文化祭の日に その1
前回と同じく三章と四章の間の話です。
全三話。
九月の二十二日、土曜日。
六鹿高校の文化祭一日目の朝、橋戸ソラは制服姿で教室にいた。
制服姿といっても女子の夏服ではなく、男子の夏服である。
伸びてきた襟足をゴムで纏めて短く見せ、やや小ぶりな胸の膨らみにはサラシを巻いて真っ平らにした。
傍から見れば、再び男に戻ったかのよう。
それ故に周囲の生徒もソラの容姿に違和感無く接しているようである。
「いや、違和感なさすぎるだろ」
クラスメイトの加藤数多は、百八十を超える上背の高みからソラを見下ろし、言った。
「あはは、だよねー……」
ソラは頬を掻く。
実際には夏服への衣替えを機に女子の制服にしたわけだから、男子の夏服を身に付けたのは今日が初なのだが、それでも元の性別のイメージがあるせいで、『馴染む、実に馴染むぞ~』といった具合なのである。
「そう言う数多は色々とヤバいね」
「おう。めっちゃくちゃ恥ずい」
「プッくっ、後で写真撮らせてね」
「今笑っただろ、てめぇ!」
加藤の身に付けている衣装は、フリッフリのメイド服。
刈り上げた短髪にカチューシャをしているのも含めてかなりシュールである。
「仕方ないよ、今回はそう言うコンセプトなんだし」
ソラがクラスメイトたちを指で示した。
生徒たちの装いは異様だった。
執事服や男性用スーツ、男子の学生服や腹巻きをしたおじいちゃん……などなど男性の格好をした女子グループ。
女子の制服にメイド服、アイドル衣装や上下セパレートタイプの水着を着込んだ男子グループ。
要するに、男女で真逆の衣装を身に付けているのだ。
──男女逆転喫茶。
これがソラのクラスの出し物であった。
クラスメイトに【バグリー】がいるということから生まれた発想である。
なお本日は男子の制服を着ているソラだが、明日の一般開放日には一時間ごとに衣装チェンジをし、メイドになったりホストになったりと出し物の華を飾る予定である。
「つーかサイズが小さくて動きずれぇ」
「数多は身体が大きいからしょうがないよね。あ、でもウィッグ付けたら可愛いんじゃない? あと化粧」
「いやだ、絶対しねぇ」
加藤がメイクを拒否する理由は、恥ずかしいから、という理由だけではおそらくない。
加藤の視線の先にいるのは、男子たちにメイクを施して回っている一人の女子。
……蓮華愛兎、彼の元カノだ。
蓮華は今月の頭にソラの写真に悪意あるキャプションを付けてネットに投稿し、大炎上の火種を作ってしまった。
そのせいで加藤は蓮華を嫌うようになり、別れてしまったというわけだ。
その彼女は最も化粧慣れしているという理由でメイク係を担っているのだった。
「蓮華さんに声かけづらいなら、他の女の子に頼めばいいんじゃない?」
「お前は? できないの?」
「ぼくは練習中の身だよ。普段からすっぴんだし」
「……お前、すっぴんであの可愛さなら女子が泣くぜ」
加藤の言葉に、ソラはジト目になって人差し指を口元に当て、口角を上げると小首を傾げた。
「──ふぅん? 数多はぼくのこと可愛いと思ってるんだねー?」
「うッ」
言ってしまってから、無意識に男子を惑わす挙動が出てしまった、とハッとする。
(璃玖センパイ以外にも自然とあざとさを出してしまうようになるなんて、いよいよ末期だな)
ソラは反省する。
しかし、やってしまったものはしょうがない。
「なぁんてね。ダメだよ数多ー、本気にしちゃー?」
ヒラヒラと手を振りながら、加藤に背を向け離れていくソラ。
こういう時は物理的に距離を取るに限るのだ。
が、そういう仕草一つが男子の心をくすぐってしまうのだということに、ソラは気が付いていない。
「だ……誰が本気にするかよ、からかいやがって!」
悪態をつく加藤だが、その顔色は初めの頃より幾分か赤い。
ソラは今日もまた一人、男子高校生の性癖をバグらせてしまうのだった。
***
文化祭一日目のソラは午前中が喫茶の給仕当番で、午後からは少し時間があった。
本当は璃玖と一緒に文化祭を回るつもりだったのだが、魔女に言われたことが頭に引っかかり、ついに断りの連絡を入れてしまった。
それで今、ソラは午前中最後の給仕当番をこなしながら、この後どうするかを考えていた。
その時。
「やっほー、ソラくん。来ちゃった」
「おーっ、なんかソラくんが男の子なの久々だねっ」
ソラのクラスに客としてやってきたのは、アウトドア部の先輩である、三年の板東茉莉と二年の笠峯和音であった。
黒髪ボブカットのメガネ姿が真面目委員長のような印象を与えてしまう茉莉と、ダークブラウンの地毛とぱっちりした瞳がギャルっぽい印象を与えてしまう和音。
一見不釣り合いなように思えてしまうものの、その実二人は学年の差を飛び越えて仲が良いのである。
「先輩方、お疲れ様です! どうですか、久々の男装」
「うんうん、似合ってる似合ってるっ。相変わらずイケメンだねっ。ねぇ、茉莉ちゃん?」
「……う、うん。うん、かっこいいよ」
なんだか照れくさそうに、茉莉はもじもじとしていた。
きっと男装姿のソラを目の前にすることは、彼女にとって、好きな男の子と数ヶ月ぶりに会ったのと同義なのだ。
「とりあえず何か飲もうかな」
「だねっ」
先輩女子二人は適当な飲み物を注文する。
ソラはペコリと頭を下げて、衝立の奥へ飲料を取りに向かった。
飲み物と一緒に、サービスのクッキーをトレーに乗せて、二人の下に戻るソラ。
「お待たせしました、コーヒーフロートとオレンジフロートです」
「ありがとうねソラくん」
すると茉莉の向かいでニコニコ顔になっていた和音が、メニューを指差しながら言った。
「ねえソラくん? 茉莉ちゃんにこれやってあげてよっ」
「え」
ソラが目を丸くする。
和音が示していたのは、お客への接待オプション。
コスチュームに合わせてそれっぽい台詞を言ってもらうというサービスだ。
「ほほーう? 和音も良い所に目を付けるねぇ」
和音の意図を把握した茉莉は、期待を内包する悪戯な笑みを浮かべる。
が、一方のソラは戸惑いのメーターが振り切れそうになるほどに慌て、困り顔を見せていた。
「え、でもその台詞は女装した男の子に言ってもらうやつで、男装女子のは次のページに……」
和音はニヤリとして追撃を掛ける。
「そんなこと言ったら、ある意味常時女装している男の子な訳じゃん? それに、君は後輩じゃん? 先輩からのお願い聞けないのかなっ?」
「ひ、酷いパワハラだ」
ソラは救いを求めて茉莉へ視線を送る。
が、ダメだ。
茉莉もまたニッコニコでソラの台詞を今か今かと待っているのだ。
先輩二人に悪魔の尻尾が見える。
璃玖が相手だとすぐに小悪魔化するソラだが、自分がやられると滅法弱いのだった。
断れないと悟ったソラは溜息を吐き、姿勢を正した。
こんなことなら接客オプションの実施を決める時、賛成に手を挙げなければよかった、と軽く後悔する。
「……えっと、じゃあ」
ソラは冷や汗をかきながら、胸の前で指を合わせ、ハートマークを作った。
もうどうにでもなれ──とばかりに、頬を引きつらせながら、猫撫で声で言う。
「『ご 主 人 様 、 萌 え 萌 え キ ュ ン ☆ で 召 し 上 が れ ♪』」
うわー、やってしまったー。
と、ソラは赤面したまま硬直する。
しかし先輩二人が笑顔になってくれるなら一時の恥などどうでも良いのだ……なんてソラが自分に必死で言い訳をしている最中、肝心の先輩女子二人は──。
「こ、これは」
「よ、予想以上に……」
どうしてか、ぷるぷると震えているだけで、大きなリアクションをしてくれないのだった。
滑った。
盛大に滑った。
こんなの、黒歴史以外の何物でもないではないか。
ソラは心の中で滝のような涙を流した。
ところが、先輩女子側は予想外の動きを見せる。
茉莉がメニュー表を掲げて、無言で指を差すのだ。
「え、これって」
「やって」
「いや、でも」
「いいから。やって」
ソラは意を決して、指で示された部分の台詞を読み上げる。
「『ああっ、お嬢様。あなたとは別の場所で出会いたかった……!』」
次。
「『ワタクシが心を込めて注いだドリンクよ! 心して味わいなさい!』」
次。
「『素敵な夢の時間を過ごすと良いさ。 ベ イ ビー ☆』」
次。
「えっと、『おいしくなぁれ♡』 ──って、何をやらせてるんですか!」
ついに我慢できなくなったソラは大赤面をかましながら大声で訴えた。
すると先輩組は、あっけらかんとして顔を見合わせる。
「だって、ねぇ?」
「ソラくん……めちゃ可愛いし、めちゃカッコイイんだもんっ!!」
「それな!! ホントそれな!!」
つまりはソラの台詞が予想を超える破壊力を持っていたが故に、逆に玩具として目をつけられたというわけだ。
和音は言う。
「次はねっ、このキャビンアテンダント風のぉ……」
「も、もう勘弁してくださいぃぃいいいい!!」
堪らず、ソラは顔面を掌で覆いながら、衝立の奥へそそくさと逃げていくのだった。
***
ソラが裏に引っ込むと、そこではクラスメイトの何人かが腕を組んで大きく頷いていた。
そのうちの一人、加藤に肩を叩かれるソラ。
彼は親指を立てて言った。
「明日の一般公開も、今の調子を期待してるぜ!」
「やめてぇぇええ」




