♪16.お姉ちゃんにはヒミツ
2年生になって2ヶ月が過ぎた。といっても、あたし自身は特に何も変わらない。
相変わらずフリマサイトでお小遣い稼ぎもしている。売り上げは順調に伸びている。材料費を差し引いても、月に平均3万円はプラスになっている。その半分は学費として親に返上し、もう半分は自分のお小遣いと材料費にあてている。
お姉ちゃんとは相変わらず仲良し! その恋人の獅子倉茉莉花とは……認めたくはないものの、もう事実としては受け止めているので、関係としてはそれなり。……それなりの態度を心がけている……つもり。
まぁ、唯一大きく変わったとすれば……。
「夏音ちゃぁん、まだ寝ないのぉ? ふわぁ……」
後輩のルームメイト、御代田畝奈との生活。
「もうちょい。ここに綿を積めるのと、お目々を……あれ? お目々が1個ないっ」
あたしはデスクチェアを引き、足元を覗き込む。床には転がっていない。もう一度机上を見渡すが、布の下にも袋の中にもない。
「あっれーぇ? おっかしいなぁ……」
立ち上がってベッドの下も覗き込む。自分のほうと、一応畝奈のほうも。
「見つからないのぉ?」
ベッド上の畝奈が眠たげに問いかけてきた。頭を上げ、「そうなんだよねー」と唇を尖らせながら返事をする。諦めて別の目玉ボタンを使おうか……。
デスクに戻ろうとして、ふと畝奈の顔が視界に入る。声色からして、すでに目をつぶっているのかと思いきや、片目が不自然に開いている。いや、開いているというより、奇妙にデカい。デカいし真っ黒い。デカいし真っ黒いし飛び出ている。
「せーなーぁ?」
「えへへ。バレたぁ?」
行方不明と思われたぬいぐるみ用の目玉ボタンを片瞼に乗せた畝奈が、いたずらに笑う。いや、笑えない。こっちは全然笑えない。
改めて見ると不気味極まりない。むしろ怖い。ぬいぐるみに縫い付けるとあっという間にプリティに変身するアイテムが、人間に使用すると、あっという間に妖怪に化ける。不思議だ。
「バレたぁ? じゃないっつーの。バレバレだよ! そんなにあたしを寝かせたくないわけ?」
「違うよぉ。夏音ちゃんが早く寝てくれないから……」
「逆効果だっつーの」
わざと大きなため息をついて、畝奈の顔に手を伸ばす。すると察した畝奈がパチッとお目々を開け、「つっかまーえた」とあたしの手首を掴んだ。
「ちょっとぉ。怒るよ? あたしはキリのいいとこまで終わらせてから寝たいんだから」
「えぇー? もう眠たいよぉ。寝ようよぉ、夏音ちゃぁん」
ぐずった……。
1人で寝れるくせに、この後輩はたまにこうしてぐずる。いや、ぐずったふりをする。
「子供みたいなこと言わないのー! あたしよりデカいくせに」
「えー? 学年もカップも夏音ちゃんのほうが上だもーん」
「乳は関係ないっつーの」
半ば呆れて手を振りほどくと、畝奈は観念したのか目玉ボタンをよこしてきた。すねたふりをして布団の中で足をバタつかせている。
「いいもん、いいもーん。汐音先輩に言いつけちゃうもーん」
なお、反省はしていない模様。
「……何をよ」
完成間近のパンダパジャマを片手に振り返る。畝奈は口元まで布団を引き上げ、「うふっ」と意味深に笑った。
「いいのかなー、いいのかなー? 夏音ちゃんの大好きな汐音先輩にバラしちゃっていいのかなー?」
「……」
「いいの? 夏音ちゃん」
「……ダメ」
あたしはしぶしぶデスクスタンドを消し、材料も道具もひとまとめに紙袋に閉まった。畝奈の満足げな「やったぁ」が背後で聞こえる。
あたしは畝奈に弱みを握られている気がする。いいように上手く転がされてる気がする。
それが、ウィンウィンだったとしても。
「……よく真っ裸で寝られるね。そのうちお腹痛くなるよ?」
布団をめくると畝奈はパンツ1枚。それがこの子のデフォルト。いわゆる裸族。
「夏音ちゃんこそ、いつまで着ぐるみパジャマで寝るのぉ? もう6月だよ? 暑くないの?」
「暑くないよ。これは冬用じゃないもん。春夏用だもん」
言ってベッドに転がる。もちろん畝奈のベッドに。
「よしよし、いい子ですねー」
ふざけて頭を撫でてくるので「うるさいっ」と布団に潜る。思いのほか生乳が目の前にあったので、慌ててギュッと目をつぶった。女同士とはいえ、ナイトブラくらいしてくれないと目のやり場に困る。
「ふわーぁ……おやすみぃ、夏音ちゃん」
「おやすみぃ」
こうしてあたしと畝奈は、毎晩1つのベッドで眠っている。恋人同士でもないのにおかしいが、お互いこれが1番安心して眠れるのだ。
わけを話すと初夜まで遡る。……初夜というと何かを致した夜のように聞こえるが、要は畝奈が入寮してきた夜のことだった。
お姉ちゃんが出て行ったあと、春休みに帰省していたせいかモヤモヤのせいか、あたしはなかなか寝付けなかった。
お姉ちゃんと一緒にいられるのはあと1年。そう考えただけで寂しくて切なくて、明日お別れというわけでもないのに涙が出そうだった。
美佐緒先輩や瑠衣先輩がいた時はこんなこと一度もなかったのに……。2年生になったんだから、後輩の前ではしっかりしなきゃ……そう思うと余計に胸が苦しかった。
お姉ちゃんに会いたくて、声が聞きたくて、布団に潜ってスマホを握りしめていた。我慢できなくなって通話ボタンを押すと、数コールで「よぅ、夏音。汐音ならもう夢の中だよ?」という、今1番聞きたくないやつの声が聞こえてきた。
思わず「お姉ちゃんの携帯に勝手に出ないでよっ、バカ!」と叫んでしまった。その一言だけで切り、スマホを握りしめたまま鼻をすすっていると、怒鳴り声で起きてしまった畝奈があたしのベッドに入ってきたのだ。
畝奈は何も言わなかった。何も聞いてこなかった。だからあたしも、ただ畝奈の胸に顔を埋めたまま泣いた。出来たてのうさぎさんパジャマは、ちょっぴり他人の香りがした。
それからずっと、あたしは畝奈とくっついて寝ている。
お姉ちゃんが入寮した当時、寮は家と違って静かだしベッドだしあまり眠れないと言っていた。貧乏な相葉家は壁の薄いアパート暮らし。両親と三姉妹が布団を並べて寝ているので、確かにあたしも入寮した時はベッドで寝ることに慣れなかった。
そういえば、お姉ちゃんはどうやって慣れていったのだろう? 自然と眠れるようになったのだろうか?
初日こそうさぎさんパジャマで寝ていた畝奈だったが、ある晩突然素っ裸で寝ていた。布団をめくったらパンツも穿かずに白い裸体をさらしていたので、さすがにパンツだけは穿きなさいと注意した。
本人のいいわけとしては、誤って下着を全部洗濯してしまったのだとか……。しかしそれ以来、シーツの感触が肌に気持ちいいだとかなんとか言って、淫らな姿のまま寝るのがやみつきになったらしい。
裸で寝るのがくせになった畝奈と、畝奈と一緒に寝るのがくせになったあたし……。
言えない! にっくき獅子倉茉莉花と下着姿で寝ていたお姉ちゃんを責め立てたあたしが言えない。お姉ちゃんに言えた立場じゃない。
恋人でもない素っ裸の女の子と、寂しいのでくっついて寝てます、なんて言えるわけがない!