絶対に婚約破棄を回避するため、殿下をぶちのめすことにしました
その日、貴族令嬢テレジアは少し風邪気味だった。
「大丈夫? 姉さん」
ベッドから半身を起こしてケホケホと咳き込んでいる姉の背中をさするのは、テレジアの弟だ。
「やっぱり今夜の舞踏会は止めておく?」
「いいえ、行きます!」
テレジアは強く首を振った。
「わたくし、殿下と踊るのをずっと楽しみにしていたんですもの!」
テレジアは王子の婚約者だった。彼女は彼のことを深く愛していたのである。
「でも無茶するのは……。あっ、そうだ!」
弟はいいことを思い付いたとばかりに、姉の頭を優しくチョップした。
「まあ、何ですの?」
突然のことにテレジアは目を丸くする。弟は得意げな顔で説明した。
「あのね、書庫に置いてあった古い本で読んだんだ。調子の悪くなった家電は、叩くと直るんだって。異世界の常識らしいよ」
「家電とは何なのですか?」
「それは分かんないけど……。多分、おかしくなったものは叩けば直るってことなんじゃないかな? 本には闘魂がどうとかって書いたあったよ。きっと、叩くと相手にすごいパワーを与えられるんだよ!」
「あら、そういえば……」
テレジアは口元に手を当てる。
「咳が止まっていますわ。もしかして、あなたが叩いてくださったお陰?」
「きっとそうだよ! 僕が愛情を込めて叩いたから、闘魂がたくさん注入されたんだよ!」
「まあ! 愛の闘魂注入ですね! 素敵ですわ!」
二人は歓喜して抱擁し合った。
「さあ、風邪が治ったからには、こうしてはいられませんわ! 早速舞踏会の支度をしなければ!」
テレジアはベッドから跳ね起きて衣裳部屋へ向かう。弟も「僕がドレスを選んであげるよ!」と言いながら後に続いた。
しかし、テレジアが楽しみにしていたその舞踏会で、彼女は王子にとんでもないことを言われてしまう。
「お前との婚約は解消させてもらう!」
大広間をつんざくような婚約者からの宣言に、テレジアは耳を疑った。
「殿下、今何と?」
「もうお前は私の婚約者ではないと言った」
王子が冷淡に吐き捨てる。そこに、テレジアの弟が飛び込んできた。
「どうしてですか! 姉さんはこんなに素敵な人なのに!」
「姉の腰巾着は黙っていろ」
王子が舌打ちする。
「お前よりも私にふさわしい女性を見つけたのだ。見ろ、このご令嬢の淑やかさを!」
そう言って、王子は近くにいた清楚な雰囲気の娘を引き寄せた。
しかし、姉弟はほとんど話を聞いていない。二人でコソコソと囁き合っている。
「これは一体どういうことなのでしょう!? わたくしたちは愛し合っていたはずですわ。それなのに、いきなり婚約解消だなんて……」
「分からない……。殿下、乱心しちゃったのかな?」
「乱心? ……ああっ!」
テレジアは何かに気が付いたようだ。
「そうですわ! 殿下はきっとおかしくなってしまったのです! こういう時こそ、『闘魂注入』ではありませんこと?」
「な、なるほど! 本にもおかしくなったら叩いて直せって書いてあったもんね。流石姉さん! 頭いい!」
弟は目を輝かせた。
「そうと決まれば、早速愛の闘魂注入だよ!」
「ええ! わたくしの愛で殿下を正気に戻してみせますわ!」
テレジアは王子に飛びかかった。
「殿下、わたくしの愛を受け取ってくださいませ!」
テレジアのチョップが王子の脳天を直撃する。目玉が飛び出そうな威力だ。王子は「ぐへっ!」とカエルが潰れたような声を出した。
「すごいや姉さん! これできっと殿下も……」
「何をするんだ、テレジア!」
弟の言葉を遮って、涙目で王子が二人を睨む。姉弟は顔を見合わせた。
「大変です! 効いていませんわ!」
「きっと叩く場所が違ったんだよ! 次は僕がやってみるね!」
そう言って、弟は王子に往復ビンタを食らわせた。
「き、貴様……! カエルの弟はやはりカエルか!」
「あら、しぶといですわ」
テレジアは今度は王子の体にパンチを繰り出した。見事な右ストレートに、弟は拍手喝采だ。
けれど、まだ王子は喚いている。姉弟は肩を竦めた。
「こうなったら、徹底的にやるしかありませんわ」
「うん、僕も手伝うよ!」
弟が王子を羽交い締めにし、テレジアがその顎に拳を入れる。それだけでは終わらず、次は腹を蹴飛ばした。しかし、王子はまだまだ元気そうだ。
「テ、テレジア……貴様……」
「姉さん、手加減しちゃダメだよ! 僕ならこういう時は、股間に三発くらい蹴りを入れるけど」
とんでもないことを言われ、王子の顔色が変わった。
「な、何ぃ!? お、おいやめろ、バカ姉弟め! わ、私の大事なところをそんな高いヒールのついた靴なんかで……うぎゃ! ひぇっ! ぴああぁっ!」
周りはその様子を呆気にとられながら見ている。巻き込まれては大変と、衛兵でさえ助けに来ない。王子の浮気相手はとっくに逃げ出していた。
「殿下、愛していますわ!」
「姉さんのためにも早く元に戻って!」
そんなことを言いながら、姉弟は王子に闘魂を注入し続ける。
テレジアが王子の首を背後から腕で締め上げ、弟が跳び蹴りを食らわし、気絶すれば水をかけ……。まるで乱闘さながらの光景だ。
周囲もいつの間にか「いいぞ、そこで肘鉄だ!」、「寝技に持ち込め!」と拳を振り上げて姉弟を応援している。
「て、てれじゃ……」
王子が掠れ声を出したのは、姉弟が闘魂を注入しだしてから十分以上は経った時のことだった。
「わた……わたひ、わる、かた……。ゆる……ひて……」
「私が悪かったから許して? ……殿下! ついに正気に戻ったのですね!」
テレジアは王子の髪を鷲掴みにして床に打ち付けていた手を止め、歓喜の声を上げた。
「ああ、よかった! やっぱり愛の力って偉大ですわ! わたくしの闘魂が殿下を救ったのです!」
テレジアは血まみれになって顔がパンパンに腫れ上がった王子を力強く抱きしめた。
「やったね、姉さん!」
弟も嬉しそうにしている。
「いやぁ、ほっとしましたよ」
「愛とは素晴らしいですな」
「なんて感動的な光景なんでしょう……!」
観客たちは涙ぐんでいた。
「さあ殿下、踊りましょう!」
テレジアはふらつく王子の手を取って大広間の中央に立った。
優雅な舞踏音楽が流れ始める。二人は寄り添いながらダンスを始めた。テレジアの弟が、その様子を微笑ましそうに見ている。
「ふふ、わたくしたち、幸せになりましょうね。大丈夫、また殿下がおかしくなったら、わたくしが直して差し上げますから」
「ひゃい……」
転々と床に血の跡を残しながら、王子が死んだ目で頷いた。
誤字報告ありがとうございます。
修理なので『治す』ではなく『直す』を使っています。