♪13.鴨ちゃんち
鴨ちゃんちの最寄りの駅だと思い出したのは、マネキンのような獅子倉茉莉花の背に悪態をついたすぐ後だった。
「あははっ。それで、なんでうちを思い出すわけよー」
「だからぁ、鴨ちゃんがマネキンみたいな体型だからって言ってんじゃん」
「あのねぇ、それ嫌味にしか聞こえないぞ? マネキンはね、大腿BかCカップって決まってんのー。知らないのぉ?」
鴨ちゃんがぺったんこの胸を張る。なんかごめん、という気持ちになり頭をぽりぽりすると、「すきありー!」と手が伸びてくる。すかさずガード。鴨ちゃんは舌打ちしながらもにやりと笑った。
あたしは鴨ちゃんお手製のイチゴ大福クッションを抱く。悔しがる鴨ちゃんは、これまたお手製の桜餅クッションを投げつけてくる。課題で提出する作品はどれも不気味なデザインなのに、同一人物が作成したとは思えないプリティグッズなのはなぜか……。
「やるな、お主。ここのところ9戦0勝だ」
「なにその戦国武将みたいな言い方ぁ」
ガッハッハ、と鴨ちゃんが笑う。あたしも笑う。気兼ねしない親友は、さっきまでのモヤを晴らしてくれる。
見たいお店を思い出したので、と嘘をついて瑠衣先輩たちと別れた。敗北感を拭えないまま、お姉ちゃんと獅子倉茉莉花の顔を見るのが嫌だったから。
エレベーターで7階から降りる途中、『今からおうち行ってもいい?』と鴨ちゃんにラインした。扉が開く頃には『これまた急だねー。別にいーよー』と返ってきた。
駅ビルの入り口まで迎えに来てもらい、自転車を押す鴨ちゃんと並んで歩いた。鴨ちゃんは急な訪問の理由は聞いてこなかった。ただ「課題終わってるんでしょうねー?」とつっついてきただけだった。
たまに下品な冗談をかます鴨ちゃんだが、改めてお嬢様なんだったと思い知らされる。お父さんが経営するそこそこ大きい動物病院。その隣にある真っ白な3階建てのおうち。初めて来た時は何度も「え、ここ?」と繰り返した。
「夕飯食べてけば? ついでに泊まってけばぁ?」
「えー、いいよ。鴨ちゃんと寝たら、また襲われるかもしれないもん」
「ふふふ、その『いいよ』はオッケーの『いいよ』かな? かな?」
「ちがーうっ」
隙あらばおっぱいタッチしようとする。イチゴ大福クッションでまた応戦する。学校でも家でも鴨ちゃんの野望は変わらないらしい……。
「ひーよこーっ。ママが呼んでるーぅ」
階下から、鴨ちゃんのお姉さんの声が響く。動物病院で看護師をしていると聞いている。もう病院の閉まる時間か……。壁掛け時計は19時を差そうとしていた。
「ご飯の支度が出来たんだと思うよ。餃子焼けた匂いするもん。さあさ、参りましょうぞ、お嬢さん」
キャラの定まらない鴨ちゃんがあたしの手を引く。急に押しかけたとはいえ、さすがに夕飯までごちそうになるほどずうずうしくもなれず、あたしはぶんぶんと首を振った。
「いいよいいよ、もう帰るからぁ」
「そう言わずにー。私と夏音ちゃんの仲なんだから、何も遠慮することないじゃんかぁ」
「そ、そりゃそうだけど……」
そんな押し問答を続けていると、「入るよー」という声と共に、ひょっこり顔を出したのは、鴨ちゃんをそのまま大人にしたようなお姉さんの琴理さんだった。
「ちょっと琴理ぃ、勝手に入って来ないでよー。友達来てんだからぁ」
「いいじゃんいいじゃん。あらま、夏音ちゃーん。おひさー」
制する鴨ちゃんをガン無視し、琴理さんはずいずいこちらへ向かってくる。お盆には餃子定食を乗せていた。
以前から思っていたことだが、鴨ちゃんはお姉さんを呼び捨てにする。ちなみに2つ年下の弟も、鴨ちゃんとお姉さんを呼び捨てにする。相葉家では有り得ないことなので、どうも慣れない……。
「明日は休診日だからさぁ、今日はママの手作り餃子だよー。夏音ちゃんもたくさん食べて食べてー」
「琴理たちは休みでも、うちらは学校だってーの。でも、うちのママの餃子は絶品だから食べてって、夏音ちゃん」
鴨野姉妹に促され、あたしはテーブルに並べられた餃子の前に座る。真っ白なご飯からも中華スープからも、ほわほわと湯気が立っていた。ごくんと喉が鳴る。
ごゆっくりね、と琴理さんが立ち去った後、鴨ちゃんといただきますをした。今日のもやもやも、明日の授業も忘れ、あたしはニンニクたっぷりの餃子を平らげた。
「ところでさぁ」
満腹でご機嫌なあたしを、珍しく真面目な顔の鴨ちゃんが覗き込む。
「夏音ちゃん、汐音先輩とケンカでもしたんでしょ?」
「……違う」
「ふふっ、聞かないと思ってたでしょ? 私だって心配なのだよ、夏音ちゃんのこと。夏音ちゃんがどんよりしてるのって、対外汐音先輩絡みだもんねぇ」
絡み、なのは間違いない……。
「お姉ちゃんとケンカしたんじゃないよ……。一緒に買い物してたんだけど、なんか居づらくなってさ……」
「ふぅん。夏音ちゃんが汐音先輩と一緒にいたくないなんて、よっぽどのことがあったんだろうねぇ。私は琴理とは出かけたくないからよく分かんないけど……」
琴理さんは鴨ちゃんを溺愛している。9つも離れているからか、可愛くて仕方ないのだろう。鴨ちゃんはそれをうっとおしく思っているらしい。そこもあたしには理解しがたい。
「ズバリっ、マリッカ先輩とのことでしょ?」
ふふん、と鼻を鳴らす鴨ちゃん。親友ともなれば、大体のことはお見通し、というわけか……。
「鴨ちゃんは知ってたの? その……お姉ちゃんとマリバッカとのこと……」
「うーん、『らしい』ってとこまではね。マリッカ先輩って目立つし、人気もあるし、噂くらいは耳にしてたよ。私も憧れてたから興味もあったしね。ただ、夏音ちゃんがいつもマリッカ先輩のこと目の敵にしてたから言わなかっただけ」
「そう……なんだ……」
「そんながっかりした顔しないでよー。別に隠してたわけじゃないんだよぉ? 夏音ちゃんが汐音先輩大好きだから、私がマリッカファンだって言ったら、私のことまで嫌いになっちゃうんじゃないかって勝手に思ってて……」
いじらしく口を尖らせる鴨ちゃん……。同じ歳なのに、鴨ちゃんがこういう顔してもガキっぽく見えない。上目使いはわざとらしいが、それもまぁ可愛い。
「鴨ちゃんを嫌いになるわけないじゃんっ。マリバッカファンを嫌いになるなら、お姉ちゃんのことはとっくに嫌いになってるでしょー?」
「まぁそりゃそうだけどさ、女子校ってどういうきっかけで亀裂が入るか分かんないとこあるじゃん? 夏音ちゃんはそういうねちねちしたタイプじゃないけど、附属の時にファン同士でさえいざこざがあってねぇ」
中等部からの鴨ちゃんは、実際にねちねちバトルを目の当たりにしたのだろう。女の友情は恋愛絡みが1番崩れやすい。慎重になる気持ちも分かる。
ふと時計を見ると20時を回っていた。思わず「やばっ」と漏らし、あたしは慌てて立ち上がる。リュックを手を伸ばしたところで鴨ちゃんも立ち上がった。
「送ってくよ。小学生がこんな時間に1人でウロついてたら、怖いおじさんに浚われちゃうからね」
「なにその脅し文句みたいのー。ってか小学生じゃないしっ」
「しょうがないじゃん、どう見ても小学生なんだもん」
言って、鴨ちゃんが後ろから羽交い締めにしてくる。「ぐひひひひ」と不気味な笑い声がアニメっぽい。誘拐ごっこのつもりらしい。その割りに口は塞いでこないところは詰めが甘い。
閑静な住宅地を、自転車を押す鴨ちゃんと並んで歩く。駅までは10分ちょっと。さっきの続きを切り出したのはあたしからだった。
「お子ちゃまだって分かってるけどさ、どうしても許せないんだよ……お姉ちゃんを取られたみたいで……。お姉ちゃんに恋人ができるのなんて、もっとずっと先の話だと思ってたし、しかも女同士なんて……」
「うんうん、夏音ちゃんのシスコンっぷりは、私が1番分かってるよ。寂しいんだよねぇ? 急にお嫁にいっちゃったみたいで。女同士って点に関しては、中等部から女子校だった私より抵抗あるだろうしねぇ」
「やっぱり、女子校ってそんなもんなの?」
だははっ、と鴨ちゃんが笑う。鴨ちゃんにとっては愚問だったのだろう。あたしが鈍感なだけで、うちのクラスにもいるのだろうか……。カラカラと自転車の音が沈黙を埋める。
「鴨ちゃんもいたの? その……好きな女の子……」
「ううん、私はそっちじゃないな。かっこいいなって憧れる人もいるし、女の子は可愛いなぁとも思うけどね。逆に女性っぽい男性が好きかなぁ」
「あー、鴨ちゃんはバレエダンサーと並んでるのが似合うかもー」
「でしょでしょ?」
それから駅にたどり着くまでの間、鴨ちゃんは初恋の話をしてくれた。と言っても、小学2年生の時、バレエ教室に来た20代のインストラクターに一目惚れしたというだけ。ツッコんだら、「真剣だったんだぞー」とムキになったので、本気だったのが分かる。
「初恋かぁ、あたしにそんなものあったっけなぁ……。お姉ちゃんの後ろを追っかけるのに一生懸命で、周りの男の子なんて目に入ってなかったかも」
「あははっ、夏音ちゃんらしいねぇ。大丈夫大丈夫、私たちまだ16よ? これからどんな出会いがあるか分かんないんだからぁ。焦ることないって!」
「もしもだよ? もしも鴨ちゃんに恋人ができても、あたしのこと捨てないでよ?」
「んなわけないじゃーん! 夏音ちゃんこそ、もし好きな人できたら、真っ先に私に紹介してよね?」
街路灯に照らされた鴨ちゃんがニヤッと笑う。あたしも真似る。
口を揃えて「約束!」と小指を絡めた。
高校1年の秋、あたしは初めて『恋話』ってやつをしている。青春だ。これぞ女子高校生って感じ!