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Catch41 天竺の影

遥かなりガンダーラ。

 以前、『語学教育の歴史』で日本が明治維新以前に影響を受けてきた先進文明の大半は中国で、極僅かにインド文明も混じっている、と書きました。


 明治以前に日本に入って来たインド文明で一番馴染みのある概念・単語とは何だろうと考えてみたのですが、仏教かなぁ、などと思っています。ヒンディー語或いはサンスクリット由来の単語に限れば日本で一番知られているのは「カレー」ですが、これは明らかに明治維新以後でしかも英国経由ですし。


 仏教は世界観を含む“体系”ですので、個々の概念や単語とは違いますが「仏教が連れて来た諸々」は今もそこかしこに残っております。


 日本中のどこかで日々唱えられている「南無」はサンスクリットで“お救い下さい”という意味です。数学の単位で「恒河沙(ごうがしゃ)」=10の52乗=1万の1兆倍の1兆倍の1兆倍の更に1兆倍という物がありますけど、普通は使う機会など有りません。恒河沙とは「ガンジス河の砂」という意味で、それくらい多いという事です。「閻魔大王」もサンスクリット由来の仏教用語ですね。原語では「ヤ-マラジャ」で「ヤ-マ」がインド神話で人類最初の死者にして冥界の支配者の事。「ラジャ」は「マハラジャ」の「ラジャ」で即ち「王様」。固有名詞を音で残して後半を意訳した訳です。仏典を漢訳した方のセンスに感心します (玄奘かな?)。


 全て漢字表記されている様に、一度中華文明圏のフィルターを通している為、余計インド由来だとは分かり憎くなっています。


 京都の鞍馬山には「天狗がインドからやって来た」との不思議な伝承があります。うろ覚えですが今昔物語にもそう書かれていた様な気がします。インドを追い出された「悪者」が海を越え流れ着いたら川から有難いお経が聞こえて来て、それを辿って淀川→桂川→鞍馬山へと辿り着いた、という様な。


 記録に残る限りでは封建時代に日本から中国へ赴いた留学生は数多くいましたが、そこから更に天竺を目指して辿り着き帰還した日本人は居りません。先進文明を学び故国に持ち帰るという任務を考えると、取り敢えず中華文明の摂取で十分であり、インドまで足を伸ばすにはコストパフォーマンスが悪すぎると思われたからではないでしょうか。法顕や玄奘の様に出発地が中国というアドバンテージがあってもなお、天竺までの往還は困難な物だったのですから。鞍馬山の伝説は日本からインドへ行った者はいない一方でインドからやって来た人がいた事を示す痕跡なのかも知れません。


 遥かな異国ではありましたが日本の把握している「世界」にはちゃんとインドも含まれて居りました。甲斐性のある良い夫を「三国一の花婿」と讃える慣用句が有りますが、この三国とは「日の本」「(から)」「天竺(インド)」を指します。傑作小説『西遊記』が受けたのも元々日本人が「中国のもっと向こうに天竺という国が有る、仏教はそこで生まれた教えなのだ」と知っていたからでしょう。


 私の祖父は曹洞禅の住職で、戦後のまだ海外渡航が極めて難しかった時期にインドに行っています。お釈迦様が悟りを開いたと伝わるブッダガヤ (ボドガヤ)の仏塔前に立つ祖父の写真を見て驚いた覚えがあります。


 そう言えば仏塔はサンスクリットで「ストゥーパ」と言いますが、日本のお墓に添えてある「卒塔婆(そとば)」の語源です。日本化され過ぎて気が付き難くなっていますが意外と日本には“天竺の影”が息づいている物です。

カーストという恐ろしく頑丈な社会体系が伝わらなかったのは歴史の幸いと言う物でしょうか。

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