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あ、危なかった、ぎりぎりセーフ。
気がつくと、私は何も無い空間でダラダラ冷や汗をかいていた。断頭台にいた時よりも汗の量が凄い。だが、なんとか神の名を唱えるのは間に合ったようだ。
『無事こちらに来られたようだな』
頭の中で先程の低い声がする。見回すと、背後に白髪に赤い瞳の男が立っていた。年齢不詳だが整った顔で、ゆったりとした紫紺の服には銀の縁取りがある。この方が異世界の神だろうか。
『そうだ』
よく響く穏やかな声だ。声も見た目もとても好みだ。
『我の外見は見る者によって異なる。その者が神らしいと思う姿に見えるのだ。其方には神は美形だとの認識があるのだろう』
そう言われれば、創造の女神も美人だった。あれも私が女神は美人だろうと思っているからなのか。
『いや、あの女神は自分が美しく見えるよう、見る者の認識を操っているのだ。そんな所ばかり気にするから駄女神なのだ』
そうなのか、ふーん。
「って、さっきから私の考えてることにお返事されてませんか?」
『我は神だ、人の子の考えを読むくらい可能だ』
「恥ずかしいので止めて頂けませんか?」
「む、そうか、すまぬ」
頭の中でなく、耳から神様の声が聞こえる。神様に謝らせてしまった。申し訳無いと同時に、なんていい人、いや良い神様だと感激する。女神には駄目出しばかりされていた。この神様は神格者なのだろう。
私は膝をつき、両手を胸の前で交差させ、頭を垂れた。異世界の作法は分からないので、私の世界での最上級の敬意を表す仕草だ。
「改めまして、私の呼び掛けにお応え下さり、感謝申し上げます」
「ああ、そんなに畏まらずともよい。楽にせよ」
言いながら神様が腕を振るうと、何も無かった空間にテーブルセットが出現した。飲み物や果物まである。神様は身振りで私に座るよう促すと、自身も席に着いた。
こうして始まったお茶会で、私は神様から、何故私が人生を何度も繰り返す羽目に陥ったのか、教えて頂いたのだが。要約すると、全部あの女神のせいだった。
私が最初に誕生する少し前、私達の世界に魔王が生まれた。それを察知した女神は、魔王を封印する勇者となるよう、まだ王妃のお腹の中にいたエグモント王子に特別な力を授けた。だが、王子が一歳にもならないうちに、女神は気づいた。勇者の力だけでは魔王に太刀打ち出来そうにないと。
慌てた女神は、勇者の力を増幅できる聖女も創ることにした。だが、最も適した器と見定めた公爵家の胎児──つまり私の魂は、エグモント王子との相性が良くない。だから器だけ活用して、魂を入れ替えることにした。
だが世界中を探しても、エグモント王子と相性の良い魂が見つからない。困った女神は、異世界から魂を拐って来ることにした。これは禁忌事項らしいが、緊急事態だから仕方ないよねーと勝手に解釈した女神は、白髪赤眼の神様の世界にこっそり忍び込み、丁度いい魂を拉致しようとする。だが神様に見つかり、焦った女神は術を失敗し、聖女になるはずだった魂を消滅させてしまったのだ。
「最悪ですね」
「そうだな。他神の世界に介入するという禁忌を犯した挙句、罪のない魂を消滅させたのだからな。本来なら大神の裁きが下るところだが、魂が消滅したため証拠も無くてな」
口八丁で言い逃れたそうだ。
監視が付けられ、余所から魂を誘拐出来なくなった女神は、仕方なく聖女の器をそのまま使うことにした。魂の相性は悪くとも、聖女としての力は備えているのだから何とかなるだろうと。だが結果はご覧の通り。百回繰り返しても勇者と聖女の仲は険悪なまま、協力体制すら敷かれなかった。
「何というか、腑に落ちました。私がいくら努力して歩み寄っても、元々の相性が良くないのだから王子と仲良くなれる訳がなかったのですね」
「そうだな。その上駄女神が、余計な制約を付けたせいで」
恋愛至上主義の駄女神は、聖女の力が覚醒する条件として勇者の愛を設定したらしい。世界が滅びるかという緊急時に、そんな余計な事するな。その方がロマンチックだからって?ロマンなんぞクソ食らえだ。
百回の人生で散々な目に逢ってきた私は、恋愛事に拒絶反応が起きるようになっていた。
「それで、其方はこれから如何する」
「王子と女神に関わらずに済むのなら、何でも良いのですが。この世界にいる限り、難しいですよね」
百回の人生のうち数十回は、行方をくらませたり死を偽装したりした事もある。だが必ず女神に見つかって、御告げという名の告げ口で神殿に伝えられ、連れ戻されてきた。
「良ければ我の世界に来るか」
「えっ、良いんですか?他の世界に介入するのは禁忌なのでは?」
現在進行形で私と話して下さっているのも、禁忌に抵触するギリギリの線だと思う。駄女神がやらかした分だけ、目溢しされているんじゃないかな。
「其方だけならば特例として認められる。駄女神が消滅させた魂と釣り合いが取れるよう、一人だけなら我の世界に渡ることが可能だ」
「そうなのですか。でも……」
有り難い話だ。だけど。
「気が進まぬか?」
「いえ、今すぐ連れて行って頂きたいくらいです。でも、私が居なくなると、この世界はどうなるのだろうかと。家族や友人を見捨てるようで」
「其方は死んだのだ。己の死後のことにまで、責任を持つことはない」
「仰るとおりなのですが……」
決断出来ずにいる私を、神様は面白そうに眺めていた。暫く私を眺めつつ、左手の指先を光らせて、空中に花のような模様を描いていた神様。出来上がった模様を私の方に押し出して、にっこりと微笑む。
「では、こうしては如何だろう」
神様からの提案に、私は感謝し、淡く光る花模様に手を延ばした。