Catch217 情緒不要
実の父親に子どもを産まされた娘の保護ではなく父親の尊属としての立場が大事にされる問題は21世紀になってもトンデモ判決を連発しています。
日本は不思議な法の運用をする国です。それは憲法に解釈の余地がある意味不明な法体系が原因です。
そもそも義務教育制度の有る国で学業を終えた一般人が六法を読んで「何を許されていて何を禁じられているのか分からない」法律の条文はおかしいと思いませんか?法律は条文を読んで理解出来る人だけの物ではありません。
司法にも政治にも本来情緒は不要です。司法では尊属殺人のように法の想定を外れた案件があって「情状酌量」が入り込む余地が有りますが、これは正しい姿ではありません。
尊属・卑属なんて日常生活で耳にする事の無い用語を使っている時点で問題です。家父長制度の残りかすのように「尊属」つまり家族内で偉い人、子から見て「両親」「祖父母」「伯父伯母」など「尊敬しなければいけない家族親族」が、守るべき「卑属」を監禁したり暴力を日常的に振るったり実の娘を妊娠出産させたり、「尊属」に値しない鬼畜の行いの果てに起きた事件などは規定通りに裁かれたらとても正しくない事になってしまいます。
情状酌量は「裁判官の権限で」法律が決めている量刑 (刑の重さ)をさじ加減してバランスを取ろうとする物です。そんな裁判官によって扱いが変わるような曖昧な物ではなく、現実に起きている出来事に納得の処分を下せるように法律のおかしな部分を変えればいいだけの事でしょう。
おかしい法律をそのままにして担当裁判官によって判決が変わる法律なんて間違っています。
政治に情緒が要らない事に議論の余地は無いでしょう。ほとんどの場合は権力者の都合を情緒にかこつけて押し通そうとしているだけです。政治に持ち込んではいけない論法ですね。
「一生懸命頑張っている自衛官が可哀想」だから憲法の方を変えて憲法違反じゃない存在に「してあげましょう」って正気とは思えません。
だったら議会で反対を押しきってまで戦死の可能性が高い戦場に自衛官を派遣出来るように法改正なんかするなよ、と思うのです。そっちの方がよっぽど「可哀想」でしょうが。
憲法は国の方向を定めている物でその向かう先は国際平和主義。「可哀想」で国の方針の方を変えましょうとは畏れ入ります。
法律が全てを想定している訳ではないのでどうしても隙間を潜る案件もある事は確かですが、「じゃあ法廷現場の運用・解釈で救済しましょう」って何ですか。
そもそもは有無を言わせず親・祖父母は尊いという儒教の考え方を近代法に採り入れている時点で馬鹿げています。2500年前には上手く行ったのかも知れませんがそれでだから何なんですか。。
法律や政治に情緒は要りません。
ウィシュマ=サンダマリさんが殺された名古屋は高裁も拘置所も入管も全てしてはいけない事をやらかしています。不祥事の見本市みたい。