表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/240

Catch9 2回目の過ち

受験生が殆んど学ばない近現代史

 今に繋がるヨーロッパの「近代」はフランスとドイツが鍵となって動いてきました。そのドイツの近現代は激動の歴史です。


 神聖ローマ帝国の下に300近い都市国家がひしめいていた「ドイツ語文化圏」が、ハプスブルク家の治めるオーストリアを除いて“統一”されたのは19世紀後半の事です。


 ビスマルク率いるプロイセン王国が経済同盟や軍事同盟を近隣の小国家群と結んで強国フランスと対抗出来る勢力を作り上げ、仕上げにフランス帝国(ナポレオンの甥が皇帝になっていた第二帝政期)をプロイセン=フランス戦争(普仏戦争)で木っ端微塵に打ち破りベルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言しました(1871年)。


 ナポレオン戦争の以前からプロイセンは国力に似合わない強力な軍事力を整備した「軍事」に傾斜した国として知られていました。ドイツの統一がプロイセンの軍事力を軸に達成されたのは自然な成り行きでしょう。


 ドイツはこのプロイセンが中心となり、国王家ホ-エンツォレルン家が新生ドイツ帝国の皇帝を務める事になるのですが、新興の軍事大国としてイギリスやフランスといった既存の大国の間に割って入り、大小様々な事件を起こしつつ果敢に植民地獲得競争に討って出ます。


 そしてアフリカや中国、或いは南太平洋などに遅ればせながら勢力を築いた所で第一次世界大戦に突入しました。


 軍事力・経済力がほぼ互角の大国同士が巨大な軍事ブロックを作ってにらみ合い、結果的に戦争を思い止まる「抑止力」政策だと当時は考えられていたのですが、国内に多くの少数民族の独立問題を抱えるオーストリアで皇太子の暗殺事件が起こり、背後に控えていた大国が連鎖反応的に互いに宣戦布告をし合ってヨーロッパの中心部が当時最強の軍事力の衝突する修羅場と化した訳です。


 戦火はフランス北部や東部を廃墟に変え、一時はパリにドイツ軍の超長距離砲の砲弾が撃ち込まれるなど特にフランスに甚大な物理的被害を及ぼしました。


 戦後処理にあたって、戦勝国、特にフランスがドイツに対して100年掛けても支払う事が不可能な巨額の賠償金を負わせ、その反動から14年後にはドイツにナチス政権が誕生します。


 ナチスは「ただ1度の敗戦で民族の誇りを失うな」と訴え、帝政時代を上回る軍事国家の建設に邁進しました。


 “力ずくで物事を解決する”というやり方を“間違いだった”と認めず、「次は負けない戦争をやる」という方向で“やり直し”をはかった訳です。


 そして日本・イタリアと軍事同盟を結んで第一次世界大戦とは比べ物にならない被害をヨーロッパとアジアは受ける事になる訳ですが。



 ここで考えて貰いたいのは「今」に繋がる歴史の大まかな流れです。第二次世界大戦後の戦後処理は、第二次世界大戦に至った先の大戦後の失敗を承けて敗戦国はもちろんですが戦勝国側にも大きな反省と修正をもたらしました。


 国連に軍事力を含む調停機能を与え、強制力を持つ「国際的な話し合いの場」を中心に国家間の問題を処理していこうという方向を(道半ばながら)歩んでいるのはその最大の表れでしょう。


 戦後の責任問題の対処の仕方についてしばしば比較されている日独両国ですが、現在に至るまでその歩みは対照的な物になっています。


 戦争責任をくどい程認め、謝罪を繰り返し続けて再びヨーロッパ社会と国際政治の中心国に返り咲いた戦後のドイツと、歴代保守政権が肝心な所で戦争責任を認める事を回避し続け、未だに近隣諸国から不信感を持たれている我が国と。


 同じく第二次世界大戦の敗戦国であっても、1945年の敗戦はドイツにとって「2回目の過ち」だったという事です。「挫折」と言ってもいいでしょう。


 ドイツにとって「2回目」は言い訳のしようも無い物になりました。「1回目」とは違いドイツ国内も戦場となり、軍事的に完敗した上に「ユダヤ人絶滅計画」などのおぞましい行状が暴かれ、最高責任者たる「民族の指導者」ヒトラーは何1つ責任を取らないまま自殺して果てました。


 1度目の失敗を本当の意味で反省せず、軍事に傾斜した国の運営が、1度目の過ちをなぞる様に2度目の破滅をもたらした事実を、戦後のドイツ人は自身で体験したのです。


 「不都合な事実」と向き合わず歪みを拡大しても最終的には破綻する、過ちを更なる過ちで上書きしても被害が倍になって返って来るという経験を経て、今のドイツは在ります。




 近代になってからの日本は第二次世界大戦で初めての挫折を味わいました。そして一足跳びに「2回目後」を歩むドイツの在り方に倣っている様には思えない現状を考えると、もしかして今の日本は「1回目」と「2回目」の間にいるのではないだろうかと不吉な発想が浮かんできます。


 1945年のドイツ(2回目)と日本(1回目)はベルリンや東京が焼け野原になっただけで済みましたが、日本が「2回目」を経験するとしたら、今度は放射能の焼け野原が待っているんですよ?

ミャンマーで起きたクーデターや各国のコロナ対応を見ていると、不都合な事実と向き合うという事は余程に理性と知性(特に先見性)を働かせなければならない以上、人類には少し荷が重いのでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ