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11次元の世界

※時系列的には三章と四章の間のお話です。

 ネット晒し事件がひと段落し、九月も(なか)ばを過ぎた頃。

 橋戸(はしど)ソラは残暑の中、眠れない夜を過ごしていた。


 しかしながら彼の眠りを阻害する要因は暑さだけではない。

 近頃、眠る度に怖い夢を見るのだ。


 真っ暗な空間に、独り取り残される。

 そしてどこからともなく女が現れ、耳元で何事かを(ささや)きかけてくる──そんな夢。

 あまりの恐ろしさから無意識で眠るのを我慢してしまうのかもしれない。


「ああ、くそっ。眠い、のに」


 眠いのに、寝たくない。

 寝たくないのに、(ねむ)ってしまいたい。


 矛盾する感情に、ベッドの上で身悶(みもだ)えた。

 そして次にソラが目を開けた瞬間。


「──え」


 目の前には、何も無かった。

 目の前どころか、自分の周囲は真っ暗闇で、重力さえ感じない。

 ……始まったのだ、あの夢が。


 でも、おかしい。

 今までこれほど意識がはっきりとした状態で夢を見たことなどなかった。

 どうせ明晰夢(めいせきむ)ならば、仲良しの先輩、樫野(かしの)璃玖(りく)と山登りする夢が良かった。


「やあやあ、橋戸ソラくん⭐︎ ようやく波長が合ったね♪」

「!?」


 (またた)きほども無い時間で目の前に現れたのは、怪しげな雰囲気を(まと)う女。

 闇の中なのに、彼女の姿は何故かはっきりとわかる。


 黒い髪に黒い瞳、黒い装束(しょうぞく)

 正気のない白い肌だけが闇に浮き上がっている様子だが、それですら肌に走る黒い紋様を浮かび上がらせるためのキャンパスのようで、全体としてはやはり黒のイメージであった。

 長い耳、額にある第三の瞳も特筆すべき彼女の特徴だろう。


「黒の、魔女……」

「そうそう、思い出してくれたかな★ 黒の魔女アルカ=ノール。ここのところ毎日呼び掛けてたんだけど、これでようやく自己紹介せずとも済むよ♡」


 ソラの中に忘れていた記憶が流れ込んでくる。


 ソラが眠りに落ちた後の、常闇(とこやみ)の世界に現れる魔女。

 時を超えて様々な事象を観測し、時に当事者に接触してきて反応を(たの)しんでいる、性格の悪い女だ。


 しかしどうして急に色々と思い出すのだろう。


「おや、戸惑(とまど)っているね。急に記憶が鮮明になったからかな?」

「うん。なんでこんな異様な存在を忘れていたんだろう。それに、こんなに意識がはっきりした状態の夢なんて」

「言っただろう、波長が合ったって。ラジオの電波と同じでさ、周波数が少しでもズレればノイズが混じる。そういうことだよ」


 わかったような、わからないような。


「そもそもここは何なのさ。よく見たらぼくの身体、男に戻ってるし」

「それがキミの魂の形ってことだろうね。ここは11次元の世界。時と魂を映す空間なんだから⭐︎」

「11次元?」


 ソラの声に、魔女はニヤリと口角を持ち上げる。

 死んだように黒に沈んだ瞳で、不気味に。

 笑顔の形なのに感情を感じさせない様は、まさに能面の(ごと)しである。


「そ。まあ勉強嫌いのキミに説明したところでよくわからないと思うけど、簡単に言うと三つの異世界同士を繋ぐ、特別な場所なんだ♪」


 勉強が苦手だとレッテルを貼られたことにソラはむっとした。

 いかんせん、事実なので否定しようもないが。


「ふぅん、それで?」

「この場所は、時間そのものを俯瞰(ふかん)して覗くことができるんだ★ 過去の出来事も、未来の出来事も知ることができる。もっとも、今のボクが干渉(鑑賞)できるのは、自分のいる時間から前後一万年程度だけどね♡」

「十分凄いよね」


 ソラは思い出す。

 魔女は以前に会ったとき、未来の出来事の予言をしてみせたことがあった。

 時間そのものを観測しているからこそ予言が成立するのだろう。


「ちなみに他人と魂の波長を合わせれば、その人の心情を垣間見(かいまみ)ることもできるし、相性が良ければ対象の人物を11次元へ招待することも可能だよ。今のキミがまさにその状態だ♪」


 魔女はかつて璃玖に接触を試みたが、相性の関係で不可能だった、と付け加える。

 ソラと繋がった理由の一つだそうだ。


 しかしソラには魔女の説明の半分ほどしか理解できない。

 時空だとか次元だとかはそれこそ璃玖の方が飲み込みが早いのではなかろうか。

 もっとも、魔女が何か良からぬ行いをしていることだけはソラにもわかった。


「でも人の心を覗くって、いけないことだよ」


 魔女は再びニヤリとした。

 能面の笑み。

 しかし今回は(わず)かながらに感情の色があった。

 瞳の奥が怪しく光る、そんな雰囲気。


「だって気になるじゃないか。ボクはキミたちという役者が織りなすドラマを眺めるいち視聴者なんだから。だから……例えば樫野璃玖の心境の変化だって、つい覗いちゃうんだよね☆」

「センパイの、心境?」

「そう。彼はもう──キミに()かれていることを自覚しているよ♡」


 ソラは黙った。

 璃玖が自分に好意を向けてくれていることなんて、言われなくても薄々感じ取っている。

 姉を真似(まね)してあざとく振る舞い、彼を惑わせたのは他でもない自分なのだから。


(でもまさか本気になるなんて……ないよね。ぼくの心は男のままだってセンパイも理解してくれてるはずだし)


「……ふぅん? そういうふうに考えちゃうんだ?」


 ソラの内心を見透かしたように、魔女は片眉を上げた。

 この闇の中では心の声まで漏れてしまうのかもしれない。


「っていうかさ、どうしてぼくに構うの。なんでこんな、夢にまで出てきてさ」

「んー? 純粋な興味、かな☆ だってさぁ……」


 ──世界でたった一人、キミだけが元に戻れる可能性を秘めているんだから。


 魔女の言葉にソラは息を呑む。

 自分がそれほどまでに特別な存在だなんて考えたこともなかったからだ。


 そして、魔女の言葉は残酷な事実を内包している。

 彼女の言葉が正しいならば、自分以外の【バグリー】に、元に戻る未来は無いということだからだ。


 二、三日前に『実は私も【バグリー】だ』ってメッセージをくれたインフルエンサーのあの人なんて、男として生きることが苦しくて(たま)らないって言っていたのに。


「きみは何を知っているの。性転換現象って、もしかしてきみの仕業?」


 震える声で聞いた。

 魔女は答える。


「ボクは観測者だよ。興味のある事象を舞台の外から眺めているだけさ。けど、まあ現象の原因は知ってるけどね♪」

「じゃあ教えてよ。性転換現象はどうして起きたの!」


 ソラが詰め寄ると、魔女はふわりと宙に浮く。

 上下の区別も無いような場所で『詰め寄る』とか『浮く』とかは(いささ)か妙な表現だが、とにかく魔女は接近したソラからゆっくりとした挙動で距離を取った。


「まあまあ落ち着いて★ 今話すからさぁ」


 魔女は無から光を取り出して、空間に三つの円を描いた。

 内、一つを指差して言う。


「ここがキミたちのいる世界だとしよう。そしてすぐ隣にある円はボクの生まれた世界、魔法の存在する世界だ。ある時キミたちの世界から魔法世界に二つの魂が迷い込んだ。転生、というやつだね」


 魔女は光を操って円から円へと線を繋ぐ。

 きっと魂の移動を表現しているのだろう。


「転生自体はよくあることさ。(すべ)ての生命は死すると魂がぐちゃぐちゃに溶けて、一度この11次元にやって来る。魂はやがて時の流れに乗って三つの世界のいずれかに根を下ろす。……だけどこの時は、魂が溶けずにほとんどそのままの形で世界を超えた。まさにイレギュラーだよ♡」


 ソラは恐る恐る聞いた。


「それがどうして超常に繋がるの?」


 魔女は(うなず)き、先程の、円と円を繋ぐように引いた線を指し示す。


「ご覧。二つの世界に繋がりができた。転生したはずの魂は、その実彼らが死したその瞬間に取り残されていたんだ。それで彼らが魔法世界で事件を起こしたときに、その余波がこのパスを伝って、キミたちの世界にも大きな影響を及ぼすことになったんだ」

「それが、性転換現象」


 魔女はくすりと笑う。

 本当に笑っているのか、それともフリなのか、良くわからない表情で。


「正確には時空震によって魂の因果律が乱れた、ってところかな☆ 性転換は、因果の乱れの一例に過ぎないよ♪」


 ソラは(うつむ)いた。

 俯いて、下唇を噛む。


「じゃあ、ぼくらの他にも色々と苦労している人たちがいるってことだね」


 なんだか悔しかった。

 誰のせいでもない理不尽のせいで、よくわからない現象が起き、多くの人が苦しんでいるなんて。

 だというのに自分だけは元に戻れる可能性があることが、申し訳なくて、いっそうつらい。


「他の人たちのことは気にすべきじゃない。大事なのはキミが事実を知ってなおどう生きるか、でしょ?」

「都合のいいことばかり言って……どうせ他人事としか思ってないくせに」


 瞬間、魔女の表情が消えた。

 かと思うと、一転し、今度は少女のような無垢(むく)な笑顔になる。

 魔女は腕を広げ、くるくると回りながら、激しい(よろこ)びの感情を身体いっぱいに表現する。


「そう★ そうだよ♡ 他人事さ☆ だから良いんじゃないか♪ 書物で物語を読むように、劇場で演劇を見るように、他人事だから楽しめる、これはエンターテイメントなのさ!」


 馬鹿げてる。

 身の毛もよだつ思いだ。

 魔女のことを理解できなくて、理解したくなくて、ソラは感情の一部を吐き捨てた。


「……もういい、わかった。お前がろくでもないやつだって改めて認識できたよ」

「ふふ、どーも★」


 ソラは魔女に背を向ける。

 しかしその先に何も無いことを理解すると、天を仰いで目を閉じた。


 もう、さっさと目を覚ましたかった。

 こんな場所で得体(えたい)の知れない存在と二人きりなんて、苦行(くぎょう)以外の何物でもない。


「キミが帰りたいなら接続を切るけどさぁ」


 魔女はソラの背中からそっと肩に手を回し、ソラの耳元で囁いた。


「ヒントはあげた。これからの身の振り方は、よく考えるといい♪」

「……余計なお世話だよ」




 そうして世界は反転する。

 闇以外の何もが無い世界から、物質と物理、人間の欲にまみれた世界へと。


────

──


 ソラが目を覚ますと、時刻はすっかり朝になっていた。


 寝汗でシーツがぐしょぐしょだ。

 相当寝苦しかったのか、起床したばかりだというのに酷く疲れ切っていた。


「はぁ、でも、記憶はあるな」


 波長とやらのせいか、あの異空間での魔女との邂逅(かいこう)は鮮明に記憶に焼き付いていた。

 故に、ソラは知っている。

 世界で現実に起きている理不尽の正体も、自分に課せられた命題をも。


「あ、センパイからメッセージ来てた」


 それは、明日から始まる文化祭を、一緒に回らないかという誘いの連絡。


 仲の良いセンパイだ。

 一緒にいて楽しくないわけがない。

 どちらかといえば、ずっと一緒にいたいくらいだ。


「だけど、さ」


 ソラは端末にさっさと返信を打ち込むと、ヤケクソ気味にベッド脇に端末を投げ捨てた。


「一緒に、いれませんよ、センパイ」


 男に戻る可能性を知ってしまった。

 璃玖が自分に心惹かれていることも知ってしまった。


 ──関わるべきではないと思った。

 これ以上彼を惑わしてはダメだ。

 あざといふるまいも、しばらくは封印したほうが良いかもしれない。


「ああ……でもッ」



 ソラはベッドの上でうつ伏せ気味に丸くなる。

 震える指で汗で湿ったシーツを握りしめ、力いっぱいに(まぶた)を閉じて、やがて自分にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。


「どうして、好きになっちゃったんだろう……センパイのこと……どうして」


 心惹かれているのは自分も同じだった。

 どんなときも味方でいてくれる彼に、どうしょうもなく依存して、いつしかそれは明確な『好き』に変わっていた。


 罪悪感を押し込めるかのように、ソラは握る拳に力を込める。

 濡れたシーツに、汗とは違う液体が染み込んでいく。

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