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夢見る茉莉 その1

最終章の本筋より数年後、かつエピローグより少し前の出来事です。

全3話。

「うっわー、このカプ(とうと)いわー。鼻血出そう」

「え、わたし的には解釈違いなんやけど。オトハくんあのタイミングなら絶対キョウタローに行くべきやって」

「ああー、分かる気もする。けど私達では公式には勝てないんだよな」


 ある年の冬。

 土曜日の午前中、板東(ばんどう)茉莉(まつり)はアパートの一室でゴロゴロしていた。

 ソファの座面を背もたれにし、フローリングの上に脚を伸ばしてだらりと垂れる。

 床に置いたスナック菓子をボリボリやりながら、アニメを映すモニターに釘付けになっている。


 すると、行儀の悪い茉莉と違い、ソファにちゃんと腰掛けている美青年が言った。


「茉莉ねぇ、わたしにもそれちょーだい」

「ん」


 茉莉は彼にスナックを袋ごと渡す。


 赤いメッシュを入れた黒髪の、地雷系ファッションのイケメンだ。

 ロックバンドでもやっていそうな雰囲気だが、彼の部屋に音楽要素は見当たらない。

 あるのは撮影用の高そうなカメラやマイク、大きなツインモニターのデスクトップPC、それに女性向けアニメや声優のポスターである。


 そう、茉莉は今、彼の家に転がり込んでいるのだ。

 もっとも、彼は『彼』ではないのだが。


「いろははさぁ、もし『絶俺(ゼツオレ)』の世界に行けたとして、彼氏にするならどのキャラが良い?」

「圧倒的にキョウタロー。やけどそんなん聞いてどないするん」

「フッ……イケメンいろはと脳内カプ組んで遊ぶのさ」

「人を妄想のダシにすな」

「あんたがイケメンすぎんのが悪い」


 そう言って茉莉はゲラゲラと笑い、部屋の主が手にした袋からスナック菓子をもぎ取った。


 部屋の主の美青年こと羽生(はにゅう)いろはは有名配信者・インフルエンサーである。

 ピークはおそらく過ぎてしまったけれど、女性から男性に性転換した【バグリー】配信者として二十代の女性を中心に、今でも安定した人気を獲得している。

 現在、動画のチャンネル登録者数は二百万弱。

 主戦場にしているSNSのフォロワー数に至っては三百万を超えている。

 そんな有名人といち薬剤師に過ぎない茉莉は友人としても釣り合わないように見えるが、共通の趣味もあってかなり仲が良いのであった。


 さて現在、どうして茉莉がいろはの家にいるのかというと。


「はぁー、つーか寂しー。ほんまやったら今頃リアル彼氏と温泉旅行の予定やったのに」

「元カレ浮気してたんだっけ?」

「そ。しかも女とな。あいつホモちゃうんかって。なんでわたしと付き合うとったんやろ」

「おうおう、愚痴(ぐち)ならいくらでも聞いてやるぞ」


 ……というわけで、失恋したいろはを慰めるべく中部地方のいち小都市から遠路はるばる徳島までやってきた茉莉なのだった。

 無論、遠征の理由はそれだけではない。


「それでさ。予定が空いたからって茉莉ねぇを呼んだのに、なんも上手く行かんけん、マジ(へこ)むわ」

「まあ、向こうが仕事だって言うんだからしょうがない」


 いろはは、生まれてこの方恋人のいない茉莉に知人を紹介し、ついでに一緒に遊ぶつもりだった。

 餌に釣られてやって来た茉莉と再会を喜び合うも、引き合わせるつもりだった男性が突然キャンセルの連絡を寄越(よこ)してきたのである。


 というわけで、今はとりあえずいろはの部屋でくつろいで時間を潰しているのだ。


「しっかし、こないだの式でブーケ渡されたのに、相手もいないんじゃ話にならないよね」

「ほんま申し訳ない」

「ああいや、自分の男運の無さを(なげ)いてるだけだよ」


 茉莉の男性遍歴(へんれき)散々(さんざん)なものだった。

 小学校から中学まで好きだった男の子には根暗(ねくら)と馬鹿にされ、高校で好きになった男の子はあろうことか二人とも女の子になってしまった(どのみちフラれていたが)。

 大学時代に良い感じになった男性は友人に()(さら)われ、今の職場である調剤薬局には妻子持ちのおじさんしかいない。

 恋人が出来るチャンスそのものに縁が無いのである。


「……ちくしょう、やっぱソラくんを誘惑して樫野(かしの)から略奪すべきだったか?」

「ははっ、茉莉(りく)ねぇの性格的にそれは無理やろな」


 しかし思い返せば、彼女にとって高校時代が唯一恋人獲得に近づけた時期であった。

 大切に想っていた二人が見事結ばれたのだからそれはそれで良い、と自分では納得しているのだけども。


「にしても、璃玖にぃのドレス姿、綺麗やったなぁ。ソラくんもえらいカッコ良かったし」

「前撮りでソラくんがドレス着た写真も見たけど、そっちも綺麗だったよ」

「わたしも見せてもろたわぁ。ほなけどあの二人のウエディングドレス見よったら女の人と結婚するのもありなんちゃうかって思えてきたんよね」

「マジか。いろはの性嗜好(しこう)まで(ゆが)めるって、破壊力凄いな」


 いろはは男性の見た目だが、心は女性である。

 恋愛対象も男性に限られていたはずなのだが、知人の結婚式に感化されて少し考え方に変化があったようだ。


 いろはだけでなく茉莉の心境もまた、式を境に転機を迎えていた。

 今までは、たとえ恋人ができなくとも深く悩むことなど無かったのだ。

 いっそ独り身のまま一生を過ごしてやろうとすら思っていた。

 だけど、今はどうしてだか、相手が欲しい。


「あれだ、とりあえず今日はいろはとデートして気分だけでも味わうとするか」

「お、いいじゃん。ほないしよか」


 いろはも茉莉の提案にノッてくる。

 このままグダグダな一日を過ごすのは勿体無(もったいな)い。


 しかし遠路はるばる徳島まで来て、友人とただ遊ぶだけというのも何か違う気がする。

 かといって、既に何度かこの地を訪れている彼女にとって、今更(いまさら)徳島観光という気分にもなれないわけで。

 さてどうするかと茉莉が頭を(ひね)っていると、いろはがパチンと指を鳴らした。


「ほうや。折角やけん高松の方とか行ってみる? 具体的にどこ、とは思いつかへんけど」

「高松って、香川?」

「そ。うどん食いに行こ」

「ふふ。りょーかい」


 こうして二人は下道をドライブしながら香川の県庁所在地、高松市を目指すことにした。



***



 いろはの車は赤いスポーツカー。

 ボタン一つでルーフが開いて、オープンカーになる仕様である。


 いろはの運転で海沿いの国道を北上し、そのまま四国の右上あたりを反時計回りに進む。

 道路のすぐ横に瀬戸内の海が広がる。

 波が穏やかなためか高い堤防は無く、綺麗なオーシャンビューを間近で楽しみながらのドライブである。

 ルーフを開けて、外の風を吸い込む。

 冬の空気は冷たくとも、シートと心は暖かいから問題は無い。


「いえーーっ! きもちーっ!」

「ドライブさいこーーっ!」


 彼女たちはテンションMAXの状態で香川県へと突入した。


 途中で見かけた小さなうどん屋に入る。

 折角(せっかく)だから食べ比べをしよう、と二軒をはしごした。

 市街地が近づいてきたところで高速道路に乗り、瀬戸大橋方面へ。

 この時にはもう、目的地なんて関係なく、行きたいところへ行く空気になっていた。

 瀬戸大橋を半端に渡って与島という小島のパーキングエリアで休憩したのち、折り返して四国本土に戻る。

 高速を降りて名物の骨付鳥(ほねつきどり)にかぶりつき、またあてもなく車を走らせる。


 なんというか、彼女達の自暴自棄(じぼうじき)を形にしたような行程であった。


 そうして夕刻。


 茉莉といろはは波の立たない穏やかな浜辺に立っていた。

 空の紫がかった(だいだい)色が遠浅(とおあさ)の海の水面(みなも)に反射し、上下対称の鏡像を作り出している。

 靴を脱ぎ、冷たい海の中に立ってみれば、まるで空の彼方(かなた)、雲の合間(あいま)に立っているかのような不思議な感覚がした。

 ウユニ塩湖のような絶景が日本にもあったのか、と二人は感動のあまり言葉を失っていた。


「いろは……なんか、すごいね」

「うん。めっちゃ綺麗やわ」


 夕陽の中に立ち尽くす二人は、いつの間にか手を握り合っていた。

 互いの掌の温もりに、少しだけ心臓の拍音が大きくなるのを感じる。


 吊り橋効果、という奴なのだろうか。

 絶景に心打たれる感情の波を、別の何かと錯覚してしまいそう。

 いろはの隣で、茉莉はそんなことを考えていた。


 だって、(はた)から見ればイケメン彼氏と一緒になってはしゃぎまわる地味系彼女の姿に他ならない。

 相手の中身が女の子と知っていても勘違い起こしてしまいそうになる。


(……だめだめ。いくら格好(かっこう)良くても、いろはは女の子なんだから。変なことを考えちゃいけないんだ)


 茉莉は心の中で、両頬を叩くジェスチャーを想像した。

 気持ちを切り替えねば。

 今日は一日楽しかったね、また遊ぼうね、これで終わりにしなければ。


「あんな、茉莉ねぇ」


 不意に、隣から小さな呟きが聞こえた。

 茉莉は呼びかけに応じ、いろはの横顔に目を向ける。

 その横顔に、茉莉は再びドキリとさせられる。


 ──真っ赤に頬を染めたいろはが、真剣な眼差しのまま水平線を見つめていた。

 その瞳は小さく揺れ、何かを迷っているかのように視線が雲間を泳ぐ。


「どうしたの」


 茉莉は聞いた。


 すると、喉をこくりと鳴らしたいろはは、目を伏せがちに言う。


「この後、ちょっと休憩できるところに行きませんか」

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