Catch77 反撃の巨人
インドや中国は「一つの国になったヨーロッパ」みたいな物と考えれば実像が掴みやすくなると思っています。
以前、高田馬場に『ラージプート』というとても美味しいカレー屋さんがありました。
経営者のハッサンさんはお店で見るよりも最寄りのパチンコ屋で見掛ける事の方が多い「なんくるないさ~」なパキスタン人でした。奥様 (宮崎弘子さん)は国際結婚苦労話『ラージプートの花嫁』を出版されています。
今問題になっている入国管理事務所(入管)や役所のアジア人に対する態度の悪さなども記されています。「あんた、何でパキスタン人なんかと結婚する気になったの?」婚姻届を出しに来た人間に向かって言う言葉でしょうか。正気とは思えません。
店名の『ラージプート』は前回『王たちの地』で触れたインド北西部に住む中央アジアから侵入して来た古代遊牧騎馬民族の末裔たちであるラージプート族に由来します。ハッサンさんもラージプート族です。
国としては「インド共和国」「バングラデシュ人民共和国」「パキスタン=イスラム共和国」「アフガニスタン=イスラム共和国」に分かれてしまっていますが、イギリスの支配に対して独立闘争を行っていた「インド」とはこの全ての事です。
ラージプート族の住む地域も独立後にインドと西パキスタン(現在のパキスタン)に別れてしまいました。
イギリスは旧植民地を効率よく支配する為に古代ローマの統治術「分断し支配せよ」を実践していて、支配地域の少数派を優遇していました。全体が連帯・団結して反抗する事が無い様にワザと依怙贔屓して多数派と対立する様に仕向けていた訳です。アイルランドやパレスチナも同じ策で分断され、対立は今でも解けないままになっています。
インドが独立直後に東西パキスタンと戦争になったのも、結局はイギリスの統治政策の有り難く無い置き土産のせいでした。
ラージャスターンと呼ばれていたラージプート族の居住地(のインド共和国側)の行政は独立直後から混乱していました。
現在インド共和国ラージャスターン州の首都であるジャイプルや「青の街」として有名なジョードプル、ビーカーネルやウダイプルなどといった美しい都市群は、インドが植民地だった時代には「藩王国」としてそれぞれの領土を大王が統治していた訳ですが、インド共和国へ施政権を委ね「これからはインド共和国の一部としてやって行こう」と協力姿勢を示していたにも拘らず、デリーの新政府は何もしなかったからです。
当たり前ですが、それぞれの都市が小なりと言えども独立国だった時には、警察や裁判所、病院に学校、電信、鉄道、発電所、水道などの社会インフラの全てはマハラジャたちが自分の領土の税収(国費)で整備し、運営をしていました。新政府に統治を委譲した後は、既に整えてある物の運営を引き継いでインド政府にやって貰うだけだった筈なのに、政府の不手際で事実上“放置”されていたのです。
水道が壊れても修理も出来ない、病院の予算が下りて来ないから手術も出来ない、発電所の運営予算がいつまで経っても承認されない、鉄道の運行許可が下りない。権限のある共和国政府に事務手続きのノウハウや実務の人材が無く、ノウハウも人材も持っている現地の元王様たちには権限が無い。ラージャスターンは大混乱に陥りました。
挙げ句の果てに政府が勝手に始めたパキスタンとの戦争を理由に「そんな事をやっている余裕は無い」という回答を受け取るに及んでマハラジャたちはキレました。
元々世界有数の富豪ぞろいだった人たちです。警察や裁判所はともかく、社会インフラの殆んどを「自費で買い戻す」という手段に出たのです。
これまで「藩王国」の物だった社会インフラが独立後にインド共和国の国営になり、(全部がストップしてしまった為に)それを買い戻してマハラジャ所有の私的会社にして運営を再開しました。
更に今後地方行政の混乱や放置が起こらない様に「州政府」と「議会」を立ち上げ地方自治権を確立しました。ケンブリッジやオックスフォードといった名門校に留学していたマハラジャたちは、州議会の議員として発言力を持つ様になりました。今度は鉄道や学校、病院などを運営する大会社のオーナーとして。
インド屈指の観光地ラージャスターン州の元藩王国の首都だった街にはマハラジャ時代の宮殿や離宮が多く残されています。博物館として公開されている物が多いのですが、中にはジョードプル王家の旧王宮の様にホテルとして宿泊できる物もあります。世界中が感染症に振り回されて海外旅行などは当分難しいと思いますが、訪れる機会がありましたら「大王の反撃」の歴史に思いを馳せて見て下さい。
不可触民と呼ばれる被差別層(ラージャスターンでは“ハリジャン”)の存在や激しい女性差別など根深い問題は有りますが、インドは巨大な魅力を持つ国だと思います。