Catch222 彗星から宇宙を想う
それなりの大きさ明るさがある内に見ておきたい物です。
紫金山・アトラス彗星が話題になっています。残念ながら天候に恵まれず私はまだ目視しておりません。思っていたより大きくならないのではないかという予想も出ており、明るさが続いている近日中に何とか晴れないかなぁと思っています。
1986年にハレー彗星が接近した時は、その前回1910年には尾の中を地球が通過するくらい近づき過ぎて物凄く大きく見えた記録が残っていた事もあり、とても期待されていたのですが、彗星の本体である核 (巨体なドライアイス)がバラけてしまい、全然インパクトの無い物でした。
1910年の接近では世界中でパニックが起きるわデマが飛び交うわとても面白い騒ぎになったのですが、それはまた別に書きます。
人気の時代劇『暴れん坊将軍』でも彗星が扱われたことがあります。今Wikipediaで調べた所、シリーズⅨ第19話「江戸壊滅の危機! すい星激突の恐怖」(1999年4月29日放送)でした。これ、時代劇というよりSFファンタジーな「傑作」でしたが、彗星が「シュゴ-」と音を鳴らしてみんなが指差して見上げる中「夜空を横切って行く」凄い仕上がりになっておりました。
作る人たち、彗星の事を少しは調べてからやって欲しいと切に思った物です。彗星、音出しません。ジェット推進してる訳じゃないです。見ている前で右から左へ動いたりしません。流れ星じゃないんですから。
昔の日本ではその姿から「ほうき星」とも「ゆうれい星」とも言われていました。「ゆうれい星」は幽霊のように長い尾をなびかせ、何か音を出す訳でも動く訳でもなくじぃ~~~っと空に止まっている様子からでしょう。
はっきり言って不気味です。日食や月食のように「不吉な事が起こる予兆」と思われるのも自然な事でしょう。
南北朝時代の争乱をテーマにした『太平記』にも彗星が出てきます。「妖霊星」と呼ばれています。「〽️天王寺の、や、ようれぼしを見ばや」という囃子が流行したと書いてあるのです。まるでこれから延々と続く動乱の時代の予兆であるかのように。
ハレー彗星が描かれている事で有名な「ノルマン征服」のヘイスティングスの戦いを記録した「バイユーのタペストリー」はイングランドのハロルド王が即位した直後に彗星が現れて家臣たちが怯える様子も書き込まれています。この後、イングランドはヨーロッパ大陸から上陸したノルマンディー公の軍勢に征服されてしまいます。
彗星をアリストテレスが唱えたような大気中の現象ではなく、天体でそれも個々の彗星が決まった周期で廻っている事を突き止めたのはニュートンの友人だったエドマンド=ハレーです。
彼はニュートンの軌道計算式を多少改良した物で記録に残る彗星の周期を算出したところ、幾つかの彗星がほぼ同じ軌道になる事に気が付きました。そしてニュートンが同じ物ではないかと考えて計算に失敗した1680年と1681年に現れた大彗星がおよそ76年周期で太陽を回っていると予測して(ニュートンは彗星が太陽に向かっている所と太陽を回って折り返して来た物と予想したのです。発想そのものは間違っていません)次は1748年に出現すると予想しました。
ハレー自身は次の接近の前に世を去りましたが、天文学者たちは予言通り現れた彗星に彼の功績を称え「ハレー彗星」と名付けた訳です。
科学の進歩が「大気中の怪現象」や「不吉な予兆」と思われていた彗星を「惑星以外の太陽系の家族」に変えました。
その後、彗星の正体と起源の研究から「オールト雲」の想定が、「ボーデの法則」の予測から小惑星が見つかるなど「家族」は増えて行きます。
人間が「美味しい」と感じたり「綺麗だな」と思ったりする物には生命体としての人間に取って有益な物事が多いと言います。甘い味を美味しいと感じるのは人体に不足しがちな糖分を積極的に摂るように体がそうなっているからです。
しかし宇宙に関する物に美しさを感じるのはとても不思議な事に思えます。満天に広がる星空や淡い色に光る星雲はとても美しく感じますが、生物的な意味で何も人体に利益をもたらす物ではありません。
もっと言えば、技術が発達し肉眼では見ることの出来ない遠くの天体も、画像として目にする事が出来るようになりましたが、様々な形や色をした天体は優れた芸術に触れた時のように心に快感を呼び起こします。何の得も無いのに。
もしかしたら地球の生物は宇宙を移動していた時期があって、その際に何か利益をもたらす事があったのだろうか、などと首を捻っております。
広大な宇宙で一番身近な太陽系の中でさえまだまだ分からない事が沢山あります。いずれ私たちの子孫が遥かな宇宙を自由に行き来する時代が来ればいいな、と思っています。
本当、SFなどではとっくに火星辺りまでは人間の活動範囲になってる筈だったのに。戦争なんてやってる場合ですか。