狩りの季節
人間界から勇者が潜り込んできたとの報があってから半年。再び軍議が開かれた。
その軍議でもキーラはずっと黙っていた。話すこともなかったし、誰かに何かを訊かれることなかった。
軍人たちは、どこそこの誰それが一人仕留めだの、何々の軍団長のとこの○○なる者がさらに一人仕留めたらしい、褒美をもらえるだろうだの、そんなようなことを喋っていた。
軍議は盛り上がっていた。
会議場は明るい雰囲気で満ちていた。
インフェルノの軍団は退屈を持て余していたのだ。久しぶりの狩りに、みんな楽しそうだった。
無言を貫くキーラは、手ぬるいという感想を抱いていた。
そもそも勇者の一隊がインフェルノに侵入したのは半年も前である。
報告によれば一隊の総数はわずか六人。大部隊でもない。
そんなチンケな人間六人ぽっちを追い回して、二人殺すのに半年もかかっているのである。
何が面白いんだこいつら?
しかも勇者討伐に向かったのは、セカンドナイツということだったはず。
セカンドナイツといえばインフェルノ屈指の精鋭部隊だった。それを動員しておいて、半年で成果はたった二人。
おまけに先ほど話題に出た「どこそこの軍団長のとこの○○なる者」とはセカンドナイツの話ではないようだ。
キーラがなおも黙っていたら、話はそのセカンドナイツに及んだ。
誰かが、セカンドナイツは一時呼び戻されるかもしれないということを喋っていた。
キーラと同じく、やはり仕事が遅いのではないかと。その件で魔王に呼び戻され、きついお叱りを受けるかも、という話だった。
その話を誰かがした時も、キーラ以外は笑っていた。
議場の上座には、牛の頭に人間のような体をした大男が座っている。サードナイツの騎士団長だ。そいつなどは、キーラの方をチラチラ見ながら、まるでキーラを嘲笑するような調子で笑っていた。
理由はわかっていた。
セカンドナイツは遠国からやってきた、外国人の武人の集団だった。そもそもが魔王の第二夫人である女性が輿入れしてきた際、その護衛としてインフェルノにやってきた者たちである。
第二夫人が何かの理由で……その理由をキーラは知らないが、とにかく何かがあって亡くなられたらしい。その後仕える姫を失った武人たちは、そのまま魔王と第二夫人との間の娘である、二の君の騎士団セカンドナイツとしてインフェルノの軍団に編成されたのだった。二の君がインフェルノの法を犯した罪で追放されたあとも、宙ぶらりんのままインフェルノの軍団に籍を置いたままになっている。
インフェルノの者どもが、第二夫人とその娘たちを軽く見ていたのは、キーラも前から感じていた。よそ者だからか、それとも他に理由があるのか(あったとしてもどーせさもしいー理由だろーとキーラは思っていた)、とにかくそういう空気がインフェルノにはあった。
サードナイツの牛は、二の君のナイツが能無しなのを、四の君のナイツであるキーラの前で当てつけるために笑っているのだということを、キーラはわかっていた。
キーラはセカンドナイツのことは嫌いではなかった。あまり接点はなかったが、何せ敬愛する第二夫人の護衛隊だし、腕も立つ。それでいて驕ったところがあるわけでもなく、礼儀正しい。キーラのこともリスペクトしてくれていた。だからキーラもセカンドナイツの魔人たちをリスペクトしていた。
それを笑ったサードナイツの牛に対して、キーラは何を言うでもなく目を逸らしただけにとどめた。
それから半年。つまり勇者が侵入してから一年。
キーラは相変わらず飲んだくれながら無為に日々を過ごしていたが、またまた軍議が行なわれた。
今回の軍議はそれまでのような楽観的な空気は消し飛んでいた。
議場に、白い鎧を着た、目が六つもある馬の頭をしている男が上座に座っていたからだった。
ファーストナイツの団長だった。
魔王の長女・一の君直属の騎士団であるファーストナイツの団長が、魔王の代理として議長を務めたのである。
議題もまた剣呑だった。セカンドナイツが消息不明だというのである。
仲間はずれのキーラは細かい経緯を知ることができなかったが、二回目の軍議のあとセカンドナイツに戦死者が出たらしい。
インフェルノの軍団はそういう報告を受けて…まぁいずれにせよセカンドナイツを召還し、勇者討伐の進捗の悪さについて糾弾する予定だった。
たかが人間六人相手に戦死者まで出したとあれば、それはそれでセカンドナイツの落ち度をなじり、
暇つぶしの出汁にするつもりなんやろ。
キーラはそう考えた。
だがその肝心のセカンドナイツが招集に応じない。と言うか連絡がつかない。
白い鎧の馬男・ファーストナイツ団長は、勇者が潜伏している該当地域に拠点を持つ部隊とは別に、新たに部隊を投入し勇者の捜索に当たらせると発言した。
そしてセカンドナイツの捜索は、サードナイツが当たるべきだと。
軍議とは名ばかりでろくな意見の交換もなく、有無を言わせぬ感じでその日の軍議は終了した。
キーラは何だか嫌な予感がしていた。
彼女の嫌な予感はわりとよく当たる。議場を退出したあと、廊下にいたサードナイツの団長に、自分たちヘルナイツも勇者討伐に加わりたいと話した。
軍議はファーストナイツ団長が高速で終わらせたので、発言する隙がなかったのだ。キーラは牛の団長に、勇者のことは魔王陛下と共にもっと真剣に考えるべき案件ではないかと話した。
牛の団長の返事はつれなかった。
下等な妖精魔人の出る幕などない、セカンドナイツの件はもとより、勇者どももサードナイツが討ち取ってくれるわ。だそうだ。おまえのような半端者は半端者らしく四の君様のお守りでもしてろ。とのこと。
キーラはその場で牛をブッ殺してやろうかと思ったがやめた。
ふん。どいつもこいつも魔王はんの前でいいところ見せてーのやろ。
やはりキーラは宿舎に戻ると、例によって例の如く飲んだくれて過ごした。
キーラは人間の勇者とやらに悪い印象は持っていなかった。
それらの面倒を見るのは自分の仕事ではないこともある。
それとは別に、なかなかに天晴れな奴らだと、キーラは思わずにいられなかった。彼らはわずか少数で敵陣に乗り込み、インフェルノを引っかき回してやろうというのだ。そしてそれは実際のところほんのちょっと成功していた。
勇者はんらも、使い捨てなのかもな。
それからというもの、キーラは軍議にめっきり呼ばれなくなった。
一年ほどの間、勇者とその討伐、セカンドナイツの行方に関する話はキーラの耳に届かなくなり、彼女もだんだん興味を失っていった。
人間界からの刺客・勇者の残り人数が、ついに一人を残すのみという噂をキーラが耳にした時には、勇者侵入からもう二年が経過した頃だった。
そもそもインフェルノの軍団がセカンドナイツと連携が取れなくなったのは一年前だったが、実際のところ、そのあたりからもう一人か二人ぐらいしか残っていなかった。キーラだけがそれを知らなかったし、知る意義もなかった。
進展こそしているが二年もかけて完全解決には至らない不可思議さ。セカンドナイツもどこにいったものか、よもや勇者に全滅させられたのか。それさえわかっていない。捜索を担当しているサードナイツも、かなり肩身が狭くなっているという噂も聞こえてきていた。
最近魔王がかなりキレているらしい。
キーラが知っているのはそれだけだった。
この二年間は、キーラにとって退屈だが平穏な時間だった。
荒野の外れの塔で、四の君のおそばにいるだけ。四の君はキーラたちに特にああしろこうしろだの指図をしてくるわけでもない。箱入りお姫様特有のワガママもない。インフェルノでは四の君は凶暴で知られていたが、ヘルナイツに対してそんな振る舞いをしたことは一度もなかった。
四の君は塔の最上階の部屋で、いつも読書をしている。実姉である二の君が持っていた本をもとに、何かの研究をしているらしい。姫の身の回りの世話を仰せつかっているキーラの従妹がそう言っていた。
あとは、塔の外に出て、ペットの黒い犬を散歩させているぐらい。その際ヘルナイツは当然警護につかなければならないが、気まぐれな姫は塔から出てくるタイミングが決まっていないので捕捉するのが難しく、それがヘルナイツの唯一の、悩みらしい悩みだった。
四の君は物静かな少女だった。
犬を連れて塔から出てくれば、おそばに駆け寄るキーラに、微笑んで挨拶する。冬の朝の薄靄のような冷たい微笑みで。
散歩中のルールは一つだけ。四の君の前に立って歩みを止めないこと。もし止めた時、もし四の君が不機嫌だった場合、止めた奴は死ぬ。
それ以外は、四の君はむしろ温厚とさえ言えた。
四の君のそばにはキーラの従妹……勝気そうな面構えのキーラと違い、柔らかい垂れ目をした美しい少女が付き従っていて、何くれとなく世話を焼いている。
キーラはそんな二人の姿を、いつもランタンの中から、宝石を見るような目で眺めていた。
尊い。
ただただ尊い。
尊すぎて死ぬ。
キーラは幸福だった。
指の隙間をすり抜ける砂のように止めようもなく失われていく日々に何の不満も抱いていなかった。
そして、だからこそキーラは、それが不満だった。
黒い忠犬を無言のうちに林に歩かせる四の君を見るたびに、この生活はいつ終わってくれるのかと考えたものだ。
魔王はいつ、この小さな姫を許すのか。
母を喪い、優しい姉、二の君とも離ればなれになった、キーラのかわいそうなお姫はんを。
お姫はんが何をした? なぜ魔王はんは、お姫はんを他の姫殿下方と差をつけて別ける? お姫はんはいつこの塔から解放されるんだ?
なぜなんだ? お姫はんが冬の空のような銀色の髪をしているからか? 二の君様や、御母堂様と同じように。何が気に食わねーのや? そんなに気に食わんのなら、なぜ魔王はんは御母堂様を妻にした? 金盞花殿下がインフェルノを追放された理由ぐらい俺はんだって知ってる。けど……それとお姫はんは関係ねーやろ。
四の君は林の中で、時に黒い犬と狩りに興じる。
姫の黒い犬は、《妖精爆弾》と呼ばれる光の玉を飛ばす。
それは一般の魔人が使うような魔法とは違った。精霊のマナを用いた、精霊術である。
本来精霊術はインフェルノでは禁忌とされていた。法律でも使用や学習は禁じられている。
そもそもが、二の君がインフェルノを追放されたのだって、彼女が禁忌の精霊術の研究をしていたことが露見したからだったと、キーラは聞いている。
だがこの林の中でそれを咎める者はいなかった。四の君も、キーラの従妹も、キーラも。キーラ自身も《妖精爆弾》は使えないこともない。人前で見せたことは当然なかったが。だが真っ当な魔人の寄り付かないこの林は、軽い無法地帯だった。
黒犬は《妖精爆弾》で、鳥だとか、鹿だとかを撃って捕まえる。実際死体を回収するのはヘルナイツの団員である。黒犬は自分では走らない。主のもとに自ら成果を運んで、褒めてもらおうともしない。
黒犬は体が弱っていたからだ。
この犬は二の君から四の君に贈られた犬だった、まだ四の君が幼い頃から、優しい姉に贈られたこの犬は常に姫のそばにいた。
ある時、三の君が、この犬が欲しいと言ってきたことがある。四の君はお姉様に頂いたものだからと断ったが、「あたしだってお姉様よ」と三の君が言う。それでも断り続けると、激昂した三の君は犬に魔法を撃ち込んだ。
一命は取り留めたが、それ以来黒犬は本調子に戻ることはなかったのである。三の君はお咎めなしだった。その時のキーラは仕事上、一応魔王にそういうことがあったと報告はしたのだが、魔王に「そんなくだらんことを余の耳に入れるために妖精魔人の身分で謁見にきたのか」と怒られた。キーラは魔王に、犬の話も、四の君に方には怪我はなかったのかと尋ねられたりもしなかった。
四の君と黒い犬の散歩の間、キーラは手にしたランスを時おり強く握りしめる。無意識に。だものだからランスの柄はこの数年で、少しばかりすり減っていた。
散歩が終わるとキーラは自室に閉じこもり酒瓶を開ける。
そうやって、心の方も少しばかりすり減らすのだ。