♪14.春
春。あたしは高校2年生になった。
先月、星花女子学園を卒業した瑠衣先輩は、あたしとの共同生活で何かに目覚めたらしく、この春から某大学の教育学部に進学した。あたしから見れば不安要素だらけだが、「私、そっちにむいてると思うんだよねぇ」と謎の確信があるようだった。
美佐緒先輩との窮屈な生活とは真逆だった瑠衣先輩との和やかな時間が終わり、ガランとした2人部屋に居たたまれず、あたしは春休みを実家で過ごした。
今日から新学期。実家から電車で2時間ちょい。最寄り駅を降りると、徐々に増えるお揃いの制服。星花女子学園の校門が見えてくる。数週間しか離れていないのに、なぜか懐かしい……。
「夏音ちゃーん、久しぶりー!」
カートを引きながら登校するあたしを見つけた鴨ちゃんが、自転車からヒョイっと降り、改めて「おはよー」と言った。焦げ茶色の長い髪から甘い香りがする。
「おはよ、鴨ちゃん。久しぶりだねぇ。元気だった?」
「元気元気っ。いやぁ、あっという間に2年生だねぇ」
「ほんとほんと。なんか慣れないからか、響きがくすぐったいよねー」
普通科とは違い、服飾科であるあたしたちはクラス替えがない。鴨ちゃんを始め、1年6組だったクラスメイトはそのまま2年6組となる。ただ学年が変わるだけなので、正直心境の変化は何もない。
瑠衣先輩がいないという事実以外、何もない……。
あたしたちと同じように「久ぶりぃ」という会話が、あちらこちらで聞こえる。
「そのカート、やたら重そうじゃない? 服?」
「うん。実家に持って帰ってたやつ。いらない教科書とかも持って帰って実家に置いてこうとしたら、『どこに置くのよ、こんな狭い家に』って怒られちゃって……。結局また持ってきたよぉ」
「あははっ、教科書って捨てるに捨てられないもんねぇ」
「そうなのそうなの、めっちゃ重いのに行ったり来たりしてさぁ。あたし、これ寮に置いてから教室行くから、先に行っててー」
再び自転車に跨がり、「じゃ、あとでねー」という鴨ちゃんに手を振る。あたしは女子高生たちの波から少し外れ、我が桜花寮へ向かった。
エントランスですれ違う寮生に逆流し、305号室の鍵を回す。重量たっぷりのカートを立てかけると、疲労のため息が漏れた。
終業式に出たままの部屋……。ずいぶん前に出たような懐かしさがある。カーテンを閉じたままにしておいたせいか、室内はちょっと湿気たにおいがした。
「ただいまぁ」
お留守番させていたしいたけ抱き枕に挨拶をし、カーテンと窓を開ける。吹き込んできた風は、当たり前のように春の香りがした。一緒にテンション高めの女子たちの声が入ってくる。
それに比べて静かな室内。見渡しても、瑠衣先輩はもういない……。
寮でも家でも学校でも、あたしの側にはいつも誰かがいた。独りには慣れていない。
「寂しいな……」
ふいに口にした本音が、寂しさを倍増する。今夜から独りになると思うととても憂欝だった。
ひとまず気持ちを切り替えて学校へ行こう。鴨ちゃんやクラスメイトに会えば、一時でも寂しさを忘れられる。あたしはクローゼットに入れっぱなしにしていた通学用カバンを引っ張り出し、そそくさと学校へ向かった。
始業式はとってもとっても退屈だった。今朝に限ってはプチ旅行並みの通学時間だったので、電車内でもあくびが止まらなかった。学校長の有り難いらしきお話を聞きながら、あくびを噛み殺しては涙が滲んでいった。
新担任と目が合う。出席番号でも身長でも先頭さんなあたしは隠れようがない。早く終わらないかなぁ。またひとつ、あくびを噛み殺す。
「きゃあっ!」
後列の方から聞こえてきた叫び声で我れに返る。一気に目が覚め、周りもざわつく。みんなの視線の方へ、数人の先生が駆寄って行った。
「大丈夫? 鴨野さん!」
胸がドクンと鳴った。鴨ちゃんだ。叫び声の主は違うけれど、先生が鴨ちゃんに呼びかけている。
おチビなあたしには後方が見えない。ざわつく周囲をかき分け、先生の声がする方へ人込みをかき分けて行く。
「鴨ちゃん? 鴨ちゃん?」
羽根をもがれた白鳥のように、ぐったりとした鴨ちゃんが横たわっていた。先生の声にもあたしの声にも反応がない。意識はないらしい。顔色は青白かった。
「相葉さん、どいてちょうだい。みんなも落ち着いて」
鴨ちゃんの手を握りしめるあたしを退かし、白衣を纏った医務室の高城先生がみんなに一喝する。高城先生は、鴨ちゃんの脈を取ったり頬を触ったり。頷きながら「大丈夫」と言った。
「えー、それでは……」
始業式の司会をしていた教頭先生が再びマイクを取った。用務の倉田先生と高城先生が鴨ちゃんを運んでいく。一通りの進行を駆け足に終え、一次騒然とした式典は終わった。
年度始めのホームルームにも、鴨ちゃんの姿はなかった。席替えの際にはクラスメイトが「鴨野さんの席は、相葉さんの隣がいいよね」と気を利かせてくれた。
白く細長い手足を投げ出した鴨ちゃんの姿が頭から離れない。「貧血とかかなぁ」と囁く声もあったけれど、1年間ずっと側にいて、鴨ちゃんが貧血の気があると聞いたことはない。
ホームルームが終わると同時に、あたしは医務室へ走った。途中、入学式用の飾りを運ぶ人とぶつかりそうになり、「ごめんなさい!」と頭を下げた。
「鴨ちゃんっ!」
ノックもなしに医務室の扉を開くと、呆れた顔で振り返る高城先生がいた。そこでまた「ご、ごめんなさい」と頭を下げる。
「鴨野さんなら帰ったわよ? ご家族と連絡が取れて、1時間前くらいに車で迎えにいらしてね」
「えっ、帰ったんですかっ? 鴨ちゃ……鴨野さんは大丈夫だったんですか? 貧血とかだったんですか?」
「まぁ、病気じゃないから安心して? 女子高生にはよくあることよ。過度なダイエットと精神的疲労、睡眠不足。それに月経で貧血が重なったようね。倒れた際に頭を打っていたようだから、念のため病院を進めたのだけど……彼女、お母様とお姉様に叱られてる間、ずっと言い返しててね、元気そうだったわよ」
高城先生が苦笑いする。あたしはホッとしたような、しないような。でも、いつも仲の良い鴨野家のことだから、きっとわちゃわちゃしながら帰ったのだろう。
「そうですか……。失礼しました」
「相葉さん?」
扉を閉めかけたところで呼び止められる。振り向くと、高城先生はにっこり笑った。
「相葉さん、明日から後輩が入学してくるんですから、もうちょっと先輩らしくお姉さんにならないとね」
「あー……ですね! えへへ」
言われて、あたしは少し冷静になった。恥ずかしさにこめかみをぽりぽりかく。「気をつけて帰るのよ?」とデスクに向き直る高城先生の背に「はーい、失礼しましたー」と、今度こそ扉を閉めた。
倒れたのに、病気ではないから心配いらないと言われても……心配。一度大きく深呼吸して下駄箱へ向かった。
校門を出て寮までの道を、いつもより早足で歩く。私服に着替えて鴨ちゃんちへ行こうかな……。何度かお邪魔したし、多分迷わず行ける。もし分からなくなったら『カモノハシ動物病院』で検索すればいい……。
そそくさとエントランスを抜けて、305号室へ急ぐ。気持ちが焦っているせいか、上手く鍵が入らない。やっとの思いで差し込んで気付く、鍵が開いている……。今朝も急いでいたからだろうか、反省して扉を開いた。
「えっ? 鴨ちゃん?」
瑠衣先輩の……いや、瑠衣先輩側だったベッドに、白く長い手足を投げだし、鴨ちゃんが横たわっていた。髪は振り乱したまま。なぜか服は着ていない……。
「か、鴨ちゃんっ? 帰ったんじゃないのっ? っていうか、なんでここで寝てんのっ? っていうか、なんで裸なのっ?」
正確には全裸ではなく、薄桃色のブラとショーツは身に付けている。……が、あたしの頭の中はナンデ? ナンデ? が飛び交っている。
背を向けたまま横たわっている鴨ちゃんに近付く。意識はあるのか確認しなくては……。距離が縮まると共に、スースーと可愛らしい寝息が聞こえてきた。倒れているというより寝ているみたいだけど……。
とりあえず起こそう。なんで下着だけなのか謎だし風邪ひくし。あたしは背後から、鴨ちゃんの肩をゆさゆさと揺らした。
「……んー」
「鴨ちゃんっ? 起きてっ、鴨ちゃん」
「ん、んー……」
艶っぽい声を漏らし、鴨ちゃんは伸びをしながら目を擦った。ふわぁと一つあくびをして、、それからゆっくりと目を開けた。
「んー……。んっとぉ、どなたですかぁ?」
振り返った半裸少女がトロンとした目を向ける。白鳥のような手足と焦げ茶色の長い髪、そこまでは鴨ちゃんと全く一緒。だがその声も顔も、あたしの親友とは違う人間だった……。
「えっ? そ、そっちこそ誰ーっ?」