Catch52 フロンドの乱
久しぶりにフランスの話題です。
フランス絶対王制を盤石な物にし、強大な国力を存分に振り回して周辺諸国と多くの戦争を繰り広げたルイ14世。在位期間が長すぎて晩年は「老害」の見本みたいになってしまいましたけど、“ザッツ キング オブ キング”と言いたくなるような華麗な生涯を送った方です。
パリ郊外に壮大なヴェルサイユ宮殿を造り、「ロココ文化」と呼ばれる貴族中心の宮廷文化を生み出しました。
彼の父親、ルイ13世は日本では「三銃士に出て来る王様」程度の認識ですが、この父親が若死にしたせいで、ルイ14世は5才で即位します。脇を固めるのは『三銃士』では敵役だった宰相リシュリュ-の政治的後継者マザランと王太后アンヌ=ドートリッシュ。ダルタニアンにロンドンまで行って首飾りを取って来てもらったあの「王妃さま」です。
当時のフランスは、ようやく国王の権力が他の貴族たちから頭1つ抜け出し始めた、絶対王制への過渡期だったのですが、中世以来の貴族たちの権力もまだまだ根強く残った状態でした。国政を預かるマザランとアンヌ王太后は、最優先の課題である前代から続くドイツの30年戦争の処理に当たって、貴族勢力と新興の市民層への対処を誤ってしまいます。
莫大な戦費を増税で賄おうと考えた宮廷に対して、下級貴族と新興富裕市民が占めていたパリの高等法院(臨時税の許認可権を持っていました)が「不許可」の判決を下したのです。宮廷側は急進的な判事を逮捕する強硬策に出て、パリを中心に激怒した市民と下級貴族が蜂起、『高等法院のフロンド』が勃発します。
まだ10才くらいだったルイ14世は、母后アンヌに連れられてフランス全土を逃げ回る羽目になりました。「フロンド」とは反乱軍が使った投石道具の事らしいです。マザランが亡命したり、戻ってきたり、大貴族が国王側に付いたり、裏切ったり、目まぐるしい展開の後に、一旦は国王側の勝利と和解(“鎮圧”までは行かなかったんですね)に持ち込んだのですが。
よせばいいのに数年後に、残党狩りのように『高等法院のフロンド』に関わった旧反乱軍関係者の内、幾人かの貴族が処罰されて、今度は王家に反感を抱く貴族たちがまとめて蜂起し『貴族のフロンド』が始まります。
ルイ少年はまたもやフランス中を逃げ回る事に。一時大きな勢力に膨れ上がった反乱軍は内部の利害調整に失敗して分裂・崩壊し、混乱状態の終息を望んだ各階層の支持を得た王家がパリに戻って“取り敢えず”ブルボン家による王政が続く事になりました。
母后の摂政から国王親政に移行した後、ルイ14世はひたすら貴族の権力を削り、国王の優越を確保する様に努めていきます。パリからヴェルサイユに王宮を移したのも、『フロンドの乱』の記憶でパリを嫌ったせいだと言われています。
この人も考え様によっては名君というよりは暗君なのかも知れません。