々」などと話したものだから、「風呂に一緒に入るような仲の女と飲みに行ってたのか!」と、恋人をカンカンに怒らせてしまったのだ。
なお、風呂に入ったというのは修学旅行での大浴場の話である。
もちろん相手が元々男であることは説明したのだが、一度怒りに火のついた婚約者は聞く耳を持ってくれなかったらしい。
そこで璃々花自らに事情の説明をお願いしたい、という、昼間はそういう相談だった。
(それが今日いきなり会うなんて流れになるとはな……)
やれやれと呆れ返るが、親友の頼みとあれば力を貸さないわけにはいくまい。
璃々花はそういう人間なのだ。
なお、明日の早朝からの出張に備えるため、ソラは自宅で早々に就寝準備中。
彼は終始心配そうにしていたが、「大丈夫」という璃々花の言葉を信じて送り出してくれた。
正直、本当に大丈夫なのかどうかは璃々花にもわからないが。
不安を胸に、歩いて近所のファミレスに向かう。
店に着いた頃にはもう、来舞と彼の恋人は窓際の席に腰を下ろしてドリンクを飲んでいた。
来舞の恋人は聞いていた通り気の強そうな女性であった。
首に近い位置で纏めた黒髪に、薄い唇、切れ長の瞳。
歳の頃はおそらく三十前半、璃々花より少し年上のように見える。
日本人形のように整った顔なのに、仏頂面が服を着て歩いている感じ。
「璃玖。こっちこっち」
来舞は璃々花に気が付くと手招きし、自身は恋人の隣へ席を移った。
璃々花は椅子に腰を下ろす前に、来舞の婚約者に頭を下げる。
「こんばんは、はじめまして。橋戸璃々花と申します。もしかすると旧名の樫野璃玖という名前で紹介されているかもしれませんが、来舞とは高校の時から友人やらせてもらってます」
「……どうも」
納得がいってないのが一目でわかるくらいに眉を吊り上げながら、彼女は小さく呟いた。
そしてすぐに、璃々花のお腹が少し大きくなっていることに気が付き、顔色を真っ青にした。
驚いた様子でテーブルに掌を叩きつけ、腰を浮かせて彼女は叫んだ。
「まさか貴女ッ! 来舞の子を妊娠してるのねッ!? やっぱり浮気してたんだわッ!!」
「ええええっ!?」
その瞬間に璃々花は悟る。
コレに説明をするのは酷く骨が折れるに違いない、と。
────
──
「……で、気がついたらソラが女の子に……その時ソラが川に飛び込んで…………ネットに写真が晒され………今度は私が女の子に…………で、それから十年くらいして今に至るって感じですね」
おおよそ一時間後。
璃々花は端末に保存してあった昔の写真などを見せながら、過去の話を一から十まで語り尽くした。
小説にしたら軽く文庫本三冊分くらいにはなりそうな、璃玖から璃々花になるまでの長い長い物語。
そうまでしないと来舞の婚約者・帯刀音愛に怒りを鎮めてもらえないと思ったからだ。
『浮気をしていない証拠』を示すのは、存外に難しい。
故に、璃々花が音愛を説得するのに必要だと思った要素は二つ。
一つ。
自分が【バグリー】であると信じてもらうこと。
心は男性のままで、今は女性らしく振舞っているだけだと分かってもらうことだ。
元が男友達なのだから、一般的な男女の友人関係ともまた違うのだと理解してほしかった。
そしてもう一つ。
自分が如何にソラという個人を愛しているかということ。
性嗜好が変化していないと言いつつ妊娠していることへの経緯をわかってもらう必要があった。
男性だから好きになるのではなく、ソラだけが特別なのだと理解してもらえれば、来舞との浮気関係の疑いは少しは減るだろう。
「こういった経緯で私はここにいます。性転換してからも来舞とは時々遊ぶことがありましたが、大抵は他の男友達やソラも一緒にいましたし、何より来舞がいまだに私を『璃玖』と呼ぶように、彼の中で私は男友達としての『璃玖』のままなんです。なので、音愛さんが心配なさるようなことは何もありません」
無論、二人で密会していると勘繰られた場合の反証は無いが、ここまで語った後ならばそれは無いと思ってくれるだろう。
すると音愛は凛とした顔立ちを崩さぬまま、テーブルに手をつき、額を擦り付けるほどに頭を下げた。
「……疑って、申し訳ありませんでした、璃々花さん。貴女のお話で腑に落ちました。重ね重ね、申し訳ありません」
「そんな。顔を上げてください」
謝る音愛に璃々花は優しいトーンで声を掛けた。
納得してもらえたことへの安堵と、土下座のような謝り方に深い反省の意を汲み取ったからである。
音愛が顔を上げ、姿勢を正すと、璃々花はもう一度にこりと微笑んだ。
が、次に、璃々花は斜め向かいに座っている親友へと冷たい目を向けるとテーブルに頬杖をついた。
態度の急変。
彼女はふてぶてしく、苦いものを吐き捨てるような声色で言う。
「ていうか、元はと言えばコイツが勘違いさせるようなことを言ったのがいけないんですよ。何で今の姿の写真を見せながら修学旅行の風呂の話をするんですかね。アホなんですかね」
璃々花の物言いに、音愛はきょとんとした表情になった。
何か、言葉の端に引っかかるものがあったようで、彼女は肩眉を上げながら尋ねた。
「……しゅうがく、りょこう?」
頷く璃々花。
「はい。高校の修学旅行中に来舞が水鉄砲持ち込んでて、風呂場でお尻に向かって思いっきり発射してきた話ですよね? ──うわ、自分で言っててあまりのくだらなさに顔から火が出そう。来舞、音愛さんにこれ聞かせてどういう反応を期待してたんだよ。ばか」
璃々花はジト目で来舞を睨む。
「あのぅ、璃玖さん? え? お前、俺の味方だよね……?」
たじたじとなる来舞。
音愛も彼を睨みつけた。
綺麗な顔に、深い深い峡谷のような眉間の皺を刻んでいく。
「そうよ。来舞は言葉足らず過ぎるのよッ。何が『こいつと昔風呂に入った時にさぁ~』なの。修学旅行の時の話って、今知ったんだけどッ!?」
「あれぇ、言わなかったっけ……」
滝のような汗を流しながら、目を泳がせる来舞。
「しかも、『風呂場』で『オモチャ』使って『ケツをいじめた』って、そういう言い方で……ああもうッ! 私になんてことを言わせるのよッ! 反省しなさい、反省をッ!!」
「ヒィッ!?」
音愛は来舞の肩を何度か平手で叩いた後、真っ赤になった顔を掌で覆い隠す。
あまりの恥ずかしさに涙まで溢れてきてしまう始末だった。
相手方の事情を知った璃々花は、来舞に対する呆れの感情がいっそう増していくのだった。
彼女はカップのお茶をひと口含んで喉を潤すと、溜息混じりに問う。
「あのさぁ来舞。ひょっとして前の職場でもこんな調子だったんじゃねーの。……音愛さんって上司だったんですよね? こんな調子で仕事されたら叱り飛ばしたくもなるでしょう?」
「う」と声を上げたのは来舞である。
彼にとっては耳の痛い話だったらしい。
璃々花が音愛の顔を伺うと、彼女はハンカチで目元を拭って背すじを伸ばし、元の冷静さを取り戻そうとしているところであった。
少なくとも平静を装うように繕っているようには見える。
だがしかし、彼女の瞳には少しだけ悲しみのような物が浮かんでいて、何か言ってはいけないことを言ってしまったのかなと、璃々花は少々心配になった。
音愛は口を開く。
「あの頃も来舞はこんな調子だったけれど、それ以上に、あの時は私がいけなかったのよ。彼にどう接して良いかわからずに、ついカッとなってしまうことが多くて」
遠い目をする音愛。
自嘲気味に口角を上げた彼女は、ぽつりと呟いた。
「とんだパワハラ上司でしたよ、私は」




