Catch62 ハリウッド作品
どこか1国がリードして子分がそれに付いて行くという“力任せ”の政治から共存共栄と相互尊重、SDG,sへと価値観が変わりつつあるというのに。
二十歳前後の人にはすでに無い感覚なのだろうな、と思っているのですが、アメリカに対して"あこがれ"って有りますか?
近年のトランプ政権の登場と、4年に渡る錯乱(4年で済んで本当に良かったと思います)は凋落するアメリカの象徴でした。
私の知り合いはそれこそ二十歳前後の頃、ドコカでナニカ変な影響を受けたのか「私には夢がある」と語り出した時期がありました。
「I have a dream」
キング牧師じゃあるまいし。
そもそも「私には夢がある」って、余程に親しい仲でもなければ鬱陶しいだけなんですが、その方の言い方が、何となくではありますが「夢を持つ人間は価値がある」「夢を実現するには誰もが協力してくれる」っていうニュアンスを含んで聞こえてですね、さらにはホントのトコでは自分に自信も無く価値があるとも感じて無くて、それを一発逆転! したくて夢持ちアピールし始めたのかな? と思えてしょうがなかったのです。
その夢というのが「アメリカで就職する」でした。全く具体的ではないアメリカ就職計画を聞かされながら、既に現在問題が深刻化している銃社会である事や人種差別の凄まじさを知っていた故に「アメリカってそんなに住みたいトコかなぁ??」と頭の中ではてなマークがどんどん増えていったのを覚えています。
先日、実に久し振りに村上春樹さんの『村上朝日堂』というエッセイを読み返し、巻末の安西水丸画伯との対談で「青学の子たちは就職だの“現実的”傾向が強い」みたいな意見を話しているのを見つけ、「そう言えばあのI have a dreamも青学だったなぁ」と思い出しました。
さて、ここ20年ばかりのアメリカ映画を見ておりますと、「アメリカってよっぽど自信が無いのかな」あるいは「自信を取り戻したいのだろうな」と思ってしまいます。
たま―に「マディソン郡」だの「セックスアンドザシティ」だの個人の人生に目を向けた物や、「不都合な真実」「華氏911」などの様に社会が直面している問題を提起する作品も来ておりますが、大多数は「悪いヤツをやっつけて平和を守るアメリカ」。
敵は宇宙人だったりテロリストだったり大規模災害だったりしますけど、要は「ボクが地球を守るんだ!」ですよね。
アメリカには「救世主症候群」なるものがあるそうですが、これはあらゆる問題解決に自分が関りうる、関われば解決可能と思い込む「世界をリードしていた国の有権者」ならではの心理状態だそうです。そのまま現在大量生産されている内容の薄い作品群の製作動機として説明がつきそうな代物です。
そして必要も無い派手なアクションシーンが繰り広げられます。「ドーン!」とか「ガーン!」とか何とかの1つ覚えみたいに心臓に良くなさそうな映像音響のオンパレード。『シャーロック・ホームズ』や『オリエント急行』で頭脳派探偵の代表格たるシャーロック=ホームズ及びエルキュール=ポアロが自ら格闘する意味が有るのでしょうか。
現実がどんどんそうではなくなっているのに、あるいはそれだからこそ「ボクたちが地球の平和を守ってるんだ!!」って実感を求めるのでしょうか。どちらにしてもそんなアメリカの社会心理に起因する自己満足作品 (自己慰め作品?)にアメリカ以外の国に住む人間が付き合わされなければならない理由はありません。
アメリカ映画が薄っぺらくなって行くのは往年のアメリカ映画を観てあこがれた者の一人としては寂しい限りなのですが・・。
ここ1~2年「白人男性」以外の目線で作られた作品が高い評価を受けています。少しは見たいと思う映画が増えて来ました。