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コッチの世界

 雪のように白い手に引かれ、陽菜はアスファルトで舗装されていない道を山に向かって歩いていた。

 ウサギ耳の女の子の名前は、セツと言う。

 髪の色も白く、身につけているのは、淡い黄色の生地にススキのような柄が描かれている膝丈の着物。桃色の帯を締め、鼻緒が臙脂色の下駄を履いている。


(どこの家の子だろう?)


 こんな女の子とは、今まで会ったことがない。

 どこの子だろうという疑問もさることながら、陽菜にとっては、あのウサギ耳は本物なのかカチューシャなのか、それが一番の関心事項になっていた。


「その耳は、つけてるの?」


 陽菜の素朴な疑問を受け、前を歩くセツは首だけ捻って振り返る。耳の向きも、クルリと変わった。


(あっ、動いてる)


 驚きにポカンと口が開き、ひと回りほど目が大きくなる。セツはわずかに目を細め、ふふふっと笑った。


「私の耳は、ホントのお耳よ。だって、私はウサギだから」

「え〜嘘だぁ。人間の姿をしてるウサギなんて居ないよ」


 陽菜の知るウサギは、白や茶色の小さいフワモコだ。


「ホントよ。恥ずかしいから見せないけど、ちゃんと尻尾だってあるんだから」


 セツの言葉が本当なのか、思わずセツのお尻を凝視してしまう。陽菜の視線を遮るように、セツの手がサッとお尻に当てられた。


「そういうのは、失礼なのよ」


 ムッとした表情に、プクッと膨らむ頬。純粋に、可愛いな、と陽菜は思った。


「ごめんね。でも、言われたら気になっちゃうよ」

「そうだよねぇ。自分と違う容姿だと、と〜っても気になっちゃうよね」


 理解はしているのよ、とセツはイタズラっ子な笑みを浮かべる。


「でもね。私にしてみれば、陽菜ちゃんの容姿が不思議なのよ。音がするほうにお耳も動かせないでしょ? 身に危険が迫っているときとか、どうやって察知するんだろ〜って、知りたいもの」

「身の危険?」


 危険の察知なんて、今まで意識したことはなかった。

 例えるなら、死角から飛び出してくる自転車や、余所見運転をしている自動車、大人達の集団とすれ違うときにぶつかったり踏まれたりしないように気をつけるとか、そんな部分だろうか。

 でも危ないときは、あらかじめ祖父母や両親が言い聞かせてくれるし、背後から突然襲われるなんてこともない。

 人間と動物の生活環境の違いもあるだろう。

 整備された中で生活している陽菜は、とても恵まれている、のかもしれない。


「それでさ、聞いてもいいかな? 陽菜ちゃんは、どうしてあんな所で泣いてたの?」


 あんな所……とは、道の真ん中のことだ。

 知っている道のりだから、覚えているとおりに歩けば、家に帰ることができる道。それでも泣いていたのは、暗くて怖くて心細かったから。そしてなにより、一緒に来ていた祖母の姿が、忽然と消えてしまったからだ。

 陽菜の目の奥が、またジワリと熱くなってくる。


「ススキの中に走って行って、振り向いたら……おばあちゃんが居なくなっちゃってたの。どこにも居ないし、夜になっちゃったし……」

「あ〜そうか。なるほどねぇ。そうなんだねぇ」


 何度も肯定する言葉を口にするセツの物言いは、とてもおっとりしていた。

 陽菜の告白に別段驚いた様子も無く、陽菜を安心させるような、朗らかな笑みを浮かべている。頬にできた笑窪が、とても可愛らしい。


「えっとねぇ。驚かないでほしいんだけど」

「なぁに?」

「陽菜ちゃんは、人間の世界から、コッチの世界に紛れ込んじゃったんだよ」

「コッチの、世界?」


 セツの伝えんとすることが、いまいち分からない。コッチの世界とは、なんのことだろう。

 うん……だからね、とセツは陽菜に向き直り、目線を合わせる。ルビーみたいな赤い瞳に、不安に押し潰されている陽菜の顔が映った。


「コッチの世界の道を辿っても、陽菜ちゃんの家には着けないのよ」

「えっ……?」

「同じ場所だけど、違う空間って言えばいいのかな? 私達は、よくソッチの世界にも干渉するから、普通に行き来してるのよね。でも、ソッチの世界の人達は、限られた人だけというか……知ってる人しか来ないの。あとは、陽菜ちゃんみたいに、突然なにも分からず来ちゃう人ね。聞いたことあるかな? 神隠しって言葉、知ってる?」

「……知ってる」


 突然、人が居なくなってしまうこと。昔話で聞いたことがある。


「きっとアッチの世界では、陽菜ちゃんが居なくなっちゃったって、大騒ぎになってるんじゃないかな?」


 祖母にしてみれば、突然姿が消えてしまったのは陽菜のほうなのだ。

 血の気が、サーッと引いていく。


「大変! どうしよう……でも、どうやったら戻れるの?」


 もう一度、走ってススキの中に突っ込んで行けばいいのだろうか。

 急いで祖母の元へ帰らなければ。

 優しい祖母は、きっと自分のせいだと己を責めてしまい、体調を崩してしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。そんなことには、したくない。

 必死な陽菜に、セツは困ったように眉を八の字にした。耳もペタンと垂れている。


「う〜んとね、ごめんね。私一人だったら行って帰ってこられるんだけど……セツは、陽菜ちゃんを帰してあげる方法を知らないんだよね」

「そんな……」


 絶望が押し寄せる陽菜に、でもね、とセツは月を指さす。


「ツクヨミ様なら、陽菜ちゃんのこと、どうにかしてあげられると思うんだよね」

「ツクヨミ様?」

「ツクヨミ様はね、夜を担当する神様なんだよ」


 少しだけ見えてきた希望に、陽菜は頷く。


「どうやったら、ツクヨミ様のところへ行けるの?」


 運がいいねぇ、とセツは微笑む。


「今日はこれから、セツ達みんなでツクヨミ様のところへ行くの」

「これから?」

「そうだよ。年に一度のお祭りなんだぁ。セツはね、ススキを採ってくる役目なの。だから、あの場所に居たのよ」


 セツは、肩から斜めにかけているカバンをポンポンと叩いた。叩かれた衝撃で、頭を出しているススキの穂がユラユラと揺れる。


「そうなんだ……」


 幸か不幸か、その行事があったおかげで、陽菜はセツに出会うことができた。

 どうやらセツが言うように、運には見放されていなかったみたいだ。


「セツちゃん……私も、一緒に行っていい?」

「この状況で、ダメなんて意地悪なこと、セツは言わないよ」

「それじゃあ」


 期待を込めた笑みを浮かべる陽菜に、うん、とセツは頷く。


「一緒に行こう。それでね、最初からそのつもりだったから、山に向かっていたのよ。セツってば優しいでしょ?」


 セツは自らネタをばらし、ふふふ、と茶目っ気たっぷりに笑う。

 (あやかし)なのか、ウサギの精なのか、なんなのか。まだ今のところ、セツの正体は謎だ。

 けれど……信頼してもいい相手なんだと、頼れる人が一人も居なかった陽菜にとっては、心強い味方の登場だった。

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