最終話 女になった後輩があざとくてつらい
璃々花はその後、学業との両立の面で、部に所属しての本格登山を諦めることになった。
しかし山岳部の企画するロッククライミング講習やアウトドア同好会のイベントには積極的に参加して、充実した大学生活を謳歌する。
そして、一年後の正月。
璃々花はソラと一緒に二百名山が一つ、御在所岳の山頂で初日の出を迎えていた。
「うわぁ、見てよ璃々花! 早くからロープウェイ並んだ甲斐があったね!」
「そうだね。すごく綺麗」
璃々花のニット帽からはウェーブの長い黒髪が溢れている。
彼女は髪を伸ばし、化粧も身に着け、今ではすっかり女性として自己を確立している。
ソラの時にさんざん性別に苦労したからか、璃々花の中で性転換したことへの苦悩は少なかった。
むしろ、ソラが男性化して自分が女性化したのでちょうど良くなった、とポジティブに捉えているほどである。
「ソラが無事に大学に受かったらさ、今度は初日の出登山しようか。それで、二人でまたこうやって太陽を眺めたい」
「その頃にはきっと、ぼくは勉強ばっかで身体が鈍っちゃってるかもね」
ソラは現在、璃々花と同じ大学を目指して猛勉強中なのだ。
「しっかり勉強して、いろんな技能を身につけて、将来璃々花をちゃんと養えるようにならなきゃ!」
勉強が苦手でサボりがちだったソラが、こんなにも前向きになるなんて。
璃々花は嬉しく思うと同時に、少しだけ寂しい気持ちにもなる。
雛鳥の巣立ちを見守る親鳥の気分だ。
眩しい。
ただただ眩しい。
ひたすらに強くて、かっこいい。
璃々花は心からそう思った。
「ん、どしたの。ぼく変なこと言った?」
「いや。なんでもないよ。ただ、ソラは強くなったなって考えてただけ」
「当然だよ。これは前に、魔女から予言された『璃玖に甘えていられなくなる』って言葉に対するぼくなりの答え。強くならなくちゃ、守りたいものも守れないよ」
ソラが自慢げに鼻を鳴らした。
強くならなくちゃ──。
それはかつて、女になったソラを守りたいと強く思っていた璃玖と同じ気持ちだった。
そのような意味では、ソラは今も璃玖の影を追っているのかもしれない。
(まるで、主人公みたい。私は所詮、ヒロインの一人だったってことか)
思い返せば【性転換現象】に伴うあれこれは、始めから璃玖の瞳を通して見ていたソラの物語だった。
璃々花は自嘲する一方で、メインヒロインの座に収まったことが何よりも嬉しくも思う。
これからも、ソラのヒーロー物語を特等席で見られるのだから。
「……来年も、こうして一緒に正月を迎えられるといいな」
「来年だけじゃない。ずっとだよ。ぼくたちはこれからもずっと隣に居続けるんだ。そうでしょ?」
息も白くなるような寒さの中、柔らかな日差しに照らされて、二人は絆の手を繋ぐ。
***
少し未来の話をしよう。
年月はさらに流れて十年後。
橋戸レミは大学四年の夏に富士山登山を控えていたところ、前月になんと妊娠が発覚。
まだ学生のうちにお相手の男性と結婚をすることになった。
ちなみにその相手は自分の苗字を嫌っていたため、結婚を機に妻の姓を名乗ることに決め、結果レミは今でも橋戸姓のままである。
現在のレミは二児の母として子育てに励む一方、週末にはカルチャースクールの講師として働いている。
坂東茉莉は文系の学部に合格していたが、半年あまりで退学し、一念発起で理系の勉強をし直した。
二年後、改めて薬学を学べる大学に受験し直し、見事合格。
その後は薬剤師の資格も得て、現在は徳島にある調剤薬局で勤務している。
なお、薬学の道を志したのは、ソラのように望まぬ性転換をした人を救う研究がしたかったかららしい。
が、夢は諦めたようで、現在は心が女性である【バグリー】彼氏と同棲中である。
茉莉の双子の弟である坂東来舞も波瀾万丈な人生を歩んでいる。
彼は大学卒業後に地元のIT系企業に就職するも、女上司からのいびりを苦に退職。
現在は運送業者に勤め、トラックドライバーとして頑張っている。
が、なぜか前の職場を辞めた原因であるはずの女上司と交際を始める事となり、近いうちに入籍予定である。
人生はわからないものだ。
そして、あの二人はというと──。
「……ふあぁ、よく寝たぁ」
橋戸ソラは、カーテンの隙間から差し込む日の光がかなりの角度を持っていることに気がついた。
少し寝過ぎたかもしれない。
時計に目をやると、まもなく十一時になろうというところだった。
ソラは目を擦りながらダイニングに向かう。
そこにはPCに向かって書き物をしている、黒髪で眼鏡をかけた女性がいた。
「おはよう、ソラ。よく眠れた?」
「うん。寝すぎなくらいだよ。ごめん、休みの日は早起きして家事をする約束だったのに」
ソラは冷蔵庫から牛乳を取り出して、コップに注ぐと一気に飲み干した。
「洗濯物は干しておいたよ。っていうか、今日は男なんだね」
「うん。買い物の時に重たいもの持てるしね」
「頼りにしてるよ、旦那様」
そう言って女性はカップを口へ運ぶ。
ソラはあることに気が付いて、ふくれっ面で言った。
「ねぇ璃々花、妊娠中なんだからコーヒーは控えなって。茉莉先輩もカフェインの取りすぎには注意って言ってたよ」
女性──璃々花は舌を出す。
「一日一杯くらいなら良いって先生も言ってたし、これ飲まないと執筆が捗らなくて」
五年前に籍を入れ、橋戸姓になった璃々花。
今は環境地質学者として、日々論文やレポート、出版物の執筆に追われる毎日を送っていた。
以前はフィールドワークを頻繁に行なっていたが、妊娠が発覚してからはデスクワークが中心である。
「あまり根を詰めないでよ。もう、一人の身体じゃないんだから」
「わかってる。午後からの時間はソラとゆっくり過ごすよ。ほら、こないだいろはが教えてくれたカフェ、一緒に行きたいなって」
璃々花はにこりと微笑んだ。
元はアウトドアが趣味の彼女だが、最近はソラとのんびりカフェ巡りをするほうが好きなのだった。
「……待って。その店ってさ、確か女性限定メニューの特製パフェがあるとこだよね」
「うん、そうだよ」
ソラは腕を組んでしばし考える仕草をした。
やがてパッと顔を上げ、にこりと笑うと、ソラは言った。
「ぼく今から寝てくるね。十五分くらいで起きるから!」
「え、ちょっと!」
璃々花が制止するのも聞かずに、ソラは寝室へとUターン。
大股で部屋の奥に消えていく後ろ姿を、璃々花は苦笑しながら見送る。
「もう、仕方ないなぁウチの旦那様は」
年齢的に姉さん女房にあたる璃々花。
そんな彼女の目から見ると、ソラはまだまだ子供っぽい面が強い気がしていた。
(人前だと、むしろ頼りになる感じを出してくれるんだけどなぁ)
二人きりだと『先輩に甘える後輩』というかつての関係の延長線みたいな空気になるのかもしれない。
それはそれで幸せに感じるものだけれど。
「……可愛い後輩が起きる前に、私も出かける支度をしなきゃだな」
璃々花は残っていたコーヒーを飲み干し、PCの電源を落とすと、化粧の用意をし始めるのだった。
ところで、現在の橋戸ソラの特殊な事情については触れておかねばなるまい。
彼は元々、自身の持つ因果律が他の誰よりも不安定という特徴があった。
【性転換現象】に巻き込まれたのも、再度の性転換を果たしたのもそこに理由がある。
が、しかし。
彼の最も特異なところは、その因果律のコントロールにある程度成功した点だ。
未来を垣間見た黒の魔女が『面白い★』と評価したのも、実は再度の性転換だけでなく、その特異性に目を付けたからだった。
それは。
「お待たせ璃々花っ♪」
リビングに戻ってきたソラの姿は、十五分前のものとは細部が異なっていた。
顔の輪郭の僅かな丸み、くびれから滑らかなカーブを描く腰のライン、小振りながらも確実に存在を主張してくる胸。
見る者全てをドキリとさせる、妖艶さを内包した、しかし何処か中性的な美女の顔。
これこそが、かつてネット配信者として売り出し、現在はモデルとして活躍しているSoraとしての姿である。
──つまり、こういうことだ。
自由性転換。
睡眠中、異なる因果を手繰り寄せて自身に性転換を引き起こさせる。
世界でたった一人の特殊能力を、ソラは獲得したのだ。
ドレッサーの前の椅子に腰掛けていた璃々花は小さく呟く。
「いい加減人間じゃないよなぁ」
「ん? なにが?」
「人並外れて綺麗だね、って褒めただけだよ」
「ふぅん?」
璃々花の言葉をどう解釈したのか、ソラは目を細めて意味深な笑顔を見せる。
その表情は、昔の悪戯な美少女時代を想起させるもので、璃々花はやや赤面した。
(ああもう。ずるいなあ、本当に)
璃々花はぴしゃりと両頬をはたく。
──いつまでも見惚れている場合ではないのだ。
彼女はソラに化粧台を譲った。
ソラはなんとも手慣れた様子でメイクを施していく。
流石はかつてメイク配信の投げ銭で稼いでいただけはある。
一瞬で化粧に片を付けると、ソラは振り返って尋ねた。
「よしっ、おーわり! どう? 可愛い?」
「うん、凄く綺麗だよ」
「へへ。ありがとう。璃々花も綺麗だよー……いや、違うな」
「ん?」
ソラは立ち上がり、人差し指を唇に当てて、上目遣いで意味有りげに小首を傾げた。
「この姿だと、こう言ったほうが刺さるかなぁ?」
何の話だろう、璃々花がそう思った次の瞬間。
ソラは満面の笑みを浮かべて璃々花の手を取り、囁いた。
「今日もかっこいいですよ、センパイ♡」
瞬間、璃々花の中の璃玖が目覚める。
封印したはずの男性の部分が、胸の奥の、真ん中のあたりでズキュンズキュンとアラートを鳴らした。
さっき感じた胸の高鳴りよりも何倍も激しい感情の波が、身体じゅうの神経細胞を震えさせる。
(くっ……それは卑怯だろ、ソラぁ!)
胸を押さえて天を仰ぐ璃々花。
それはまるで、落ち着いた愛情から恋に落ちた瞬間へと心を巻き戻されたような衝撃だった。
してやったり、とソラは舌を出す。
まったく憎らしいったらありゃしない。
「さ、行こうよ璃々花。久々のデート、楽しもうね!」
「……ああ。行こうか、ソラ」
差し出された小さな掌にそっと手を添えて、璃々花は頷いた。
玄関の扉を開ければ、春の陽気。
キラキラの日差しの下、璃々花の目の前にも一輪のタイヨウ。
心の隅々までが熱で満たされていく感覚を味わいながら、璃々花は心の中で呟いた。
──やれやれ。
女になった後輩が、あざとくてつらい。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
作品の★評価、ブックマーク、感想なんかいただけると幸いです。
また、「このエピソード好きだったなぁ」というのがあれば、該当の話に『いいね』もらえると自作以降の参考になりますので是非。
次回は設定集。
その後機会があれば番外編を書くつもりではいますが、一旦完結設定にしようと思います。
(番外編を投稿する際は完結設定を一時的に外して投稿する形になる予定)
……とまあ長々と語りましたが、とにかく100話以上もお付き合いいただき、皆様には心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。




