Catch69 やねせん
根岸の子規庵はまさかのラ○ホ街に在りました。昔は赤線地域で家賃が安かったのでしょう。
“やねせん”と呼ばれる地域が東京にあります。
「下町」と言われがちですが、地域的には山の手の一番端辺りで、地域名の“下町”ではなく「庶民の街」という意味で“下町”なのかな、と思っています。
“やねせん”は漢字で書くと「谷根千」で谷中・根津・千駄木の事です。場所はJR山手線鶯谷駅の西側、山手線を時計の文字盤に例えると「2時」と「3時」の間の内側辺りになります。高田馬場に住んでいる私から見ると丁度“反対側”(高田馬場は「9時」と「10時」の間)になるので、あまり縁の無い地域でした。
実は私は「谷根千」の「根」を正岡子規が住んでいた「根岸」と勘違いしていまして、実際根岸は谷中と山手線を挟んですぐ東側にあり、土地勘の無い者には非常に紛らわしい。この勘違いで意外な発見をする事が出来ました。
以前、根津に行ったついでに「子規庵(正岡子規旧居)がこの辺だったはず」と思い込んで鶯谷まで歩き、さらに子規庵を見学した後で日暮里まで歩き、せっかくだからと「谷中銀座」を見たくなって「夕日だんだん」から谷中銀座に抜けて千駄木駅(出発点の根津駅の隣)に戻るという、大散歩をやらかしました。同行していた家族のスマホ万歩計に依れば13000歩。
発見その1
根津は噂通り雰囲気の良い喫茶店が多い。コーヒーが美味しくて感じのいいお店が、小さく営みを続けているように見受けられました。高田馬場も私が暮らし始めた頃はそこかしこに趣のある喫茶店や飲食店があったものでしたが、残念なことに随分と少なくなってしまいました。
発見その2
「根岸」は谷根千ではない。隣り合っていても根岸ははっきり「下町」側でした。「夕日だんだん」はその名の通り西側に向かって下がってゆく東京では珍しい地形です。山手線の東側は線路を挟んで西側(山手線の内側)が高台で、東に向かって墨田川や荒川までぺったぺたの低地が続きます。「下町」というより地形的には「山の手」の端っこじゃないですか。
発見その3
意外と近い。「谷中銀座にまた行ってみたいなぁ」と思って頭の中でルートを思い描いてみたら日暮里駅まで山手線に乗って行き、北口(谷中口)から出ればいいだけだと気が付きました。これなら馬場から30分で谷中銀座に到着です。
高田馬場のお隣、早稲田には子規の友人の代表格、夏目漱石の「漱石山房(再建整備)」があります。「やねせん大散歩」の翌週に家族と出かけてみたのですが、こちらはこちらで面白うございました。そのうちレポートを書こうかと思います。すっかり明治文学にひたった贅沢な時間でした。
コロナが収まったらまた谷中にコーヒーを飲みに行こうかな。
漱石山房にもカフェが在りました。何か見た事のあるおっさんがいるなあ、と思ったら新宿区長が何かの取材を受けている所でした。