Catch60 新宿に残る史跡
先日、新宿駅に滝があるのを見つけて仰け反りそうになりました。長年住んでいても街が大き過ぎて知らない事も沢山あるのでしょう。
新宿はその名の通り「新しい宿場」です。江戸城の「裏口」(これについては“目眩まし”で実はこちらこそ「表口」なんじゃないかという説があります)から延びる甲州街道の最初の宿場町でした。
江戸時代の初めに幕府が整備した「五街道」の宿場は“公的資金”でインフラ整備された物がほとんどですが、新宿は街道の利用量が増えた事で町人から発起された変わり種の宿場です。幕府の許可が下りて「内藤新宿」となりますが、政治のさじ加減に振り回され続け、廃止と復活を繰り返します。
半蔵門から始まる甲州街道は、内堀から外堀の間を走り(麹町や番町、紀尾井町の辺り)四谷見附で外堀を越えて江戸城の外、「御府内」と呼ばれた江戸市中に出ます。
四谷見附は今のJR四谷駅です。新宿御苑の東端に甲州街道と外苑西通りの交差点がありますけど、この辺りまでが「江戸市中」、「御府内」でした。
この交差点が丁度甲州街道と新宿通りが合流する「五差路」になっている為に、四谷方面から新宿方向に移動しようとすると、歩きや自転車でエライ目に逢います。信号を幾つも越えなければならないのです。最低2つ、運が悪いと3つ。
今この交差点の南西側に新宿区役所四谷分庁舎が建っているのですが、実は分庁舎と新宿御苑の間に信号をショートカット出来るワープみたいな通路がある事はあまり知られていません。運がよければ1度も引っ掛からずに済みます。
この通路、四谷側から入ると「コの字」にクランクしていてとても通りにくい作りになっています。入ってすぐに土手があり、これを迂回しなければなりません。この邪魔くさい土手こそかつて「御府内」と「武蔵国」を分けていた仕切りでした。通路から街道よりの部分は削られてしまいましたが、この土手は甲州街道の際まで延びていました。丁度四谷分庁舎の「新宿通り」沿いの辺りです。
甲州街道に「大木戸」(夜には閉じられて出入り禁止でした)があってそこから西が内藤新宿、武蔵国。木戸から先は「江戸」ではなかったのです。
今ではさらに先に行ったJR新宿駅近辺こそ賑わいの中心になってしまっていることを考えると、「内藤新宿」はあまり便の良い宿場ではなかったのかもしれません。玉川上水が細々と流れる横に甲州街道が通っていただけの武蔵野の雰囲気は、新宿御苑の北側にある散策路に入ると味わえます。散策ロに沿って玉川上水が復元されていますから。
コロナ禍で気ままに出かけることも難しいかとは思いますが、機会があれば訪れてみてください。
新宿駅の滝は西口の地下へ自動車が出入りするループの地下1階部分にあります。自動車でこのスロープを通った事が無く今まで気が付きませんでした。