キーラの追想
キーラはセクシーに髪をかきあげたりしない女だった。
インフェルノの魔人軍団に、ヘルナイツと呼ばれる部隊がある。
キーラはそこの団長で、首無し騎士だ。
正確に言うと首はある。ただ胴体とつながっていないデュラハンというだけで。
魅力がない女というわけでもない。その首の顔は若く、染み一つなく、大層美しい。だがインフェルノのほとんどの魔人は彼女の顔をあまりよく見たことがない。彼女の波打つ、暗い森に密やかに燃える焚き火を連想させる赤い髪が、いつも顔の前に垂れ下がっていて見えないせいだった。
キーラはそんな自分の頭を大きなランタンの中に入れて持ち歩いていたものだから、かきあげたくとも手で容易に触れられない。ランタンの中は長い髪がまるでポットの水のように、指の第一関節ほどの深さで堆積していた。そしてキーラはそれを不便だとあまり思わない、そういうタイプの女だった。人前、特に殿方の前で整えてもいない寝癖のついた髪を見られても気にしない。そういうタイプの女なのだ。
インフェルノの妖精魔人には、その手の身だしなみもへったくれもない者が多い。デュラハンという妖精であるキーラも、身分と出自のとおりの見た目と性格をしていたというわけだ。
キーラは自分のことを、『俺はん』という一人称で表す。なかば男のような喋り方をする。
ヘルナイツはインフェルノの軍団の、第四の騎士団である。
騎士団とは栄光ある存在で、格式高く、極めてオフィシャルで、堅苦しく、お高くとまっている。だがキーラはその団長でありながら、妖精魔人のスラング丸出しで喋る。キーラはそういうタイプの女だった。
キーラはアッパークラスの魔人のみが得ることができるはずの『ナイト』の称号を、妖精魔人の身でありながら賜った異例の女。ありふれた妖精魔人であり、他のチンピラとはモノが違う例外的な妖精魔人でもあり、でもやっぱり妖精魔人という感じの女だった。
そういう調子で、彼女はいつもどおり、インフェルノでヘルナイツ団長としての仕事に従事していた。
人間界から六人の勇者がやってきた、あの季節も。
インフェルノに人間界の勇者が侵入したという報せが入った時、キーラは騎士団の団長として軍議に参加した。
だが他の騎士団長や軍団長、アッパークラスの魔人どもがあれこれ話し合っているのを、キーラはうわの空で聞いていたものだ。
ああ、もうそないな季節なんやなぁ。
キーラはそのぐらいの感想しか抱いておらず、むしろハナクソをほじりたくなっているのほじれない今の状況に辟易していた。みんなが勇者を迎え討つ作戦について意見を交わしている間、彼女はいかに誰にもバレずにランタンに手を突っ込みハナクソをほじり出せるかという作戦を考えていたぐらいだ。
この場には魔王は同席していなかったが、していたとしてもキーラの頭はハナクソのことでいっぱいだったろう。すでに鼻の穴の方はハナクソでいっぱいでもあるし。
だって、こんなことはいつものことだからだ。
定期的に、思い出したように、人間界から無謀な挑戦者がやってくる。そのたびに軍議が開かれ、キーラも呼び出されるが、ヘルナイツはいつも仲間はずれ。呼び出しておいて勇者討伐の命はヘルナイツには下されず、発言権も特にない。
俺はんが妖精上がりだからって仕事を取られたくねーってんだろ。じゃー最初から呼び出すなっての。何しにきたんよ俺はん。
その日の軍議も、誰もキーラに意見を求めたりとか、ヘルナイツに出動するように言ってきた者はいないまま終了した。勇者討伐は第二の騎士団、セカンドナイツが向かうとのこと。キーラがついにハナクソを取り損ねたまま軍議は終わった。
インフェルノの都は、泥でできた円形の建物郡が、赤い空の下に広がってできている。
キーラは六頭立ての馬車を走らせ、そんな都から遠ざかるように荒野を走った。
馬はみんな首がない。『コシュタ・バワー』とキーラが呼ぶその首無し馬車の車には、旗を立てるための金属の長い棒が伸びている。
その棒の先にあるのは旗ではなくキーラの首だ。棒上のランタンの中のキーラの目に、荒野の先の塔が映っている。塔を見据えるキーラの目は心底つまらなさそうだった。
塔のそばにはヘルナイツの宿舎がある。コシュタ・バワーがそこまでやってくると、建物からキーラの部下が出迎えた。
熊のように大きな男で、金属の丸い兜で顔全てを覆っている。半裸で、筋肉のひとつひとつが山のようだった。肌の色は土気色。キーラがそいつに変わりはないかと尋ねると変わりはねーと答える。それを聞いたらキーラは一番大きな宿舎にいきコシュタ・バワーを厩に入れて、自室へ戻った。
それから終日キーラは酒を飲んで過ごした。
宿舎の近くの塔には、キーラたちヘルナイツの直属のボスと言うべきか……お姫様がいる。
魔王の娘である。
ヘルナイツはそのお姫様を守るのが仕事だった。
本来であれば、帰還の挨拶をするのが団長キーラの義務だろう。だが塔の上のお姫様は、堅苦しい挨拶を嫌う魔人だった。
正確に言えばそういうマナーや儀礼に関心のないボスで、もっと正確に言えば、誰かが自分の近くにいるということにまったく興味もないし、何だったら認識自体しないこともあるし、挨拶しても返事はくれるがリアクションも薄い。
いちいちリアクションするのも面倒だから、細かい挨拶は無礼講にしろとお姫様に言われていた。
だからキーラはボスに挨拶もなしに自室で飲んだくれていた。ランタンをテーブルに置き、鎧姿の体が置いたコップから、藁で酒を飲む。
ここのところ酒の量が増えていた。
キーラは一日のうちで、お姫様と顔を合わせることはそれほど多くない。塔の中でお姫様のおそばにいつも仕えているのは、お姫様が飼っている黒い妖精犬と、メイドの少女だけ。
そのメイドはキーラの従妹だ。シルキーと呼ばれる妖精だ。
キーラは妖精魔人だ。
従妹も妖精魔人だ。
ヘルナイツも全員妖精魔人だ。
お姫様のペットも妖精犬だ。
お姫様の周囲には妖精しかいない。
インフェルノでは嫌われ者の、一番身分の低い、下層階級の妖精魔人。
自分が軍議でシカトされていたことを思い出しながらストローで酒を流し込む。
ヘルナイツは騎士団の称号を得てはいるが、その実ドチンピラの集団だった。
インフェルノである時期、人間界との戦争において使い捨ての捨て駒が必要とされたことがあった。
それに選ばれたのが、当時軍で兵士をやっていたキーラ。キーラはたいへん光栄極まる捨て駒の任務を魔王直々に賜ったあと、インフェルノの牢獄に向かった。そこで肝の据わったバッドボーイを厳選し、それを自分の部下にした。
中には死刑囚もいた。ロクデナシばかりだった。もちろんキーラに反抗する奴もいた。キーラは鎧姿のボディでそいつらを片っ端からブチのめし、釈放されて騎士になるか今死ぬか選んどくれやす、好きな方でいーぞと迫った。《予兆》という、相手の未来の姿を覗き見て動きを予測する不思議な力を持つキーラに勝てるバッドボーイはいなかったのである。
即席特殊部隊ヘルナイツは戦争において陽動に使われた。援護もなしに囮になって敵を引きつけ、そこで全滅するはずだった。だがキーラ率いるナイツメンは、逆に敵を全滅させて全員が生還。その功績を称えられ、正式にインフェルノ軍団の、騎士団として異例の編入を受けられたのだった。
何が騎士だ。肩書きや身分を飾ろうが、俺はんらは使い捨てじゃねーか。
思い出に浸りながらキーラの飲むペースはどんどん早くなっていく。
インフェルノの軍団には四つの騎士団がある。
ファーストナイツ。
セカンドナイツ。
サードナイツ。
そしてヘルナイツ。
ヘルナイツ以外の騎士たちはみんな貴族だった。上流階級の、上級インフェルノ民だ。
そしてヘルナイツだけは、数えられた騎士ではない。
ヘルナイツの団員はみんな妖精魔人。しかもみんな囚人。獄の騎士。だから四ではない。ヘルナイツなのだ。
ふん。別にいーがね。俺はんだって別に自分がアッパー民になれるだなんて思ってねーわ。表向きは中流民扱いかもしれねーが、表向きだけだとしても。差をつけて別けられたとしても、その方が気楽でいー。それに、四の君であるお姫はんに仕えさせてもらえるだなんてこれ以上の光栄はあらしまへんわなぁ。
戦争後、ヘルナイツは平時の任務を与えられた。
四の君──魔王の末娘の護衛だった。
そもそも騎士団は、魔王の娘たちを守るための団だった。
カウンテッドナイツはそれぞれ、一の君、二の君、三の君の直属の兵団として仕えている。
一から三までの騎士団はみんな貴族。
だが四の君の騎士団だけは、アンダークラスの妖精魔人。騎士とは名ばかりの反社会魔人の寄せ集めだった。
何で魔王はんはお姫はんをそんなに嫌う? お姫はんが何をした? 何で差をつけて別ける? お姫はんが、二の君様と同じ銀色の髪をしてはるからか?
寄せ集めのドチンピラに守られた塔は、何もない荒野にぽつねんと建っている。それがキーラが使える四の君の家だった。他の、一の君と三の君は、都の、魔王の居城か自分の豪華な屋敷に住んでいるというのに。
キーラは四の君が好きだった。
敬愛する二の君の妹君だから。一の君と三の君と違い、二人が同じ母親から産まれた姫だから。
キーラは二人の母親を尊敬していた。ある日インフェルノの外から輿入れしてきた、遠国の姫だというその女性は、キーラのような妖精魔人に分け隔てなく接してくれた。彼女が産んだ二人の姫も、キーラを差別することはなく優しくしてくれた。
……と言うと少しばかり語弊があるが。
四の君はインフェルノの人々から恐れられていた。
インフェルノの魔人には珍しく心優しく朗らかに笑う二の君と違い、四の君はほとんど笑わなかった。他人に暖かい態度を取ることもあまりなかった。
だったらどーだって言うんだ? たしかにお姫はんは冷たい女の子かもしれねー。ちょっとばかし乱暴であるかもしれねー。お姫はんが久しぶりに都をへ行けて、散歩してた時、お姫はんの行く手を遮った貴族がいて、それでそいつはその場で死んだかもしれねー。特にお姫はんをいじめたわけじゃなかったのに何となく殺られちまったかもしれねー。だったらどーだって言うんだ? お姫はんが何をしたって言うんだ。歩くのを邪魔しさえしなければお姫はんは基本的に人畜無害なのに。……基本的にはやけど。
そんな四の君に仕える騎士になれるなどキーラには望外な喜びだった。
四の君は冷たいし、感情の起伏が読みづらいところもある。だがキーラたちをリスペクトしてくれた。リアクションは薄いとはいえ挨拶すればなんと返事もしてくれるのだ。
四の君の騎士。キーラは最高の気分だった。
と同時に恥じてもいた。
己のような妖精魔人が四の君の騎士になったことに。己のような妖精魔人しかつけてもらえない四の君は可哀想だと。
せめて優しい二の君さえいてくれれば、四の君の寂しさもまぎれるだろうに。
だがそんな二の君ももういない。魔王の怒りを買いずいぶん前にインフェルノを放逐されてしまった。
自分にとっての栄光は、四の君にとっての恥。愚弄。住まいは荒野の寂しい塔。お姫はんはひとりぼっち。
その事実が、最近のキーラに深酒をさせていたのだった(ただキーラはヘルナイツ結成前から何も理由はなくても深酒する女ではあったが)。