ススキ摘み
来年の春に小学校一年生となる陽菜は、祖母と一緒にススキを摘むため、田んぼの畦道を歩いていた。
今年で六十七になる祖母は、今でも仕事に出ていて、家事も仕事も農作業もこなすスーパーウーマンだ。
繋いでいる祖母の手の平は柔らかい。でも指先は、洗剤や水仕事のせいでカサカサに荒れている。ハンドクリームを塗ればいいのにと言ったこともあるけれど、手を濡らす作業が多すぎて成分が浸透しないのよ、と不満を口にされただけで終わってしまった。今では濡れた手に使える商品もあるよと教えてあげたけれど、右から左に聞き流されたみたいだ。
九月も半ばになると、陽が沈むのも早くなってくる。
夏の今頃の時間帯は、まだとても明るかったのに。午後五時半ともなれば、夕方ではなく夜に近い感じだ。
今日の天気は快晴だったから、空の色が茜色から夜の色にグラデーションしていく様子を綺麗に眺めることができた。
(この空なら、大丈夫かな)
今日は、中秋の名月。今朝の週間天気予報は、丸一日晴れだった気がする。
一年で一番、夜空に浮かぶ月が綺麗だと言われている日。
毎年、庭沿いの縁側に折り畳み机を置いてススキを飾り、祖母と母が作ったお月見団子をお供えすることが習慣になっている。
団子粉で作ったお団子にきな粉をまぶし、満月に見立てたお月見団子。家族みんなで月を眺めながら、自分用の皿に盛られた団子を食べるのが楽しみだった。
団子の用意は、母がすることになっている。だから、ススキを摘んでくることが、陽菜と祖母に科せられた使命だった。
「おばあちゃん、あとどのくらいで着く?」
「ほら、あそこ。もう見えてきたよ」
指さす先は、畦道の突き当たり。一面に広がるススキが、サワサワと風になびいていた。
「やった! 私いっちばーん」
祖母の手を離し、思いきり駆け出す。
「こら、陽菜ちゃん! 転ばないように気をつけるんだよ」
祖母の注意を背中で聞きながら、はーい! と口先だけの返事をした。
一生懸命に両手を振り、力強く足が地面を蹴る。ハッハッと、少し息も弾んできた。
(楽しい!)
ただ少しの距離を走るだけなのに、徒競走をしているときみたいに楽しくて仕方がない。
息と共に、気分も上がる。
「着いた〜!」
ゴールテープを切るかのように、ススキの中に突っ込んで行く。
「ね〜おばあちゃん! 私の足、速かった?」
祖母の笑顔が見たくて振り向くも、そこには誰も居ない。忽然と、祖母の姿が無くなっている。
「えっ、なんで?」
キョロキョロと周囲を見渡すも、視界に収まるのは、風に揺れるススキと畦道だけ。
「おばあちゃん……」
津波のように不安が押し寄せてくる。
(なんで? どうして?)
ただ、走っていただけなのに。祖母は陽菜を置いて、家路についてしまったのだろうか。でも、そうだとしても、姿が消えるのが一瞬すぎる。
側溝に落ちてしまったのかと来た道を戻ってみるも、やはり祖母の姿は見つからなかった。
「おばあちゃん、おばあちゃん……」
視界はぼやけ、目にはいっぱいの涙が浮かぶ。
(私を置いて、帰っちゃったの? おばあちゃんの注意を無視して走ったから?)
ただ言うことを聞かなかっただけで、陽菜に意地悪するような祖母ではない。
自分の置かれた状況に不安と心配が押し寄せるも、姿が消えてしまった祖母のことも気がかりだ。
来た道順は覚えている。
帰ってみよう、と思ったけれど、陽菜はススキの原を振り返った。
(任されたお仕事だから、摘んで帰らなきゃ……)
陽菜はススキの中に分け入り、ひと束掴むと引き抜くために力を込める。
「ん〜っ! あれ?」
まったく全然ビクともしない。固く根が張っていて、うんともすんとも言わないのだ。
「どうしよう」
そういえば、祖母は花を活けるときに使うハサミをエプロンのポケットに入れていた。たしかに、この固さでは、ハサミが無ければ歯が立たない。
ススキの幹を一本掴み、グチャグチャと動かして繊維を壊していく。ある程度柔らかくなってから雑巾のように捻り続けると、やっとネジ切れた。
(こうやって、一本ずつネジ切っていくしかないかなぁ)
時間がかかるけれど、他に策は思い浮かばない。
やるしかない……と覚悟を決めて、陽菜の手でひと掴みになる量に達した頃は、夜の帳が降りきっていた。
こんな田んぼばかりのところには街灯も無く、頼りになるのは、ほんのりと輝き始めた今日の主役だけ。ほぼ真ん丸に見える月は、少しも雲に隠れていない。
「ねぇ、お月様。おばあちゃん、どこに行っちゃったのかな?」
答えが返ってくるわけもなく、ところどころ擦り切れ、土に汚れている手に目を向けた。擦り切れた部分から、ジンジンと痛みが伝わってくる。
痛くて、怖くて、寂しい。
涙がポロポロとこぼれてくる。涙を手の甲で何度も拭うも、止まる気配が無い。
嗚咽が漏れ、本格的に泣き始めてしまった。
「あぁ〜ん! おかあさーん! あぁー〜んっ」
その場にしゃがみ込み、声の限り泣きわめく。泣いても叫んでも、民家が無いから誰も来てくれない。
それでも陽菜は泣き続けた。
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
鈴を転がしたような可愛らしい声が、陽菜の頭上から降ってくる。
誰だろう……と疑問に思うけれど、スイッチが入っていて、すぐに涙は止められない。
あーんあーんと泣いたまま、誰か確認するべく顔を上げる。
目の前には、白くて長いウサギの耳をした、赤い瞳の女の子が小首を傾げていた。
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