Catch58 何か違う
原子力を扱うには人類の技術力が未だ不足しています。ファシズムを抑え込むには理性が不足しております。
やったのかやってないのか、盛ったのか盛ってないのか。何かと問題になる南京大虐殺事件。事件その物の実在を疑問視する人も未だにいる厄介な物です。更に南京を占領した日本軍による大規模な殺害があったとして、被害の規模がどれだけの物だったのかがまた論争になっています。
交戦中だった日中両国の政治・軍事責任者による信頼の置ける記録が無いからです。
少なく見積もる人は6万人前後、多く言う人は30万人以上とエライ違い。現在南京にある虐殺記念館(中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」という長ったらしい物になっています)では中国政府の公式見解を反映して「約30万人」とされています。“否定派”や“矮小派”の人たちが展示や主張の矛盾を検証し、日中戦争中に当時の中華民国側が反日感情を煽る為に作成・頒布したデマ写真なども大量に混じっている事を突き止めました。
「何でもいいから兎に角日本が悪い事をやったんだ」「被害の数字は少しでも大きく主張しておこう」という中国側の“スケベエ根性”が展示の信憑性を下げてしまっている残念な例です。
戦争中に惹き起こされる残虐行為は勿論許される事ではありませんが、これではいつまで経っても「本当に何があったのか」を科学的に明らかにして反省なり謝罪や賠償、和解といった「次の段階」に進む事が出来ないではありませんか。
それはさておき (←置くのかい)ユネスコが指定する“世界遺産”には文化価値の高い史跡や自然に並んで「負の遺産」とされている物が幾つかあります。アウシュヴィッツ強制収容所や広島の原爆ドームはホロコーストと核兵器の惨劇を後世に伝える意義を持つとされ、世界遺産に登録されました。南京事件の資料 (含偽造品)を世界記憶遺産にしようとする働きかけが主に中国で有りまして、余り上手く行っていないようです。
この運動を知った時、アウシュヴィッツや原爆とは何か違う、同列に扱う物なのだろうか?と違和を覚えました。
南京事件は言うなれば戦時の「頭に血が上った状態」で起きた大量殺害行為で、本能や衝動を司る“右脳的”事象でした。
特定の民族を絶滅させようと予算を投入して大規模な施設を建設し、効率よく殺して焼却する為に最新の毒ガスや高性能の炉を開発して稼働させ続ける。或いは第二次世界大戦に至る当時の日本の国家予算の20年分にあたる膨大な資金を注ぎ込んで一瞬で20万人を焼き尽くす大量破壊兵器を開発し、実際に人々が暮らす都市に投下する。
アウシュヴィッツや原爆投下という、時間や予算・科学技術を必要とする“左脳的”行為、言わば「理性」に基づいて実行された大量殺害行為を同列に扱っていい物ではないでしょう。
実行する人々に対して、生物としておぞましさを感じます。無人兵器やクラスター爆弾などを開発している輩に感じる物と同質の嫌悪感です。
南京事件は日本の敗戦後に極東軍事裁判で「人道に対する罪」なる事件発生時には存在しなかった法律で断罪されました(もちろん不遡及の原則に反した違法判決です)。そんなインチキ裁判で罪を問うなら核兵器の開発と使用の方が余程“人道に対する罪”だと思うのです。
フルでエネルギーを解放してそれを封じ込めるだけの強度を持つ素材が開発されていないのに核物質を燃料に発電するという発想がそもそも理解出来ません。
自然科学上の問題だけではなく、ファシズム問題に通じる社会科学上の“人類の力量不足”なのかも知れません。