♪18.れっつ☆カラオケ
2人が行くのは、星花女子学園の生徒はあまり利用しないほうの、ちょっと古びたカラオケ屋さん。付き合ってることはバレバレのくせに、デート姿はあまり見られたくないという悪あがき。まぁ学園では人気の高い獅子倉茉莉花なので、見かけられると色々めんどくさいらしい。
そのデートに妹も一緒なのだし、こそこそ空いてる店を選ぶ必要もないと思うのだが……。
「ドリンクバー取ってくるよ。汐音はジンジャーエールでいいんだろ? 夏音は?」
さすがはジェントル娘。部屋に入るなり座りもせずドリンクバーへとな? しかもお姉ちゃんの好きな飲み物を把握している。
「あたしも行くー」
ポシェットだけソファに置き、あたしもスクッと立ち上がる。
「えー? 1人ー?」
お姉ちゃんの抗議の声が聞こえたが、「すぐ帰るからー」と扉を閉めた。
「ぼく1人で3つ持てるのに」
「あんただけにいい格好させたくないもん」
小走りで先にドリンクコーナーへ。「あんたって……」と呟きが聞こえたが無視無視。最初にジンジャーエール、次に自分のコーラを注ぐ。あとから来た獅子倉茉莉花もコーラを注ぎ、片手に3本のストローとおしぼりを持った。
「はいよ。いるだろ?」
「……いる」
おもしろくない。ジェントル娘はとことん気が利くらしい。
「張り合わなくたって、夏音はそのままでいいんじゃないの?」
背伸びしている、そう笑われた気がした。睨み上げると、獅子倉茉莉花は「戻るよ?」と背を向けた。
「子供扱いしないで! 1こしか違わないくせに」
「……そうじゃないよ。頑張らなくたって、夏音は汐音に愛されてるじゃんってこと。妹なんだからさ」
「いいでしょ別に! あたしがやりたくてやってるんだからっ。あんたこそ、ちょっと気が利くからって調子に乗らないでよね!」
早足で追い越すと、なみなみ入れたジンジャーエールがたぷたぷとこぼれていった。背後から「あんた、って……」と苦笑いが聞こえた。
「ただいまー」
薄暗い部屋に戻ると、お姉ちゃんが電子目次本のパネルから視線を上げた。すかさず隣を陣取る。続いて戻ってきた獅子倉茉莉花は、黙って向かいのソファに座った。
「お姉ちゃんとカラオケなんて久しぶりだなー! 何歌う? ねぇ、何歌うー?」
選曲中だったお姉ちゃんの手元を覗き込むと、電子目次本には洋楽らしき英語がずらりと並んでいた。
「あれ? お姉ちゃん、洋楽なんて歌えるの? 英語苦手じゃなかったっけ?」
慣れた手つきでタッチペンを動かしながら、お姉ちゃんは苦笑いをした。
「英語苦手だけど、このアーティストのは1年の時よく聞いててさ。合唱部の部長が『洋楽を歌えるようになっておくと、唇や舌の動かし方の幅が広がるんだ』って言ってたから練習してたの」
「あー、1年の時の黒宮部長、懐かしいなぁ。あの先輩、敬語と規律にはめちゃめちゃうるさくて厳しかったよなー。ぼくも何度怒られたことか」
「ぼくも、じゃないでしょ? あんたと栗橋先輩だけじゃない。あたしもみたいな言い方しないでよね」
あたしの知らない話……。あたしの知らないお姉ちゃん……。
「あたし、お姉ちゃんとデュエットしたいなー! 昔見てたアニソンとか歌おうよー。プチキュアとかチラリンレボリューションとかさぁ」
すかさず話題を変える。お姉ちゃんの肩に顎を乗せると、「あー、あれね。いいよ」と選曲し直してくれた。同年代だが女の子アニメなど見ていなさそうな獅子倉茉莉花は、案の定分からないらしく会話には入ってこない。「はいよ」と言って、マイクを2本取ってくれた。
懐かしいアニソンのイントロが流れてくる。廊下のBGMや隣のシャウトに負けじと、マイクにかぶりつく勢いで歌った。お姉ちゃんは歌いながらちょっと仰け反っている。何でだろ?
「あー懐かしかったぁ。全然歌ってなくても、結構覚えてるもんだね、お姉ちゃん」
「そ、そうね……」
苦笑いしている。なんでだ? お姉ちゃんの視線がチャラ娘に向いたのであたしも追う。すると、これまたチャラ娘まで下を向いて苦笑いしている。
「なんで笑ってんの? 2人とも」
「笑ってないよ? 夏音がかわいいなぁって思ってただけ」
そう言いながらも、お姉ちゃんは笑いながら髪を撫でてくれた。
「笑ってんじゃーん。なんで笑ってんのよー」
地団駄を踏むと、獅子倉茉莉花なぞ笑いをこらえて肩を震わせている。お姉ちゃんは「次、茉莉花入れていいよー」と話を逸らした。でもまだ顔は笑っている。
おもしろくない……。言葉にしなくても2人は通じ合っている。分からないのはあたしだけ……。
「おこーんなーいのっ」
無意識に膨れていたのだろう。ほっぺたを抓まれて「ぶふっ」と空気が漏れた。自分でやっておきながら、お姉ちゃんは「ごめんごめん」とケタケタ笑った。あたしだけが仏頂面。
ジャカジャカとやたらギターの目立つやかましいイントロが流れ出した。チャラ娘がマイクを握る。突然スイッチが入ったかのように立ち上がった。
かなり高低差のある曲だった。テンポも速い。黒いワイシャツに黒ジーンズというシンプルなファッションだが、ずいぶん昔に流行ったビジュアル系バンドのボーカルさんみたいだなと思った。。
表情も違う。さっきまでのチャラっぷりもヘタレっぷりもない。歌う姿はまるでステージ上に立っているようだった。。普段のハスキーボイスも手伝って、ちょっとした男性アーティストにも聞こえる。
う、上手い……。そして……。
かっ……こいい……!
サビが終わり間奏に入ったところで、獅子倉茉莉花は長い前髪の隙間から横目でこちらを見た。目が合った。
気付けばあたしは獅子倉茉莉花に釘付けになっていた。瞬きも口を閉じるのも忘れていたほどに……。
「夏音、あとでぼくともデュエットしてくれる?」
マイク越しにそう言われて、あたしは反射的に頷いていた。「誰があんたなんかと!」いつもならそう言ってただろうあたしが……。
Bメロに入っても、あたしは獅子倉茉莉花から目を離せなかった。上下に動く喉元では、革紐のチョーカーからぶら下がる、銀色のロザリオが光っていた。
「かーのんっ」
放心状態から我に返ったのは、お姉ちゃんのニヤついた呼びかけだった。
「夏音ってば、今見とれてたでしょー?」
「ちっ……」
違う、と言いかけて、自分の顔が火照っていることに気付いた。慌てて両手でほっぺを覆う。「ぷっ」というどちらかの吹き出しを皮切りに、2人は揃ってゲラゲラ笑い出した。
「違うもん! なんで笑うのよー!」
「あはははは! 違うって……あははははっ! 夏音、顔真っ赤ーぁ!」
「暑いのー! 暑いだけだもんっ」
説得も虚しく、2人のバカ笑いにかき消されていく。言えば言うほど、顔が熱くなってくるのも確か。
「そう? じゃあ、もう1曲歌おっか? それともデュエットしてくれる?」
「うるさい、バカっ! ジュース持ってくる!」
まだ1口も飲んでいなかったコーラからストローを抜き取り、一気に飲み干す。途中、炭酸にむせそうになったがなんとか飲みきり、そのままグラス片手に勢いよく部屋を出た。
廊下では知らない女性アーティストの、知らないバラードが流れていた。他の部屋の下手くそな歌に紛れて歌詞は聞き取れない。小走りのせいか、まだ鼓動が早い。
ドリンクコーナーに着く頃には、ドキドキはモヤモヤに変わっていた。きっとコーラのせいだ。炭酸が詰ってるんだ。
ムカつく! あのチャラ娘め!
かっこよくてムカつくーぅ!
「バカバカバカ!」
あいつへのイラ立ちとゲップがこみ上げてくる。
「あれじゃ……ずるいよ……」
勝ち目はない。入る隙間なんてない。そんなことは最初から分かっていた。
認めたくなくて、取られたくなくて、置いていかれたくなくて、必死でしがみついていたガキんちょなあたし……。
お姉ちゃんへの愛情なら負けない! だけど、それ以外ではやつには憎たらしいくらい負け要素しかない……。
「お姉ちゃん、取らないでよ……」
悔しくて情けなくて寂しくて、カルピスソーダのコックが滲んで見える。気が利くし優しいしかっこいいあいつが大嫌いだ。
あたしはコーラ同様、カルピスソーダもガブ飲みしてやった。
戻ったタイミングで、お姉ちゃんが洋楽の意味分かんない曲を歌っていたが、一言「帰る」とポシェット片手に飛び出した。「ちょっと、夏音?」というマイク越しのお姉ちゃんの声が、閉じた扉の音にかき消されていった。