Catch227 リベルテ
日本語の曖昧さはこうした部分で「甘い」。
「リバティとフリーダムのちがいが分かるか」
お酒の席で少し年上の友人にこんな問いを受けた事がありました。どちらも日本語にしてしまうと「自由」なんですが、なんか違う気がする。なんだろうと考えて「権利かそうでないかかな?」と思い至りました。
飲んでる時にそんな小難しい事を議論せんでも。まぁ小難しい話題は面白いし好きですけど。
西アフリカにリベリア共和国と言う国があります。元フランスの植民地だったコートジボワールのお隣です。
国旗を見ると少し変。左上に青い四角があって、中には白抜きで1つだけ星がデザインされています。そしてそれ以外は赤と白の横線が引かれています。どこかで見た図柄です。星の数は違いますけど、アメリカの国旗、星条旗にそっくりなんです。
リベリアの首都はモンロビアと言いますが、これは第5代アメリカ大統領のモンローから取った名前です。
モンローはアメリカ独立戦争に参加した最後の世代で、彼が大統領だった時代に幾分理想主義に走った黒人奴隷解放運動が白人たちの間で持ち上がり、解放奴隷を故郷に帰してあげようとする「アフリカ帰還支援事業」が始まりました。
アメリカの独立戦争は「アメリカ独立革命」とも呼ばれるように、植民地として様々な不利益を押し付けられてきた東部の13州が本国・イギリスに挑んだ戦いです。その理念は支援してもらったフランスにも逆輸入で影響を与えた人権主義でした。
13州といっても内実はバラバラで、イギリス国王の所有物だった州も有ればお金持ちたちが資金を出しあって作った植民地も有り、清教徒革命の前後にイギリスから逃げ出して新天地を求めた人たちが開墾した州もありました。
イギリスから独立するのは良いとして「じゃあどういう国を作るのか?」で書かれたのが独立宣言だったのです。義勇兵としてフランスから参加していたラファイエット公爵が感動した独立の理念に「自由」や「人権」が盛り込まれていました。
「人権」という物が初めて「国家によって守られなければならない物」と決められたのです。各州は大体今まで通りにやってて良いけど最低限これだけは守ってね、という「連邦政府の目指す方向」が示された訳ですね。
すっかりのぼせ上がったラファイエット公が本国に戻り、フランス革命を起こして人権宣言を作る事を望んだのは当然でした。
建国当初のアメリカは政治に理念を掲げ、ゼロから新しい国を造る実験的な側面も持っていたのです。この「まだスレてない時期」のアメリカで奴隷解放論が起こったのもある意味では独立革命とその理想の延長だったと言えるかも知れません。
アフリカに戻った解放奴隷たちで作った国がリベリアでした。
国名を「自由の国家」としたように、リベリアはアメリカの独立宣言で謳われた自由は本来人間が持っている基本的な人権の1つという理念を基に出来た国です。英語でliberty、フランス語ならliberté、即ちフランス革命で「エガリテ」「フラテルニテ」と並んで理念となった「リベルテ」です。
冒頭の「違い」ですが、リバティは政治や法律で認められる「権利」、フリーダムは個人の振る舞いの様子の事ですね。
リバティが無い状態は不自然な事、不当に抑圧されている状態なのだとする考え方が近現代の歴史でその解放を目指す様々な動きの思想的な背景になりました。
身分、性別、人種、思想・宗教、経済、国籍。ほぼ全ての解放闘争は「本来持っているはずの自由が奪われている」という認識により、正当性を持ちます。
言論の自由と人権抑圧の考えを表現する事はこの点で相容れません。「ユダヤ人は絶滅させろ」「朝鮮人はこの国から出ていけ」「差別ではなく区別、住み分けだ」「尊厳死も自由」こうした言論は他人の持つ基本的人権を傷付ける物で、それ自体が「自由に反している事」なのですから。
これらの「ヘイトスピーチ」は「フリーダム」ではあっても「リバティ」ではないという事です。
恥ずかしげもなく他人を攻撃している「自由」なんて許されない物なのですよ、少なくとも現在の人類社会では。
内心で思っている分には「自由」かも知れませんが、発言や行動に移されたら差別や抑圧の自由なんてございません。日本語の曖昧さに隠れた言葉遊び・詭弁です。