Catch82 政治音痴
投稿再開です。
日本の歴史上、「英雄」というか「スター」というべきか、時代の節目などに現れ輝きを放って駆け抜けた人物の中に時々「?」と首を傾げたくなる様なアンバランスな人たちがいます。
不思議な事に一般的には“偉人”として非常に高い人気を持つのですが、その多くは後世、主に江戸時代の読本ブームなどで現実から離れて大分“盛られた”物語が大量生産され、それが「歴史的事実」と信じ込まれてしまった結果ではないかと疑っています。
私が首を傾げている「二大アンバランスヒーロー」は九郎判官こと源義経と我が故郷・越後の永久名誉ヒーロー上杉謙信です。
二人とも後世の物語で重ね着させられた嘘を取り除いて見れば、眩暈がする程の“厄介者”でしかありません。しばしば「天才」と評される軍事的才能と、全く釣り合いの取れない政治感覚の欠落を併せ持っていました。
源義経は「物語」では平家打倒に力を尽くし数々の手柄を立てたにも拘らず兄・源頼朝を取り巻く“悪い奴ら”(北条政子とか梶原景時など)に陥れられた悲劇の英雄という事になっています。このストーリーでは頼朝との仲を裂こうと後白河法皇が意図的に義経を優遇し、まんまと頼朝が引っ掛かって義経を憎む様になった、との設定が大体セットになっています。
しか~し、近年の研究では後白河がこうした“権力の中枢に巣くう陰謀ジジイ”で平家も義経も使い捨ての駒にされて破滅した、との見方は見直されています。
義経の破滅は、政治感覚などほぼ持ち合わせていなかった後白河の「お気に入りに報いたい」と政治的な意味も考えず官位を与えてしまった軽率さと、同じく政治感覚が希薄だった九郎が「あざぁ~す!」と貰ってしまった事につきます。
政治面で見れば『源平合戦』とは源氏と平家の勢力争いというより京都の公家政権(権威を天皇家、実務を公家、武力を平家が担当)とその支配を脱しようとする関東武士団の自治を求める戦いでした。
頼朝が厳重に「自分を通さずに朝廷から官位を貰うな」と配下の武士たちを戒めていたのは、自分が関東の武士団を取りまとめる事で公家政権に対向できる権威を造り出す事と、関東の武士たちもそれを望んでいる事を理解していたからです。
義経のやらかした検非違使任官は武士がこれまで通り朝廷・公家に功績を認められて官位を貰う、つまり彼らの権威に従う事を意味し、鎌倉に出来つつあった武士の自治権を揺るがす物でした。
こうなると彼が平家討伐の功労者である事も頼朝の弟である事も悪い意味しか持たなくなります。功労者だからこそ、親族ならばこそ、頼朝の権威を高める為に頼朝を通じてのみ官位に関わるべきだったのです。
もう一人のアンバランス英雄上杉謙信。『catch5 おらが殿様』で触れた様に、新潟では未だに「上杉謙信」と言えば絶大な人気を誇るまごうかたなきスーパーヒーローです。
しかし「史実」をたどると“実はとんでもない政治音痴だったんじゃないか”という疑惑が浮かんで来ます。
物語ではない歴史の事実でまず「は?」と思わせられるのは『大熊朝秀の離反』です。
謙信を理想と義侠心を持つ戦の天才として描く物語では大熊朝秀は「主の理想を理解せず宿敵武田の誘いに乗った不忠の家臣」といった扱いをされる事が多いのですが、この“武田と内通して謙信を裏切った愚か者”は、上杉謙信政権の勘定方、つまり現代で言えば財務大臣にあたる政権の大黒柱の一つだったのです。政権の金庫番が敵の誘いに乗って主を裏切る?
「武田の調略の腕は凄かったんだなぁ」で済む話ではありません。主君として、越後の国主として、金庫番にまで「こいつにまかしておくと大変な事になる」と危機感を持たれる要素が謙信にあったと考える方が自然に思えます。
源義経とは違って謙信はその生涯で政治的な失敗や破滅をしてはいませんが、政治感覚が余り良くなかった気配はそこかしこに感じます。
封建時代には偏諱と言って上位者から名の一部を貰って改名する習慣がありました。
将軍や自分が従う大名から貰うのですが、上杉謙信は初め自分を頼って関東から亡命して来た上杉憲政から一字を貰い「長尾政虎」と名を変えます。その後京都に出掛けて将軍・足利義輝から偏諱され「輝虎」になります。
本人は関東管領より偉い将軍様から名を頂いたのだから越後国内や近隣の諸大名は一層畏れ入るだろうと考えたのかも知れませんが、彼が現実に戦いを繰り広げる東日本では遠い京都の権威より関東の采配権を持つ関東管領の方が占領地の支配にせよ敵方を寝返らせるにせよ効果があったのではないかと思います。
実際にちっとも言うことを聞こうとしない関東勢を従わせる為に、謙信は後に関東管領に就任していますし。
政治センスが無いためにトラブルばかり惹き起こすくせに戦いになれば必ず勝つ。こんな厄介な存在があるでしょうか。
物語としては面白く仕立てられますけれども、現実にははた迷惑な“天才”でしかなかったと思っております。
しばらく週1回ペースで投稿いたします。