Catch24 日露戦争の講和
フィクションと歴史の区別は大切です。
「時代小説」と「歴史小説」の違いをご存じでしょうか。雑把に言えば (現代とは違う)主に封建時代の社会を舞台に架空の物語を描くのが時代小説で、史実に基づいた舞台で実在の人物を中心に話を展開するのが歴史小説です。
小説家の中にはとても厄介な方々がいます。
フィクションとして自分の作品世界を綴る中であまりにも説得力に富んだ描写や裏付け、あるいは多くの読者が“こうだったらいいなぁ”と思う世界を描いたために「これこそ真実に違いない」と読者の方々に思い込ませてしまう巨匠たちです。主に歴史小説の書き手に多い気がしています。時代小説は読み手の多くが最初からこれはフィクションだと分かっているからか、この手の“誤解”を生じる危険が少ないのでしょう。丹下左膳や真田十勇士が本当に居たと信じている人はいないでしょうし。
人間が「こうであれ」と願う時代像や歴史上の出来事を描き出し感動を生むのが歴史小説家の本道である以上、「これが歴史の真相だったに違いない (と思いたい)」と読者に思われるのは傑作の証とも言えます。
イギリスには「シェイクスピア症候群」と言われる物があるそうで、かの偉大なる劇作家ウィリアム=シェイクスピアの手になる数々の歴史劇 (『エドワード3世』『ヘンリー5世』『ヘンリー6世』など)の導きにより、“我が国は百年戦争に勝った”“ヘンリー5世は史上最高の名君だ”と信じ込んでいる人々がかなりいるのだとか。
いやいや、負けてますし。ノルマン朝以来大陸にあったイングランド領はほぼフランスから叩き出されて終わったのが百年戦争ではないですか。いかにこの「読み手の願望に沿う物語」が強い汚染力を持つかといういい例でしょう。
我が国を代表する偉大なる歴史作家の一人、司馬遼太郎氏もこうした厄介な作品を数々手がけております。彼の代表作『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』はそのツートップだと思います。
『竜馬』の方は史実の坂本龍馬の表記ではなく敢えて「竜馬」として書いたように、司馬氏本人も“これはフィクションですよ”と暗に示したつもりだった様ですのでまだしも、『坂の上の雲』はそうした“セーフティーガード”らしき物がないまま読み手の心を揺さぶる感動の大作にしてしまった為に、未だに「日露戦争は日本が勝った」「明治の日本政府は素晴らしかった」と美点だけを強調しすぎた認識を“そうでもなかった部分”を置き去りにして持つ方を量産しています。
よく読めば司馬氏も“そうでもなかった部分”もキチンと書いているのですが、それは「感動」の邪魔になるので感動したがっている読み手の中で勝手に比重が小さくなってしまう親切設計。生じた誤解は深いままです。
実際の日露戦争の終結は薄氷を踏むような危うい物で、当の明治政府もその危うさは十分認識していたので終わらせ方にはなりふり構わぬ非常手段をいくつも使っています。
日露戦争は中国東北部(いわゆる“満洲”)という双方の本国ではない「他人の土地」が戦場になったので、そもそも日本側としては相手の本国に攻め入り首都を陥落させて相手を降伏に追い込むという最も効果的な終わらせ方は開戦前から選択肢にありませんでした (可能性は低い物のロシア側にはありました)。
さらには国力の違う大国相手に戦い抜く経済力もありませんでした。いくら戦場で勝利を納めても食料や弾薬、輸送費などにかかる費用が続かなければ戦線は維持できません。多少被害が多くてもそれを補充して戦いを続ける国力が相手にはあったのですから。
日本政府は開戦前からロシア国内の反政府勢力と接触して資金援助などを行い、ロシア政府が対日戦争に集中出来ないように手を打ったりしています。
さらに当時のアメリカ大統領セオドア=ルーズベルトに「ハーバード大学の後輩」という薄い繋がりで金子堅太郎を接触させ講和の仲介を打診します。同門とは言ってもルーズベルトと金子に面識は無く無茶は承知の交渉でした。
幸いなことに独立以来の借金国状態から抜け出して漸くひとかどの外交力を持ち始めたアメリカの存在感を示す機会と捉えたルーズベルトが仲介を了承し、外務大臣の小村寿太郎が「賠償金無し」「全島占領していた樺太も南半分だけ」など譲りに譲って辛うじて講和の締結に漕ぎつけました。
「日本にはお金が無い」「これ以上戦えない」という事を知らないまま「旅順を陥落させた」「奉天でも勝った」「対馬沖でバルチック艦隊を全滅させた」と景気のいいニュースばかり聞かされて「後はロシアが泣いて降参するのを待つばかり」と思い込んできた民衆が唖然とし、戦争継続か講和条件の吊り上げを求めて日本政府に嚙みついたのは当然の結果でしょう。仮に実情を聞かされていても戦費の莫大さや戦場の広大さを日本国内の人々がイメージできるとは思えません。「資金がないなら募金してでも」などとズレた意見が出て来る様に思います。何より9万人近い犠牲を出した末の戦果としては“割に合わない”と納得しなかったのではないでしょうか。
権益を拡大した“満洲”も、その後のイギリス・アメリカ・中国・ソヴェート=ロシアといった「ロシア帝国以上に勝つのは不可能」な国々を一度に敵に回した「大和魂」溢れる無謀な戦争で失い、憲法も国家の方向も大きく変わった今となっては歴史の彼方の一エピソードです。
“戦争という物は終わらせ方こそ大事で一番面倒な物だ”と、古代の賢者も述べているのですが、中々認識は改まらない様です。
ロシア帝国自体が非常に興味深い対象ですので他にも触れたいと思います。