夢見る茉莉 その3
「──ってことがあったんだよね。いやぁ、あの夜は熱かったわー。もう、いろはマジ好き。ほんと好き」
落ち着いた内装の掘り炬燵の半個室。
しかしどこかがやがやと活気のある居酒屋の一室で、ジョッキの酎ハイを煽る茉莉は饒舌だった。
茉莉は既に相当なアルコールを摂取しているよう、耳まで真っ赤である。
それはそれは良い気分で、十年来の友人たちに四国で起きた出来事を喋りまくる。
初めての彼氏に興奮冷めやらぬ様子だ。
で、その友人の一人、ウェーブのかかった黒髪ロングの女性──橋戸璃々花は若干引き気味で茉莉の話を聞いていた。
彼女は今、夜の行為までおおっぴらにする茉莉の話ぶりに『女子会のノリ』の洗礼を受けている。
元々が男子である璃々花には、このノリは少々きつい。
一方、下ネタにガッツリ食いついて行く存在もいた。
短く切り揃えた栗色の髪、灰色の瞳、星を象った銀のピアスが似合う美麗な女性。
女になったソラ──ではなく、その姉の橋戸レミである。
彼女もまた夫との夜について不満を漏らすなど、完全に下品モードに入っていた。
双方向から下ネタを叩き込まれ、璃々花の表情筋はいっそう固くなる。
「おらぁ、樫野! ソフトドリンクに甘えやがって。酒飲みなさいよ酒を!」
「いやだから、酒にはトラウマがあるんだってば」
「ほぉら璃々花ちゃん。アルコール入れて盛り上がってこー!」
「勘弁してよレミ姉」
夫のソラがいればブレーキ役になったのに、と璃々花は内心で溜息。
自由に性別が選べる彼ならば違和感無く女子会に参加できたはずだが、生憎今日は仕事の都合で来られないのである。
「それにしても、いろはと茉莉が付き合うことになるとは思わなかったよ。完全に同性の友達って感じだったし」
「自分の話だけど、ほんとそれよ。イケメンはイケメンだけど、女の子ってわかってたし。でも今はいろはが大好きで仕方ないんだよね。どうしてだろ」
璃々花は健全な恋の話へと誘導を試み、上手い感じに茉莉の返答を得た。
しかし。
「身体の相性ってヤツじゃない? 意外と大事だよ、そーいうの」
「やっぱそうなのかな! だとしたら私、いろはと相性良いのかも!」
璃々花による話の軌道修正は失敗であった。
……以降、璃々花は仕方なくノリに付き合うことに決める。
こうなれば、ソラとの夜だって暴露する構えだ。
──しかし、実のところ茉莉の心は冷めていた。
調子づいてベラベラと喋るのも、酒の力に頼ろうとするのも、全ては彼女の不安故の行動である。
茉莉は心配だった。
自分たちの関係は、情欲に流されただけの気の迷いに過ぎないのではないか。
もしも正気に戻った時は、すぐに断ち消えになるのではないか、と。
仮にそうなれば、いろはとはもう普通の友達ではいられない。
良くてセックスフレンドといったところだが、そこへ堕ちるのは絶対に嫌だった。
こんな精神状態だから、レミのたった一言に茉莉の心は大きく揺さぶられることになる。
「このままいったらいよいよ茉莉ちゃんも結婚、なんてことになるかもねー」
「うッ」
茉莉は言葉に詰まった。
「先に妊娠しちゃうと気まずいから、ちゃんと気をつけるんだよー? 気持ちよくいけたと思ったらゴム破れてたーなんてシャレになんないし♪」
「それって実体験ですよね、レミ姉……」
璃々花がレミへツッコむのをぼうっと聴きながら、茉莉は考える。
確かに年齢的にそろそろ結婚を意識する年頃ではある。
しかし、このまま結婚して良いものなのだろうか。
そもそも、いろはがそれを望んでくれるだろうか。
もしも結婚したとして、女の子同士で果たしてうまくいくのだろうか。
不安はあるが、とりあえず、茉莉は決定事項だけ二人に伝えることに決めた。
「将来のことはわかんないけど、とりあえず同棲は始めるって感じね」
茉莉が告げると、璃々花は驚いて尋ねた。
「こっちで? 徳島で?」
「向こうに行くつもりではいる」
「就職したばかりじゃん」
「だから向こうの系列店に異動できないか交渉してるところ。無理ならまぁ、就活し直しだね。はは」
グラスを煽りながら茉莉は笑う。
だが、先程までとは違って、ぎこちない笑みにしかならなかった。
茉莉にとっていろはは初めての恋人であり、そして最後の恋人でありたいと強く願う存在だ。
できればこのままきちんと結ばれたい。
願望だけはちゃんとあるものの、先行きが不透明すぎて不安が消えないのだ。
特に結婚についてはイメージが沸かない。
この辺りは経験者に色々と聞いておいたほうが良いだろう。
「先輩や樫野は、これまで夫婦関係のピンチとかなかったの? そうでなくても、結婚前の不安とか」
「おっ。茉莉ちゃん、やっぱり結婚意識してるねぇ♪」
「まあ、多少は」
相思相愛で安定に思えるレミや璃々花の夫婦事情の裏を知れば、何か見えることがあるかもしれない。
経験の少ない茉莉は、彼らの話から恋人と長く付き合うヒントを探り当てたかったのだ。
「じゃーここからは結婚についてのぶっちゃけ話ね。夫婦のピンチだっけ?」
「はい。あとはなんか不満とかあれば聞いておきたいかな」
「おけ、りょーかいっ」
レミは答える。
「うちはさ、子供二人の面倒見るだけでも本当に疲れるのに、栖虎も甘えたがるもんだから、ウザくてしょっちゅうぶん殴りたくなるよ。洗濯物畳んだだけで家事手伝った気になってるのとか、ほんとムカつく。……お義母さんなんか連絡無く来たりするし。悪い人じゃないのが救いなんだけど、正直気を遣うのがしんどいよね。璃々花ちゃんとこはそういうの無さそうだけど」
璃々花は答える。
「確かに義実家とか家事分担については気にしてないですね。ただ、うちの場合はお互いの仕事が忙しくてすれ違いが多いのが不満と言えば不満かな。二、三日顔合わせないなんてザラなんで、流石にキツイなって思います。生活のためなんで半ば諦めてますけど」
「うっわぁ……結婚一年目にしてそれはきついね。そっかぁ、ソラも有名人だしね」
「あと、困るのが────」
ヒアリングを続けていくと、夫婦の現実が出てくる出てくる。
レミは主に旦那への文句、璃々花は環境への文句。
抱えている悩みは別だが、両者ともに全くの順風満帆とはいかない様子であった。
茉莉はだんだんと悲しくなってくる。
理想と思える夫婦二組ですらこれだけの不満を溜め込んでしまうのだから、自分たちなんてなおさら未来が無いじゃないか。
「そっか、やっぱり上手くいかないものだね」
茉莉は二人に聞こえるか聞こえないかくらいの声で小さく呟く。
既に諦めの境地だった。
だけどその時。
「けどね」
レミがぼそりと発したその一言で、愚痴大会がピタリと止まる。
既婚者二人は目配せし合うと、茉莉の方へと優しい表情を向けた。
「私は今、幸せだよ。それは間違いない事実なんだ。色々愚痴っちゃったけどさ、結局は愛しちゃってるんだよ。毎日ギャーギャーとうるさい子供達に、ちょいだらしないけどいざというときは頼りになる旦那。そんな家族に囲まれて、これ以上の幸せは無いって思えてる。楽しいんだぁ、本当に」
璃々花も頷いた。
「私も、今までの苦労とかトラブルとか、そんなのが遠くに霞んで見える程度には幸せを噛み締めてるよ。寂しいのは、たぶん幸せの裏返し。仮に私やソラが男のままだったとしても、今の幸せを知ってたならきっと結婚を強行したくなると思う。そのくらい、好きな人と家族でいられるのが嬉しいんだよ」
璃々花はにこりと微笑んだ。
自分が感じている幸せな気持ちを、そのまま体現したような笑顔だった。
「って、ごめん。こんな話で茉莉の不安が解消されるわけないか」
「あはは。本当だ、なんかうちらの惚気みたいになっちゃったね」
「ううん。参考になったよ。レミ先輩からも、樫野からも、幸せのお裾分けをされた感じがする。ありがとう」
茉莉にとって、二人の体験談は救いだった。
日々に多少の不満がありつつも、結局は『幸せだ』とはっきり言える──そんな間柄は暖かくも眩しくて、茉莉は憧れに近い感情を抱いた。
「……ああ、私たちも、こんなふうになれると良いな」
茉莉は小さな願いを口にした。
誰にも聞こえないよう空気を食んで、口の中だけで音を響かせる。
目の前にいる二人みたいに、ささやかな幸せを形作れるよう、祈りを込めて。
「──それじゃ、そろそろ次の酒を頼みますか。茉莉ちゃん、何飲むぅ?」
「え、あ……じゃあ、モスコミュールで。樫野は?」
「えっと、烏龍茶で良いかな」
「ウーロン酎ハイ?」
「……いや、それ一番のトラウマだから絶対無理! 普通のお茶でお願い!」
「ちぇー、一回くらい樫野と飲みたかったなー。ねえ、レミ先輩?」
「ねー」
数分後、運ばれてきたドリンクのグラスを手にした三人は、改めて乾杯をすることにした。
「えー、それではぁ。茉莉ちゃんの恋愛成就とと新しい門出に、カンパーイ!」
「「カンパーイ!」」
グラスのぶつかる小気味の良い音。
信頼できる人と交わし合う笑顔。
茉莉は心の中で決意を固めた。
────いつか、この人たちみたいに幸せな未来を、いろはと。
茉莉は今日も、小さな未来に大きな夢を見る。
──茉莉の後日談でした。
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ちなみに番外編は、もうちっとだけ続くんじゃ。




