ノーパン
真っ裸でコッチの世界に来てしまった陽菜は、セツが着ていた着物に袖を通していた。
身丈は引きずってしまうくらいの長さで、裾が汚れてしまわないように、右手でたくし上げている。下着をなにもつけていないから、なんだかスースーする気がするし、恥ずかしさから内股気味になってしまう。
帯は襦袢の上からセツが締めているため、前がはだけないように、左手でシッカリ共衿を握り締めていた。
等間隔に建つ柱にはロウソクが灯る。
誰かと擦れ違ったらどうしようとヒヤヒヤしていたけれど、その心配は杞憂に終わった。
「陽菜ちゃん、着いたよぉ」
案内されたのは、几帳で仕切られている広い部屋。几帳で仕切られた空間の一つひとつに燭台が立ち、広い部屋を仄かに照らし出している。
「ココは?」
「セツ達が泊まっているお部屋だよぉ。こうやって几帳で仕切って、一人ずつ宛てがわれているんだぁ」
「へぇ……そうなんだ」
これでは雑魚寝と変わらないのではないか、と思ったけれど、口にはしなかった。
きっとコッチの世界では、これがスタンダードなのだろう。
でも、ただ仕切られただけの空間では、プライバシーもなにもあったもんじゃない。イビキなんかも丸聞こえだ。
(でも、みんなでお泊まりって……楽しそうだな)
陽菜は、少し羨ましく思った。
「陽菜ちゃん、コッチだよぉ」
セツに手招きされ、陽菜はセツと一緒に几帳の中に入る。
広さは、だいたい二畳くらいといったところだろうか。寝るのに一畳。荷物に半畳といった感じだ。
「狭いけど、座って待っててね」
「うん、ありがとう」
セツに勧められ、畳んだ布団の横に置かれていた円座に腰を下ろす。裾が広がらないように膝裏で折り、前がはだけないよう右前に重ねた。
体育座りをしてセツの行動を観察していると、大きな葛籠の蓋を開け、どれがいいかなぁと、中をあさり始める。
蘇芳色の帯を出し、襦袢と紐も取り出す。若草色の着物を引っ張り出し、どうかなぁ? と広げて見せた。
セツが手にする若草色の着物には、千鳥の模様が入っていて可愛らしい。蘇芳色の帯とも色のバランスがよさそうだ。
「ステキだね。でも、本当に借りてもいいの?」
気が引けている陽菜に、セツはムッとした表情になる。
「いいに決まってるんだよぅ! だって、陽菜ちゃん真っ裸だよ? そんなので遠慮するなんて、信じらんないよねぇ」
セツの言い分は真っ当だ。
着たまま向こうの世界に戻ってしまったときのことを考えてしまったけれど、今のほうが大事である。
真っ裸で、ツクヨミの屋敷内を歩き回るわけにはいかない。
ありがたく、セツの親切を受け取ることにした。
「そうだよね。うん、ありがとう……」
「なぁに? なんだか、お返事の歯切れがよくないねぇ」
セツの眉根が寄り、眉間にシワが刻まれる。
陽菜は言い淀んでしまったけれど、正直に白状することにした。
「えっと、その……着方が、分からなくて……」
「え〜? なんだぁ、そんなことか」
セツは脱力し、あはは! と愉快そうに笑う。
葛籠から出した一式を持ち、陽菜の傍にやって来た。
「そんなの簡単だよぉ。右、左って重ねて、紐で結んだらお端折りを作るの。腰に帯をクルクル巻いちゃえば完成だよぉ。ギュッて縛ったら、あとはセツが結んであげるね」
はい! とセツは陽菜を立ち上がらせ、いくよ〜と声をかけるが早いか、なんの躊躇も無く陽菜が袖を通していた着物を剥ぎ取る。
わっ! という声が漏れたときには、セツの手によって、肩からフワリと襦袢を掛けられていた。
「あ、ごめんよぉ。下の子にするみたいに、勝手にやっちゃった」
「ビックリしたけど、大丈夫……だよ。ははっ」
すでに、池で助けてもらったときに全て見られている。脱がされたことに驚きはしたけれど、セツに対して羞恥心はあまり無かった。
セツはウサギの耳をペタンと垂らし、ごめんよぉ……と、まだ顔の前で両手を合わせている。
「だから、大丈夫だって! 気にしないで」
「う〜……ホントに、ごめんね。こういう配慮に欠けるところ……セツの悪いところなんだぁ」
自分を責め続けているセツは、陽菜のほうを向いてくれない。
陽菜はセツの顔を両手で挟み、強引に顔を上げさせると、赤い瞳を覗き込んだ。
「あのね、私……不慣れだから、着させてもらえると嬉しいな。お願いしてもいい?」
セツは目をパチクリしていたけれど、フニャッとした安堵の笑みを浮かべた。
「うん、お手伝いするよぉ」
セツの手を借り、陽菜は襦袢を着て紐を締め、若草色の着物に袖を通して、蘇芳色の帯を文庫結びにしてもらう。
着心地はワンピースみたいで、締めている紐も帯も苦しくなかった。ただ、下半身はスースーする。
「ねぇ、パンツとか無いの?」
陽菜の問いに、セツは「はて?」と小首を傾げた。
「パンツ? 履かないねぇ」
「えっ! このまま?」
動揺が隠せない陽菜に、セツはニコリと笑みで応じる。
「大丈夫、大丈夫。そのうち慣れるよぅ」
「えぇ〜! パンツはマナーであり常識だよ〜っ」
「そう、マナーは世代や状況によって変わる常識だよぅ。昔は履かなかったでしょ? だから、大丈夫」
「説明にも説得にもなってない……」
セツは「あはは」と楽しそうに笑い、帯を解いて陽菜に貸していた着物を着直しながら、パンツが無いことに肩を落として落ち込む陽菜に話しかけてきた。
「でも、ビックリしたよぅ。ほら、今日は重陽の節句でしょ? だから、みんなでツクヨミ様のお屋敷で栗ご飯を食べよぅって、たまたま集まってたんだよねぇ。片付けが済んで廊下を歩いてたら、池のほうから変な音がしてさぁ。様子を見に行ったら、誰かがカラスみたいに溺れてるんだもん」
「カラスみたいって……」
たしかに、遠目から見たらそうかもしれない……と、陽菜は自分の醜態を思い起こす。
だけど、陽菜だって驚いたのだ。言い訳ぐらい、したくなる。
「私だってビックリしたんだよ? だって、家で菊湯に入ってたのに、潜って顔を出したらあの場所なんだもん。すんごい戸惑ったんだから」
「そうだねぇ。戸惑うよね〜」
桃色の帯を結び直しながら、セツはポツリと呟いた。
「陽菜ちゃんは、そういう体質なのかなぁ」
「……体質?」
呟きが耳に届き、陽菜が問い返すと、セツは頷く。
「子供に多いみたいなんだけど、来ちゃいやすい子って、居るらしいよ」
「体質……ねぇ」
思い当たる節は、この一年くらいだ。それまでは、コッチの世界に来たことなんて、一度も無い。
「さて……それじゃあ、ご挨拶に行かなきゃだぁ」
「挨拶?」
誰にだろう、と陽菜は目を瞬かせる。セツはウサギの耳をピクンと動かし、陽菜の両手を取った。
「勿論、ツクヨミ様にだよぉ」
「えっ!」
思わず大きな声を出してしまった陽菜に、セツもビックリしてウサギの耳をピンと立てる。
「なに? なにを驚いてるの? 当たり前だよぅ。アッチの世界に帰るには、ツクヨミ様のお力が必要なのに」
忘れたわけじゃないでしょ? と、セツに鼻先をつつかれた。
「それは、そうだけど……」
いざ会えるとなると、ドキドキしてしまう。もう会えない、会ってはならないと、諦めていたから。
七夕の短冊に書いた願いが、今にして叶う。
織姫のおかげなのか、天帝の慈悲か。
陽菜は、ありがとうございます、と心の中で感謝を告げた。




