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屋敷へと帰る馬車の中、私は向かいに座る父の無言の圧力に晒されていた。エグモント王子のせいで勇者の名乗りを上げる羽目になり、婚約について有耶無耶になったのは良かったのだが。何と説明すればいいものか。
父は宰相として辣腕を振るうだけあって、情報を精査するのが得意だし、交渉事にも長けている。そんな父の追求を躱し切る自信など無い。
何処まで話して良いかも分からぬ内に屋敷に到着してしまい、馬車を降りてすぐに父に手を取られ、逃げ出すことも叶わなかった。いつもは入ることも禁じられている執務室に直行し、否応なくソファに座らされる。ドアの鍵を閉めた父がにこにこニコニコ迫ってきた。恐怖に駆られた私の脳裏にカミュ様の端正なお顔が浮び、思わず心の中で叫んだ。
カミュ様、助けてください!
かくして神が降臨された。だけど、なんで私とソファの間なんて場所に降臨されたのだろう。なんで当たり前のように私を膝に乗せ、抱っこしているのだろう。
突然現れた見知らぬ男に、父が目を白黒させている。それでも大事な娘を取り返そうと手を延ばす父の動きが、不自然に止まった。
「落ち着け、我は異界の神である。其方の娘ベアトリスとの馴れ初めを、話しに来た」
「カミュ様、それだと私とカミュ様がお付き合いしているように聞こえます」
父は神の力で身動きを封じられているのだろう。何か言おうとしているようだが、口がほとんど開いていない。必死の形相で手足を動かそうとする父を安心させようと、私はカミュ様がいかに素敵な神様か話して聞かせた。
私がカミュ様を誉めれば誉めるほど、父の目つきが険しくなってゆくのは何故だ。
困惑する私に代わって、カミュ様が説明を引き受けてくれる。私では何が禁忌に触れるか分からないから助かった。
「──と、言う訳だ」
「ありがとうございます、カミュ様。お越し頂いただけでなく、父とお話までしてくださって」
「なに、其方の親にはいずれ挨拶に来ねばと思っていた。丁度良い機会だ」
なんて律儀な神様だ。
「ね、お父様。とても良い神様でしょ」
「ウゥゥ〜〜!」
「そうか、動きを封じておったな」
神の力を解かれた父は、開口一番こう叫んだ。
「娘は嫁にやらん!」
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私の勇者認定は、あれこれと言い訳をつけて先送りにされた。エグモント王子と私がもう少し成長してから、どちらが勇者か決めたいのだそうだ。別に両方勇者で良いじゃないかと思うのだが、複雑な大人の事情とやらがあるらしい。
私はこっそり勇者業をやる必要がなくなったので、毎日堂々と魔物狩りに出掛けている。初めのうちは危ないからと両親に反対されていたが、私の規格外の強さを目の当たりにしてからは何も言われなくなった。私一人ならそこらの雑魚に遅れを取ることは無い。
問題なのは、何故か私に付きまとうようになったエグモント王子だ。剣も魔法もからっきしのくせに、私の魔物狩りに同行しようとする。一応護衛騎士が付いてはいるが、まるで言うことを聞かず、勝手な行動をしては魔物に殺されかけている。それを助けてやるのが面倒で仕方ない。
「エグモント殿下、付いて来るのはせめて初級魔法がきちんと使えるようになってからにして下さい」
「だったらお前が教えろ!」
「王宮には高名な魔導師がいらっしゃるではありませんか」
遠回しにお断りしたが、だったら勝負しろと毎日のように公爵家にやって来る。暇なのか?暇なら暇で、今までみたいに女の子を追い掛けてればいいのに。
「其方を気に入って、追い回しているのだ」
心の声に答えるのは、こちらも毎晩ウチに来るようになったカミュ様だ。エグモント王子は迷惑だがカミュ様は大歓迎だ。
「あの王子が私を気に入るなんて、有り得ません。嫌がらせです」
「そうか」
「そうです。だいたい、今更気に入られても困ります」
私はもう、エグモント王子と仲良くする気が無い。私がカミュ様から授かった勇者の力は、エグモント王子のものと違って、聖女の愛など不要だ。私さえ努力して勇者の力を使いこなせるようになれば、魔王を封印出来るのだ。嫌いな相手を当てにしなくて良いのだ、なんて素晴らしい。
「其方は王子が嫌いなのだな」
「当然です。あれだけ裏切られて、蔑ろにされて、嫌いにならないはずがないです」
カミュ様は、私の答えに満足そうに目を細める。同じようなやり取りを、もう何度カミュ様と交しただろう。そして、私がエグモント王子の愚痴を吐き出し切ると、カミュ様は決まって私を手招いて、膝の上に乗せるのだ。
まだ六歳の私の身体は、カミュ様にすっぽりと包まれる。こうやって密着すると、カミュ様の神気が私に移り、加護が強固になるのだそうだ。
カミュ様の神気は温かく柔らかで心地よく、私は今日も、いつの間にか眠ってしまった。