#なろう弱者をエンパワメントする
『#なろう弱者をエンパワメントする 我々にも作品を手にとっていただく自由を 表紙入りの権利を奪うな』
上記の二重カッコ内は、数日前話題になった某大学の立て看板から着想を得ています。
さて。
表示非表示にかかわらず、相互お気に入りユーザー数が25に満たず、忖度してくれる人なんていないぼくは、ある種のなろう弱者と言って差し支えないでしょう。
書いている作品も伝わりにくいものなので、まず、目を通してもらえません。
それでも、なろうの片隅で、心優しい数人の読者に読んでもらうために書いています。
表紙にずらっと企画ものが並んじゃうとさ。
ただでさえ少ない読者がいなくなっちゃうのです。
そういうことなんじゃないですか?
『なろう弱者』って。
企画によってランキングを追われた弱者は、文句を言うことすら許されないのでしょうか?
「同じ規約の上でやっているのだから、お気に入りユーザー様に評価されようが否が公平だ」と思うのも公平さの解釈の一つなら、「忖度する人の多寡が、表紙に入る機会の均等さを毀損する」と思うのも公平さの解釈の一つでしょう。
ぼくも企画に参加させていただいたことがあるし、『なろう弱者』のエッセイを目にするまでは、正直なところ思うところはなかったのだけど、『運営のお墨付きを得たからといって、弱者に追い打ちをかけるのは違うのではないか?』と思ったので、なろう弱者側にて筆を執りました。