Scene1-1 『璃々花』
四月になった。
天候は晴れ。
桜もとうに散って緑の葉が芽吹き、至る所で草萌える時期。
森の間に割り込むようにして白いコンクリの建物が並ぶここは、涼が丘大学のキャンパスである。
かつてより樫野璃玖が合格を目指し、二月には見事に入学に漕ぎ着けたあの場所だ。
起伏に富んだ地形から、全体的に坂道や階段が非常に多いのが特徴である。
そんな大学の南門付近、タイル敷の通路を一人の女性が歩いている。
白色の、袖が短いブラウスにミント色のパンツ。
少しウェーブのかかった黒髪は、後ろは襟足にギリギリ届く程度、前は目元が少し隠れるくらいの長さである。
睫毛は長く、目鼻の整ったボーイッシュな顔立ちだ。
モデルのような高い身長に、すれ違う学生たちはその多くが二度見するほどだった。
「ねえ、キミ新入生? 少し時間良いかな?」
「……なんですか」
「これ、うちのサークルなんだけど良かったら見学しに来ない?」
チャラそうな見た目の男性が一人、彼女の行手に立ち塞がり、ビラを差し出す。
彼女は一応ビラを受け取ると、途端、訝しむように顔を顰めた。
「フリーバロック?」
「そ。いろんなイベント企画して人を集めるの。どう? 楽しいよ?」
今はサークルの勧誘が活発な時期だが、大抵は数人のグループでの声掛けをしており、一人で声を掛ける者は多くは無い。
また、気になるのは男性の、胸元から足先までを往復する視線。
これはきっと勧誘に託けたナンパだろう。
そもそも活動内容のはっきりしないサークルなど嫌な予感しかしないものだ。
彼女は男にビラを突き返した。
「ごめんなさい、私、入るサークル決めてるので」
「ふぅん、あそ。じゃ、いいや」
男は興味を無くしたのかあっさりと退いた。
去り際に「デカ女」と吐き捨てるプレゼント付きで。
溜息を一つ、彼女は再び歩き出す。
目的地は体育会系の部室棟だ。
大学の他の施設と比べると外壁の補修もあまりされていない、古めかしい外観。
モデルライクな彼女には似つかわしくないというか、場違いにも思える所だった。
「あれ、もしかして璃々花ちゃん?」
不意に呼び止められた彼女── 璃々花は声のした方へと振り返る。
ちょうど建物の影から顔を覗かせるような形で、ヒョロリとした見た目の男性が手を振っていた。
璃々花よりも十センチくらい背の高い、百八十センチを超える高身長。
……の割に顔は童顔で、にこにこの笑顔が素敵な優男である。
彼は咥えていた煙草を部室棟の脇にあった灰皿に押し付けて処分すると、璃々花の近くへ小走り気味にやってきた。
「あ、こんにちは。たしか、高堂先輩」
「わあ、名前覚えてくれたんだね、ありがとう! 今日は、昨日言ってた山岳部の見学?」
「ええ、そうです。技術を磨くならやっぱり山岳部かなって」
璃々花が返事をすると、高堂は目を丸くした。
「へぇ、すごいなぁ。璃々花ちゃんは本格派なんだね!」
「って、あ、すいません。先輩のいるアウトドア同好会もちゃんと興味あります! その、えーっと」
目の前にいる優男が別のサークルの人間であることを思い出し、慌てて取り繕う璃々花。
彼女は焦ってわたわたと手を動かすが、その慌てぶりがおかしかったのか、高堂は噴き出した。
「あはは、気を遣ってるのバレバレじゃん!」
「す、すいません」
「まあでもウチは緩いから、そもそも璃々花ちゃんの求めるレベルとは違うかもだけどね」
「そうなんですか?」
高堂は苦笑いを浮かべながら鼻の下を指で擦った。
「趣味程度~とか、バイトでスケジュールに余裕がない~って人がウチには多いかなー。あ。ただ、山岳部やワンゲル部の登山計画に加わることもあるし、向こうがこっちのスキー合宿に参加することもあるよ。そのくらい活動は似てる部分はあるね」
「なんだか、私が高校の時に入ってた部活みたい。ゆるーくキャンプしたり、山に登ったり」
「そうそう! え、璃々花ちゃんの高校ってそういう部活があったんだ?」
璃々花は高校の部活動についてかいつまんで話した。
最初はボルダリングや山岳競技が中心だったこと。
その後、潮干狩りやデイキャンプ、軽登山などレジャーを主とする部活に変わったこと。
「なので高校の時と同じノリのアウトドア同好会もいいなーって候補に入れてるのは本当ですから!」
「はは! じゃあ、そこそこに期待して待ってるからね」
「はい! そこそこに期待しててください!」
璃々花と高堂は笑い合った。
二人が知り合ったのはごく最近のはずなのだが、妙に息が合う。
このままアウトドア同好会に入ったなら、あの頃の自分たちのように仲の良い先輩・後輩でになれるのではないか、と璃々花は思った。
もっとも、男女の仲になるつもりは毛頭ないのだけれど。
「そうそう、部長から連絡来てるかもしれないけど、今日の夜にサークルの親睦会やる予定だから、良かったらおいでよ。一年生も何人か来るし、あと元ワンゲル部の奴とかもいるから話聞いてみたら良いんじゃないかな?」
「……それって、アルコール入ります?」
「璃々花ちゃんはまだ十代でしょ。飲んじゃ駄目だよ!」
「ですよね! 安心しました!」
璃々花は考える。
高堂の反応からして、二十歳未満の学生にアルコールを強要するような、悪い飲み会ではなさそうだ。
同好会の部長は女性──しかも人が良さそう──だから、男性の集団に一人囲まれるという状況はまず起きない。
自分が気を付けてさえいれば大丈夫のはずだ。
それに、明日の土曜日の朝方には遠距離恋愛になってしまった恋人が遊びに来る予定だから、どのみち早めに抜けて帰るつもりだ。
だから、大丈夫。
璃々花は軽く頷いて、高堂に告げた。
「じゃあ、お邪魔じゃなければ私もぜひ参加したいです!」




