Catch80 暗君(type2)
やる気が有り過ぎるのも考え物です。
新潮社などが運営する『日本ファンタジーノベル大賞』はテレビ局がスポンサーだったので「大賞受賞作品を映像化する」という、余り日本らしくない副賞が付いていました。メディアミックスを文学賞側が積極的に取り組んだ早い例でしょう。
第一回 (1989年)の受賞作は酒見賢一さんの長編小説『後宮小説』でした。程なくアニメ『雲のように風のように』としてテレビで放送されました。
中国・明代末期を思わせる「素乾」という架空の王朝を舞台に“何か面白そう”と后候補の一般募集に応じた平民の主人公が、結局「素乾」王朝最後の皇后となってしまい、国が滅びかけている真っ只中で奮闘してゆく中々切ない物語です。
せっかく作者が「素乾」という架空の舞台を設定しているのに、文庫本の紹介文には「明末清初の中国を舞台に」などと元ネタの方を書いてしまっていたりしてずっこけた物でしたが。
さて『後宮小説』のモデルになった明王朝の末期についてはこのエッセイでも『Catch29 億兆離心』で少しだけ触れています。
愚かな皇帝が続き、実務を取り仕切る権力の中枢は気骨のある政治家が煙たがられて失脚、イエスマンしか居なくなったグッズグズの状態です。明が滅亡した後に中国を支配した清王朝がこの時代をまとめた正史『明史』では「滅亡するのが当たり前」と評されています。
最後の皇帝となってしまったのは崇禎帝ですが、はっきり言ってこの人は半ば被害者でした。
女と酒に溺れて急死した兄(天啓帝)の後を継いで17歳で即位すると、兄も含めたバカ皇帝たちのせいで滅びかかった国を立て直そうと必死にもがいて生涯を終えた人です。まぁ立て直しに失敗したから「ラストエンペラー」になった訳ですが。
『後宮小説』の主人公・銀河の夫となった皇帝も17歳でしたが、反乱が広がり即位してすぐに自害します。崇禎帝は一応17年間皇帝として頑張りました。
但し頑張り方が問題でした。潔癖症気味で、賄賂や不正が横行していた政界の浄化を計り、少しでも不正に関わった大臣や官僚を片っ端から馘にしまくります。不正が「例外的な小数の現象」ならばそれで良かったのでしょうが、多少なりと力量のある政治家や官僚で不正と無縁な人などいなかった時代です。次々と責任者が処罰されるので、政策も方向性が保てなくなりました。
行政が弱体化し天災などの危機に適切に対応出来なくなると、食べて行けなくなった人々が難民化し、やがて反乱を起こします。反乱を鎮圧する為に軍を派遣するのですが、士気も規律も低いので各地で敗北します。更に反乱軍のせいにして戦場の付近で略奪や暴行を働くので、反乱軍ではない人たちまで反乱軍側に味方し始める始末。
ごく稀にそんな状況でも配下を纏めて勝利する優秀な将軍がいても妬まれて「反乱軍と通じている」と告げ口されればすぐに失脚して処刑されてしまいます。
「いかん、規律ある精強な軍を作らなければ」と訓練の予算をひねり出す為に増税すると、ギリギリ納税に応じていた貧困層が生活出来なくなって反乱に走る。増税なしで予算を付ける為に公共事業(通信や物流)を縮小すればそこで働いていた人々が失業者になり反乱軍に加わる。
崇禎帝のやる事なす事全てが裏目に出て、転がる様に明の統治能力は落ちて行きました。
万里の長城の北側には後に清朝を作る女真族(満洲族)が勢力を増しており、そちらにも軍を振り向けなければなりません。女真族は告げ口で処刑されそうになった明の将軍を引き抜いたり、寝返らない将軍を逆に協力者に告げ口させて失脚に追い込んだり、着実に明の首都・順天府(今の北京)に迫っていました。
結局、先ほどの公共事業の縮小で反乱に合流した人々が「明に代わる新しい世を作る」という目標を打ち出して民衆の支持を得、政府軍を破って北京を占領した事で明は滅びました。
崇禎帝は歴史上よくいる「政治に興味を持たない」タイプの暗君ではありません。「やる気はあるのに空回りして国を失った」という極めて珍しい型の暗君でした。
彼は民の暮らしよりも自分が受け継いだ国家の支配権の健全化を優先したのだと思います。その結果、規律が緩み切った時代の現実を見る事も、頼りになる人材を見出して信じ続ける事も出来ない“理想主義の世間知らず”で終わってしまいました。
反乱軍に北京が占領された際に大臣たちも全て逃げ散ってしまい、紫禁城の裏山で自害して果てました。崇禎帝の死後、反乱軍は万里の長城を越えて来た女真族の大軍に蹴散らされ、やがて中国全土は女真族に支配される「清朝」の時代となります。
中国ネタをやり始めるとキリがありません。(あれ? この「キリ」ってポルトガル語由来の「ピンからキリまで」のキリ?)