Catch87 優先順位
私の生まれ育った辺りでは政治と宗教の話は食事時にしないという人が多かったようです。食事時には読まないで下さい。
私はチータこと水前寺清子さんが大好きです。もし自分が死んで「送る会」みたいな事をやる場合は『三百六十五歩のマーチ』をかけてくれる様に家族に頼んでいるくらい。『神様の恋人』や『大勝負』でもいいですけど。
以前、週刊誌巻頭の写真がメインのページでこの大好きな水前寺清子さんが私とは違う価値観の政党が開いたパーティーに出席 (出演?)していたという記事が載った事がありました。
別に私はそれで水前寺さんを嫌いになったりはしませんでした。おかしいですかねぇ?
安倍元首相が色々カンチガイを拗らせて心ある人たちの眉をひそめさせていた頃、日本を代表するとあるミュージシャンが安倍氏を「いい人」「私は好き」という趣旨の発言をして、このミュージシャンの大ファンだったらしい大学講師が「夭折 (若死)すればこんな恥を晒さずに済んだのに、がっかりだ」とツイートして批判を浴びた事がありましたよね。
この大学講師の方は白井聡さんと言い、自民党と日米軍事同盟体制がなぜ数多くの不利益を一般の日本国民にもたらしながらも延々と続いているのかを解き明かした『永続敗戦論』という近年稀に見る硬派な保守政治を批判する研究を発表した若手の社会学者です。
自分が入れ揚げていた芸術家が自分とは違う価値観を持っていた事にがっかりしての軽挙だったのかも知れませんが、そこは社会人として抑えなきゃダメでしょう。
自分と違う見解を芸能人や有名人が発言する度に、自分より遥かに影響力の大きいそうした人たちが述べる事が余程癪に触るのか、ネットなどで十把一絡げに罵倒批判怒り嘆きごまめの歯ぎしりをぶちまけている方がいますけど、その心境がよく分からないのです。
ピカソがフランス共産党に加わった後で、彼の描く作品が「ブルジョア的だ」と批判された事があったそうです。
共産主義は資本主義の下で不利益を被る貧困層・プロレタリアの為の政治運動なので“矛盾しているじゃないか”と批判者は思ったのでしょう。
ピカソ先生は「靴屋が党員になったら“プロレタリア風”に靴を作らなければならないのかね?」と返事をしたとか。政治に気を取られ過ぎてバランス感覚を失くした人が忘れてしまった事を、忘れていない“大人”がユーモアで諭してみせたのでしょう。
ピカソ自身の政治信条が如何なる物だったのかは代表作『ゲルニカ』が何故描かれ何を訴えているのかを考えれば明白です。
政治や宗教といった価値観に結び付きやすい物に接する時の優先順位がどうも間違っているのでは。
私の中では「水前寺清子さんの歌が好き」というのは「彼女が自分とは違う政党を支持している」という事よりも強かったのです。価値観が違う事から来る嫌悪・がっかりよりも優先順位が上でした。
そういう事なのでしょう。
「保育園落ちた日本死ね」レベルの下品な言葉を怒りに任せて不用意に発しない“大人”でありたい物です。
とは言うものの異なる価値観を相互に認めあう(賛同ではない)事ですら中々難しいのが現実です。