魔王の勅命
そんな日々のなか、キーラは久しぶりに軍議に呼ばれた。ある夜のことだった。
議場の上座には魔王が座っていた。これまでのようなナメた態度で軍議に臨んだ軍団長は一人もいなかった。
頭髪は一本もないくせに腕は六本もあるという姿の魔王は、上座にふんぞり返っていた。
その日の軍議の内容はこうだった。勇者は残すところあと一人。貴様らは雁首揃えて人間一匹に何をやっているのか。魔王の厳かな声が議場に響く。
その重苦しい空気のなかで、サードナイツの牛の団長が、セカンドナイツを見失ったという報告をさせられていた。
牛の団長は汗まみれで、震えてさえいた。
ファーストナイツの馬の団長は、その件に関して、セカンドナイツにはインフェルノに対する叛意がある可能性があると発言した。
魔王は無言だった。
結構な長い間沈黙していた。
無表情だった。
キーラは、こりゃサードの団長は腹いせに処刑されるんじゃねーかと思いはじめた。
だが魔王は、セカンドナイツ捜索の指揮はファーストナイツが執り、サードナイツはその補佐に回れとだけ言った。それでその日の軍議は終了した。
キーラが魔王に声をかけられたのはそのあとだった。
議場を退出したキーラは、酒瓶にあとどれくらい酒が残っているかというようなことを計算しながら廊下を歩いていた。すると魔王がやってきて、話があるのでちょっと余の寝室までこいみたいなことを言ったのだ。
刺客の侵入があったとはいえ今は平時である。人間界との大規模な戦争行為は行なわれていなかった。だというのに脳筋特攻野郎ヘルナイツにいかなる用か。キーラはめんどくせーと思いつつ、言われたとおり魔王についていく。
ついていきながら、キーラは少しばかりの奇妙さも感じていた。
魔王が誰かに用がある時、たいていは使いの者に言伝を持たせて呼びつけるものだ。
だが魔王はわざわざ、しかも妖精魔人のキーラに直接話しかけたのである。
魔王の居室は城の最上階。赤い扉だった。魔王はそこまでいくと、立ち止まって辺りを見回すような仕草をした。
キーラは少しだけ、魔王が自分に対して何かいやらしーことをしたくて呼んだのではと疑っていた。キーラは自分の顔や、体のスタイルには自信があった。ただその二つは分離しているわけで、魔王はいったいそんな自分といったいどのような変態プレイを計画しているのかと、思わないでもなかった。
だが魔王は赤い扉を開けることもなく、部屋の前の廊下で話しはじめた。
困ったものだ。このようなことがこれまでにあったか? 人間界から刺客が送られてくるのは今に始まったことではない。あの脆弱で、哀れな者どもがな。ただの余興だ。貴族どもの狩りにすぎん。それが、二年も経つというのに、まだどいつもこいつもそのような話を余の耳に入れようとする。有り得ぬことだ。話がおかしいと言わざるをえぬ。セカンドナイツのこともそうだ。あやつらが元はよそ者だということは、妖精魔人、貴様も知っていよう。ここへきてよもや、余に反旗を翻す心づもりになろうとはな。まったくどこまでも不快な者どもだ。おおかたあやつらは、余の第二夫人が死んだのが余のせいだとでも思っているのだろう。あの陰気でつまらぬ女。いや、二の君を放逐したことが気に食わんのか? セカンドナイツは二の君である金盞花の騎士団でもあったな。だがそれもお門違いというものだ。そもそも金盞花がインフェルノの法を犯したことが発端だった。その金盞花は外に追放してやったが。あのろくでもない、恥知らずな次女! 何にせよ、揃いも揃って使えぬ者どもばかりだ。末娘の四の君は四の君で何を考えておるのかさっぱりわからぬし。挙句の果てに、ネズミのようにコソコソしている勇者ときた。いや、今思えば、二の君を放逐した時から、何かを余に思わしくない流れになっているような気がする。妖精魔人よ、そうは思わぬか? 貴様は未来を見通す、そういう力があると聞いたが。
キーラは話を聞きながら、だんだんうんざりしてきた。
夜も遅くに人を呼びつけて何の話かと思えば要はただの愚痴である。
しかも、魔王が魔王としての権限を不当に使い、キーラに夜伽でも強要しようと言うのならまだわかる。部屋のなか、寝室にでも入ってから、それからやればいいではないか。然るべき男女の行為を行なって、その寝物語かピロートークとして、そのあとで、上に立つ者の苦渋と不満でも勝手に喋ればいい。
まぁキーラは魔王と寝るのはごめんだったが、だからといって廊下で突っ立って話し込むような内容か?
だいたいそもそも第二夫人様とその御息女の悪口など自分に聞かせないでほしい。
自分はかつてありふれた、カスみてーなアンダークラスの妖精魔人だった。そんな自分の、《予兆》の才能を活かしてはどうかとお声をかけてくださったのは第二夫人だった。だから無益なストリートファイトはすぐやめて軍に入った。ヘルナイツの団長としての今の自分があるのも、あの御方がいてこそ。
その第二夫人が亡くなられたと聞いた時は、酒を飲むのを忘れるほど泣いたのだ。
知っとるんやぞ。魔王は正式な妃ばかり寵愛し、第二夫人様に少しも愛を与えていなかったこと。
二の君・金盞花様についてもだ。
妖精魔人に分け隔てなく接する優しさ、インフェルノに似合わぬあの朗らかな笑顔は、自分のような妖精魔人には砂漠の水のように煌めいて見えた。第二夫人が薨られたと聞いた時も、悲しむ二の君様を支えることもできない己の身分の低さ、塵芥具合に腹が立ったのだ。あの美しい姫に自分は憧れていたのだ。あの御方の幸福のためなら、自分の何と取り替えてもいいとさえ思っていた。あの二の君様の美しいお身体を思い浮かべながら自分の股ぐらを舐めたことは一度や二度ではねーのだぞ。デュラハンたる自分にのみ可能になるプレイだ。そのぐらい、愛していたんだ。
それをこの目の前のハゲは追い出しくさった。
それによって、まだ小さな四の君様を独りぼっちにした。
そして四の君を塔へと追いやった。
お姫はんが何をした?
たしかにお姫はんは御母堂や姉君と違って優しくはない。お姫はんに氷漬けにされた貴族が何人かいるのも知っている。だがそれは、肩身の狭いお姫はんをいじめたと言うか、無礼を働いたと言うか、何と言うか、わからないが何かお姫はんのカンに障るようなことをしたのが原因ではねーのか。お姫はんが短気なのはインフェルノでは常識であり、気をつけてねー方が悪いんとちゃいますか。
魔王の息女が恐ろしい存在だということは何かおかしいことだろうか? 冷酷だというのなら一の君様もそうだし、残酷というなら三の君様の方が有名だ。一の君様は失態を犯した者即死刑だし、三の君様は気に食わない者を殺して死体をいじくり回すと聞く。なんなら気に食わなくもなくても。
なぜお姫はんだけ差をつけて別ける?
なぜ他の姫と同じように大事にしてやらない?
なぜ他の姫と違い、俺はんのようなゴミクズをあてがって、騎士団付きのお姫様ごっこをさせるような侮辱をする?
セカンドナイツの行方は杳として知れないと聞く。
ひょっとして勇者を相手に全滅したのではないのか? 第二夫人が薨り二の君が追放されて、セカンドナイツの主だった精鋭はインフェルノを出ていったことがある。二の君様をお守りすべく、探しにいったのだ。セカンドナイツ団長の反対を振り切ってだ。勇者が見つからないからムカつくって? もしその精鋭がまだいてくれれば、勇者の人間如きものの数ではなかったろうに。叛意を疑っているらしいが、それはそうだろう。そんな風に扱われれば、誰だってそんな気持ちになったっておかしくない。
団長はどう思うかだと? 未来を見通す力的にはどう映るって? アホが。おめーはんが喋ってる内容は全部どうにもならない現状とてめーでやらかした過去の話ばかりだ。これまでの物語をどう思うかなんて聞かれたって、《予兆》を使うまでもなく自業自得って感想しか思いつかねーよ。
キーラは魔王のお喋りに適当に相槌を打ちながらも、だんだん腹が立ってきた。
魔王は妖精魔人のキーラをあまり好きではないのだろう。
キーラだって魔王が嫌いだった。
特に、湿気の多い夏の夜みたいな、暑苦しい顔が。
だがキーラはそこで、魔王の顔色が悪いことに気づいた。
どこがどう、というわけではない。
魔王の声は普段と変わりなく淀みはないし、背筋も立っている。健康そうだった。
それでも、何か顔色が悪く見えたのだ。
あまりマジマジと顔を見るのも不敬かと思い視界の端でうかがう程度だったが、違和感はぬぐえなかった。軍議の時はどうだったろうか?
キーラが思い出そうと努めている時、魔王はさらに話した。
キーラを呼びつけた用件についてだ。
魔王は唐突に言った。
「ヘルナイツ団長に命じる。四の君・黒薔薇姫を殺せ。どうせセカンドナイツの目的も、四の君を旗印に蜂起といったところに決まっておる。そうでなくとも、もう第二夫人の娘のことなど頭の中にも存在してほしくない。もうたくさんである。それに……妖精魔人よ。そもそも第二夫人がこの世におらぬのも、あれのせいよ。あれが余の妻たる第二夫人を氷の世界に閉じ込めてしまったのだ。余の妻をだ」