Catch232 名画を見た眼
しばらく投稿していない間の世の中、混迷が深まっています。いきなりウンザリするような話題は嫌だったのでまずはこんな所から。
かつて明治の元勲・松方正義の三男坊で実業家だった松方幸次郎が、第一次世界大戦後にヨーロッパで金に糸目を付けず買い漁った膨大な美術コレクションがありました。
通称「松方コレクション」と呼ばれる物ですが、日本から離れてフランス人の富豪に買い取られていた大量の浮世絵の他に、当時ヨーロッパでは前衛的過ぎて余り受け入れられていなかったセザンヌやゴッホの作品をいち早く手に入れるなど中々先物買いの目利きぶりを見せています。
松方幸次郎本人は日本にこうした最高の西洋美術を鑑賞出来る美術館を開くつもりだったそうです。惜しむらくはこのコレクション、日本には1/3しか届かなかった事です。それについては後述します。
先日 (2024年10月17日)、美術学者の高階秀爾さんが亡くなったと報じられていました。西洋美術の研究者として早くから評価されていた方ですが、専門家のための論文だけでなく著書やメディアへの出演を通じて広く一般にも西洋美術を紹介していました。
高階氏が30代後半に発表した『名画を見る眼』(1969)『続・名画を見る眼』(1971)を読んだ時、簡潔で理知的な文章と近代に至る西洋絵画の歴史を代表的な作家のエッセンスを通して紹介する技倆に大変な感銘を受けた物です。
その後もNHKで日曜日に放送していた『日曜美術館』にしばしば登場されて物柔らかい語り口で取り上げた作品の解説をする姿をお見かけしていましたし、何より国立西洋美術館の館長に就任して西洋美術の普及に努めておられました。
東京に住む様になってから楽ではない生活費をやりくりして訪れていた美術館の館長に「あの」高階氏がなったと聞いて、別にお会い出来る訳でもないのに勝手に喜んでいました。
その国立西洋美術館こそ、あの松方コレクション(の別の1/3)を元に作られた美術館に他なりません。
松方幸次郎がヨーロッパで買い集めたコレクションは船便で日本に送られた物とヨーロッパに残されたままの物に分かれます。
松方幸次郎は第一次世界大戦の船舶需要に川崎造船所の社長として船を作って売りまくり財を成した人でしたが、大戦が終わると経営不振に陥り日本に届いていた物は資金稼ぎの為に多くが売り払われてしまいます。ブリジストン美術館や大原美術館がその一部を所蔵しているそうですが。
ヨーロッパに残して置いた方は海軍絡みの仕事を請け負った松方の再度の渡欧時に更に数を増やしますが、この時にアドバイザーの勧めでギュスターヴ=モロー(Catch210 世紀末師匠参照)の作品を大人買いしています。
その後は悲惨でした。
ロンドンに疎開させた物は倉庫の火災で灰になり、フランスに残していた物は第二次世界大戦で日本が敗北した事によって「敵国資産」としてフランスに取り上げられてしまいます。
日仏の国交正常化に伴ってフランスから日本へ戻された際にも目ぼしい逸品はリストから外されてしまいます。とんでもない「回り道」の末にようやく日本へもたらされた松方コレクション(の1/3)を展示するために作られたのが国立西洋美術館だった訳です。
松方幸次郎と高階秀爾。一方はコレクターとして、他方は研究者として西洋美術の傑作に触れた二人ですが、その「名画を見た眼」は天国でどのような語らいをしている事だろうかと考えると感慨深い物があります。
フランスにピンハネされた物の中にはドラクロワやゴッホの代表作と言っていい物も有りました。