Catch43 夢
無知では無くなったから見る事が出来る夢も有ると思います。
1990年代以降に生まれ育った“バブルを知らない世代”は未来に「夢」を持っているのかなぁと疑問に思う事があります。高度経済成長期の後半には無知故に壮大な夢が大真面目に語られていた事を覚えているからです。
1968年に発表されたキューブリック監督のSF映画『2001年宇宙の旅』では人類は既に月面に居住地を設け木星の探索プロジェクトに取り掛かっています。実際に人類が月面に調査隊を送り込んだのが1969年7月で、1900年にアムンゼンとスコットが南極点への到達競争をしていた事を考えれば“科学の進歩”のスピードが増している様に感じていてもおかしくは有りません。
たかだか5~60年の間に飛行機が実用化され、原子爆弾が出来、ヒマラヤの高峰は軒並み登頂済みになりました。「科学が進めば何でも出来る」と“科学万能論”に陥っていたのでしょう。アントニオ猪木さんじゃあるまいし。
これはアメリカでもソヴェート=ロシアでも違いはありませんでした(むしろロシアの方が深刻だったかも知れません)。
1950年代末に発行された『夏休み子供の科学特集号』の様な雑誌には近く開通する東海道新幹線について「この新型超特急は早すぎて景色が見えないので窓は付いていません」などと書いて有りました。挿し絵には形こそ「初代ひかり」に似ている物の、窓の無い奇妙な車体が描かれていました。
この本は更に「ベーリング海峡ダム」「地球から夜を無くす計画」など聞くも恐ろしい科学万能教の夢が書かれています。ダムの方は「ベーリング海峡にダムを建設し、北半球が暑くなる夏には北極海から冷たい海水を太平洋に流し、寒くなる冬には逆に温かい太平洋の水を吸い上げて地球全体のエアコン化を実現する」という物。
夜を無くす方は「静止衛星軌道に大量の金粉を打ち上げて土星の輪の様に太陽光を反射させ夜間の照明代の節約をする」とか書かれていましたっけ。動植物への影響など欠片も考慮されていません。金に明かせて実現していたら地球上は砂漠になっていた所です。
環境学や生態系と言った概念が未発達だったからこそ見る事が出来た愚かで壮大な「夢」です。「二十世紀最大の環境破壊」と言われているアラル海の消滅を惹き起こしたカラクーム運河は1959年に使われ始めています。日本の3~4倍の広大な地を潤していたシルダリア川アムダリア川及びアラル海は、運河に淡水を横取りされて周囲が塩化した為に30年で砂漠に変わってしまいました。
「何でも出来る」と勘違いしたトンデモ計画でしたが、「地球まるごと改造」「宇宙開発」などの発想の豪快さは日本でも田中角栄さんの『日本改造論』にて「谷川岳を無くせば新潟は雪国ではなくなる」などと書かれている壮大なスケール感と共通する物を持っています。
スマホの画像がクリアになろうともリニアモーターカーが実用化しようとも元からあった物が更に良くなった「だけ」と感じてしまいます。飛行機や映画、月面ロケットなど「それ以前の技術とはステージが違う」「進歩の実感」が無くなっていると思うのです。
今人類を悩ませている感染症対策や貧富の格差拡大を抑える事などは、社会制度の工夫で解決していく問題ではないでしょうか。科学技術の発展とは余り関係ありません。環境や社会に不幸を惹き起こす事無く、技術が進歩したが故に見る事が出来る、ステージアップした人類の「夢」を見てみたい物です。
初期のSF小説などは大筋を描いた夢でした。多角的な視点を得た上で実現に向かう時、その困難さを理解した上でそれでも人間は進んで行くと思うのです。